20話 憧れへの挑戦
グラウンドへと足を踏み入れると、大歓声が私を迎え入れる。ただ迎え入れるのは大歓声だけじゃない。
「やっぱり、光ちゃんも来たね」
雫さんは私がパートナー選抜に出ることを半ば確信をしていたようで、私はそれに小さく頷く。
「じゃあ、位置に着きましょうか」
雫さんはグラウンドの中央を指すとグラウンド中央へと歩みを進める。私も遅れて雫さんの背について行き、守護君を境に分裂した。
私と雫さんは互いに立ち位置に着き、腰の刀を抜く。雫さんの一挙手一投足を逃さまいと全集中。
「ふう」
一呼吸。
たったそれだけで、緊張という鎖で縛り付けられた私の身体は解放に満ち、周囲の大歓声は波のように引いていき、ついには、私の耳から完全にシャットダウンされる。
視界に映る雫さんは、私と同じように両手で刀を持つも、肩や柄を握る手など余計な力は籠っておらず、言うならば自然体な構え。
私の前に多くの挑戦者と対峙していたであろう雫さんは、身に纏うジャージに砂ぼこりの汚れすらなく、何なら、顔に汗一つ無い。
表情から疲労の色はなく、まだまだ余裕綽綽と言ったところ。
「一応ルール確認を。制限時間は無制限。私に傷一つ付けるか、どちらかがギブアップ、または戦闘不能になったらそこで試合は終了。説明は以上です」
雫さんは端的にルールを説明すると、傍らにいる守護君に試合開始の合図をお願いする。それに了承した守護君は、胸元のタイマーを十秒にセットしスタートさせた。
そのわずかな猶予のあいだに、私は一つ大きな深呼吸をして、緊張で強張った身体を解きほぐす。
あの日、雫さんに救われた翌日から今日まで、私はほぼ毎日鍛錬に勤しんできた。
憧れになりたい、その一心でただひたすらに努力を積み重ねてきた。
そして今日、その努力がいかほどに憧れに近づけたのか――その答えを今日知ることになる。
ブウウ!!!
訓練所内にブザー音が鳴り響くと同時に、私は右足を踏み込んで駆ける。
「はあ!」
先手必勝とばかりに私は気合の咆哮と共に刀を薙ぐ。持てる限りを尽くした、一刀入魂を雫さんに叩きこむ。
カーン!
金属音が鼓膜を鳴らし、七色の火花が肌をちりちりと焼く。
私の渾身の一撃を顔色一つ変えず受け止める雫さんに動揺を隠し切れないながらも、身体は無意識に次の一手へと攻め転じる。
私の刃は逆時計回りで白い糸を引きながら孤を描く。まるで天と地をつなぐ橋のように私は陽光を受けて一層と輝く白き刃を高く掲げる。
「やあ!」
声を張り上げ、私は雫さんの脳天へと刀を振り下ろす。
雫さんは脳天に迫りくる刃を受け止めようと刃を地面と平行にする。
カーン!
再び金属音が鳴り響く。
「ふっ!」
雫さんは息を強く吐くと、受け止めた私の刃を押し返す。最大限の力を入れた私の刀は軽々しく持ち上げられ、私は大きくのけ反る。
雫さんは間髪入れず右足を軸にした回し蹴りで私のお腹に一発、重い一撃をくらわす。
「がっ!」
肺の中の空気を強制的に全て吐き出された後、私の身体は大きく吹き飛び、受け身も取れずに地面をころころと転がった。
痛みが治まってからゆっくり立ち上がる算段を試みようとするも、それよりも前に、雫さんが疾風の如く速さで私との距離を詰めてくる。
そのせいで息つく間もなく、私は痛みに耐えながら慌てて立ち上がると同時に後ろへとジャンプ。
ヒュン!
私の鼓膜を震わすのは斬り裂かれる風の音。
視界に映るのは雫さんの振るった白き刃と、その後の軌道を予測したような鮮血の雨。
「ぐっ……!」
着地した瞬間の振動が、身体にもたらした傷口を知らせる。
私は咄嗟に左手で右胸を抑える。伝わる感触は生暖かくて、ぬめぬめしていた。
左手を右胸から外し、その手のひらを自身の視界に映した。そこには、真っ赤に染まった鮮血がべたっとこびりついていた。
「まだ、光は失われてない、か」
「え……?」
手のひらを見ていた私に、意味のわからない呟きを零す雫さん。
何のこと? と疑問になる前に雫さんは既に行動を開始していた。
瞬間移動の如く距離を縮めた雫さんは、私の脇腹目掛けて刀を斬り払う。
回避は間に合わないと判断した私は刀を盾にして受け止める選択肢を取る。
「ぐ……! きゃあああ!」
一瞬だけ踏ん張りは効いたのも束の間、雫さんはさらに腕に力を込めて、私ごと薙ぎ払った。
吹き飛ばされた私は一直線に宙を彷徨う。
「!?」
猛スピードで空中浮遊している最中、私が視界で捉えたのは刀を振りかぶる雫さんの姿。
身体は地面から浮いているため、防御したところで背中を地面に叩きつけられ、負傷するのは目に見えている。
私が取る手段は一つ、回避しかなかった。
――土壇場だけど一か八か!
そう決心した私は腰を捻ることで、一直線上の枠内から免れる。
シュッ!
私の耳に風を引き裂く音。痛みはない。どうやら無事に回避出来たようで一安心――
「ぎゃっ!?」
最悪の事態を回避できた安堵から着地のことを何も考えておらず、私は体の側面から地面と衝突し、ころころと転がる。
先程の体験があるので、痛みを我慢してすぐに立ち上がる私。それが功を奏して、
「はあ!」
張り上げた声と共に振るう雫さんの刃を寸でのところで回避して退けた。
ただ、雫さんは攻撃の手を緩めることはなく、再び間合いを詰めてくる。
このままだと防戦一方、そう思った私はどうにかして形勢逆転の目途を模索する。
私から攻撃を仕掛けたところで隙だらけで反撃されるのがオチだ。防御も無意味だと先程の体験で身に沁みている。
やはり取る選択肢は回避。
回避をして雫さんの攻撃を透かした瞬間の、その隙を突く、所為カウンター。
それしか勝ち目はない。
身体は痛みと疲労で悲鳴を上げており、私は立っているのもやっとの状態であった。
体力の限界値が近いことを悟った私は、ここで勝負を決めることを決意。
意識を全てかき集めて集中力に変えていくと、少しだけ時間の流れが緩やかになった感覚に陥った。
雫さんの挙動がほんの少しだけ目で捉えられるようになった。
ただ、ほんの少し、一粒の欠片の意識の粒子を零したら、おそらくもう知覚できないであろう。
それほどまでに雫さんの一挙手一投足は人間離れした俊敏性を誇っていた。
間合いを詰めた雫さんは、足を踏んばり腰を右に捻る。この後の動きはおそらく……
――捻転力を利用した薙ぎ払い!
私がしゃがむと、地面に映る影を通して、真横へと描く刃の軌道が見て取れた。雫さんに現れた致命的な隙、私にとっては勝機と言える隙だった。
私はその隙をつつこうと、刀を左下から振り上げる。
――直後。
私の視界に大きく映ったのは、ローファーの靴底。その靴底は視界をどんどん埋め尽くし。
「ぶっ!」
見事私の顔面にクリーンヒット。そして、再び私は低空飛行で宙を彷徨う。
「がは!」
私は背中から大きく打ち付け、仰向けに転がった。
がらがらがら。
手に持っていた刀は地面に打ち付けるのと同時に離してしまい、砂利の音と重なった不協和音を響かせながら、地面を滑った。
私は何も考えずに痛む身体をむち打ち、転がる刀を手にするため、のそのそと地面に這いつくばりながら移動する。
手を伸ばせば柄がつかめる距離まで近づけた私は、疲労困憊でぷるぷると震える腕を持ちあげる。
――あと少し、あと少し。
心の中でそう唱えることで、自身を鼓舞し。
――よし!
手のひらに柄が触れたことで、消えかかっていた闘志に火が付く。そして、柄を握りしめ――
「ぎゃあああああ!」
私は手の甲にかかる圧力の痛みで絶叫を上げる。
雫さんは私の手を踏みつぶすと、たばこの火を消すが如くぐりぐりと踏みにじる。
ぴきっ!
私の中にある『何か』がヒビ割れを起こす。
「光ちゃん。そろそろ諦めたらどう?」
「あ、あき、ぐ……、らめ、ません」
雫さんからの悪魔の囁きを無視し、私はこの絶望の状況から脱する術を考える。
「光ちゃん」
「がっ!」
雫さんの足にさらなる力を加えられたことにより、嫌でも脳が痛みを知らせ、強制的に思考を手放される。
「諦めろって言ってるのはこの戦いじゃなくて、私に”憧れる”ことを言ってるの」
「あ、こが、れ?」
痛みで思考に逃げることが出来ない私は、雫さんの悪魔的な囁きを聞き入ってしまう。
これ以上悪魔の囁きを耳に入れてはだめだと、もう一人の私が強く警鐘を鳴らしているのにも関わらず。
「ええ。光ちゃんは前に言ったよね? 半年前に私の戦いを見て、私のようになりたいって憧れを抱いたことを」
「そ……うです。しず、くさん……に、憧れて、しず、く、さんの、ようになり、たくて、たくさ、ん、どりょ……くし、てき、ました」
三つ葉女学院に入るため、苦手な勉強を毎日何十時間とやり続け、強くなるために、筋トレや走り込み、刀を扱うための技術を悪戦苦闘しながらも身に着けた。
辛くて、苦しくて、しんどくて、努力すら放棄しようと思ったことも多々あった。
けれど、私はそれらを全て飲み下し、がむしゃらに、ひたむきに諦めることなく、努力を続けた。
それが出来たのは、他ならぬ”憧れ”の力だ。
「そうでしょうね。だからあなたはここにいる。それは努力をした成果が実ってる証拠でもある。けどね」
雫さんの声色のトーンが急激に下がる。
雫さんとの会話中にも、私は踏みつぶされた手をじたばたさせ、雫さんの魔の手、いや、魔の足から逃れようと必死だった。
でも、雫さんの絶対零度のように冷ややかな声音に当てられ、忙しなく動いていた私の手は静止し、まるで氷像のように固まった。
「それは必ずしも私に近づいたと意味しない。確かに光ちゃんは努力してこの学院に合格した。ただそれは、ゴールが不変という条件があったからで、私はそれに該当しない。当然よね。私も人間、成長する生き物。光ちゃんが憧れた半年前の私よりも、今の私はさらに強くなっている。光ちゃんはこの戦いにおいて、一度も私に傷一つ付けられていない。いや、それどころか、塵一つ、付けられていない」
「――」
「もし、半年前の私が相手だったら、傷一つ付けることは大いにあったかもしれない。少なくとも塵一つはつけられたはず。でも、現状、光ちゃんはそれが出来ていない。要するに、私の成長スピードに光ちゃんは追いついてないってこと。ねえ、私が最終的に何が言いたいか光ちゃんはわかる?」
雫さんは私に問いかける。
会話の中で私は雫さんの言いたいことをうすうす感じ取っていた。
ただ、その言いたいことを形にすれば、私の中の何かが音を立てて崩れていきそうで、私は単語一つ一つを並べることを放棄していた。
「わ、かりま、せん」
この『わからない』は雫さんの問いかけのアンサーで言ったのではなく、私自身にかける暗示に込めた言霊だった。
「なら、教えてあげる」
「やめ、てください、わかり、たく、ない……」
この後の言葉を聞きたくなくて、私は拒絶を示すも、雫さんは聞く耳をもたない。
耳を塞ごうにも、片手は雫さんの足元にあってそれは叶わない。八方塞がりだった。
「光ちゃんが」
――嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
ぴきっ!
「いくら努力しようとも」
――聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくない!
ぴきぴきぴきっ!!!
「憧れにはなれないってことよ!」
――あ……
ぱりんっ!
憧れにはなれない、その言葉が耳に入った瞬間、私の中の”憧れ”という名の宝石が砕け散った。
「あ、あああ、あああああ!!」
私は絶望に満ち溢れ、なりふり構わず、叫び散らかす。
「本当はギブアップって言って欲しいんだけど。ルールはルール。仕方ない」
雫さんが何かを言ったようだが、発狂している私にはまったく耳に届かない。
――憧れになるために努力した。
――汗水垂らして努力した。
――辛く苦しみながらも努力した。
――痛みをこらえながらも努力した。
――日々の毎日を努力した。
――全てをつぎ込んで努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――努力した。
――した。
――した。
――した。
――した。
――した。
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「っ!?」
私の首に唐突な衝撃が走る。
その衝撃は脳に送る伝達信号を遮断。
視覚は黒に侵食されていき、口もほとんど動かせなくなり、耳も遠くなり、グラウンドの土の味も薄味になり、ありとあらゆる感覚が失われていく。
――あ……こ、が
視界が暗くなっていく中、私の視界には、汚れ一つない雫さんのローファーが映る。
そのローファーは陽光に照らされ、きらきらと宝石のような輝きを放っていた。それはまるで、私の抱いた憧れのようで。
私は失われた憧れを取り戻そうと必死に手を伸ばす。
――レ……
けれども、私はその宝石に触れる前に限界が来てしまい、意識を失ってしまった。
意識を失う寸前、私の口の中にしょっぱさが広がった。




