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11話 素質の正体

「明日も授業があるので、ここまでにしておきましょう」


「はあ、はあ、はあ、ありがとう、ございました」


 私は呼吸を整えると、傍にある水筒に口を付けた。


 干からびた身体は口から入ってきた水を猛スピードで吸収し、十分に潤いを満たしていく。


「あなたは中々に素質があります」


 水分補給をし終えた私に嵐山さんはそう言う。


「そう、なんでしょうか……その、自分的には、あまりあなたのアドバイスにうまく応じれなかったので、とても素質があるようには……」


 約二時間ほど、私は嵐山さんのアドバイスに従って素振りを行ったが、中々アドバイス通りにいかず、悪戦苦闘。


 頭では理解しているのだが、体がついて行かず、何度も同じ指摘を受けてしまった。


 だから、嵐山さんの素質があるという発言に私はいささか疑問を抱いてしまう。


「そう悲観しないでください。神崎さんは十分に素質があります。確かに上手く四季のアドバイスに適応出来なかったかもしれません。でも、それは、仕方ないことです。人は誰しも言われた通りにすぐできません。だからこそ、時間をかけて、順応させていくのです。でも、四季が言いたいのは、そんなことではなく、神崎さんが四季のアドバイスを素直に聞き入れたこと、その素直さを四季は評価しました」


「……どうして、その素直さが素質の有無と結びつくのか私にはわかりかねます。せっかくアドバイスをしてもらえるんですから、素直に聞き入れるのは当然では?」


「それが、そうでもないんです」


 小首を傾げる私に彼女は、ゆっくりと左右に首を振ると、少しだけ遠くを見るような目になる。


「四季のいた道場には、かつて世界一位の座についた先生がいました。その先生は何よりも基礎を重視する人で、稽古の大半は繰り返しのような基本動作に費やされていました。ですが、その単調さに耐えきれず、もっと実践的な稽古をしたいと、先生に抗議する人も少なくありませんでした。先生はその不満を持つ門下生たちに基礎の大切を唱えましたが、それも徒労に終わり、先生の話に納得できなかった門下生たちは、一人、また一人と、道場を去っていったのです。その光景を四季は何度も、何度も見てきました」


 嵐山さんの語りの端々(はしばし)には、当時の道場に満ちていた空気が、かすかな残り香のように滲み出ていた。


「道場には四季を含んだ、先生の教えに素直について行く人たちだけが残り、皮肉なことに、その人たちは、あらゆる大会で結果を残していきました。四季に至っては全国優勝をするまでになったのです。四季が全国で優勝した際に、先生はこう言ってくださいました。『君が優勝したのは、私のお陰ではない。君の素直さが優勝まで導いたのだ』と。裏を返せば、素直でなければ、そこには辿り着けなかったということです。そのときに四季はふと気づいたのです。道場に残っている者達は、例外なく、教えを受け入れることにためらいのない人ばかりだと。そして、こう思いました。素質と言うものは、何かを疑わず受け入れられる”素直さ”が形作っているのではないか、と。そういう意味では――」


 嵐山さんは、言葉を小さく断ち切り、その切れ目に生まれる沈黙を抱くようにして視線を私に向ける。


 嵐山さんの澄み切った水面のような瞳に映しだされた私は、それに触れた瞬間、悲観に濁っていたはずの心が、洗い流されていく感覚に陥った。


「あなたは素質がある側の人間だと、四季は思います」


 嵐山さんは経験談を踏まえて、素直さと素質の関係性を私に語った。


 先ほどまでの私は、胸の奥に(よど)んだ悲観に塞がれて、その言葉を素直に受け取れなかった。


 だが今は違う。


 同じ言葉であるはずなのに、それはまるで別の響きを持ち、私の心は嬉しみで広がる。


「少し話過ぎましたね。夜も更けてきましたし、そろそろ寮に戻りましょうか」


 私としてはもう少しだけ鍛錬がしたかったが、嵐山さんの言う通り、明日のことも考えてここで切り上げておくことが賢明だ。


 それに、また夜更かしして、今日のようなトラウマを受けるのは避けたい。


「あ、あの!」


 私は踵を返す嵐山さんを呼び止める。


「何ですか?」


 嵐山さんは歩行を止めると、こちらに顔を向けて小首を傾げる。


 その仕草に合わせて大きな青いリボンが緩やかに揺れる。


「また、私に鍛錬を施してくれませんか?」


「……すみませんがそれは出来ません。今日はあくまでも神崎さんの邪魔をしてしまった罪滅ぼしみたいなものです。四季は本来誰かに鍛錬を施すことは滅多にありません。あるとしたら、今日のような四季側に非があったときだけですので」


 嵐山さんにきっぱりと断られてしまった。


 本来であれば、先ほど受けた助言だけでも過分と言えるほどだった。むしろ、こちらが礼を尽くしても足りないくらいだろう。


 これ以上は、等価ではなく、過剰な要求であることは理解できた。


 だけど、それでも、周囲に出遅れている私にとって今は猫の手も借りたいほどに切羽詰まっていた。


「私、周りの誰よりも弱くて、少しでも強くなって周囲に追いつきたいんです。自分勝手で無茶な要求なのは承知してます。それでも、お願いします! 私に鍛錬を施してください!」


 私は頭を下げて、嵐山さんに懇願する。


 自分に強さがあればこんな厚かましくお願いすることもなかったのに、と私は弱い自分を恨めしく思ってしまった。


「……では、神崎さんの尊厳を全て四季にください。それで手を打ちましょう」


「そ、そん、げん?」


 嵐山さんが示した条件を、私はすぐには理解できなかった。


 意味を咀嚼(そしゃく)するよりも早く、ただその言葉の形だけをなぞるように、反射的にオウム返しをした。


「ええ。四季は四季で鍛錬を重ねたいし、時間も有限です。人に教えるということは、その時間を相手に預けるということ。言い換えれば、自分の命を削って渡しているのと同じです。分かりますか? あなたは今、四季に命を差し出してほしいと頼んでいるのですよ。それなら、相応の対価を支払ってもらわないと困ります」


 私は軽い気持ちで鍛錬を施して欲しいと頼んだが、その言葉の奥深くに潜む意味にまるで眼中になかった。


 自分の時間を誰かに捧げることは、すなわち、自分の命を誰かに捧げること。ぐうの音も出ない程の正論に、息を呑んでしまう。


 その理屈を前にすると、自分の頼みがいかに軽薄で、身勝手であったかを否応なく思い知らされる。


 けれど、同時に――それでも、なお、という想いが消えなかった。


 今日の鍛錬を経て、嵐山さんのアドバイスはどれもが過不足なく的を射ていた。


 わずか二時間ほどのやりとりに過ぎないけど、自分の太刀筋が目に見えて洗練されていくのが分かった。

  

 その変化は偶然ではなく嵐山さんのお陰があったからこそだ。


 だからこそ、確信した。


 嵐山さんに鍛錬を施してもらえれば、私の実力は右肩上がりに急成長する、と。


 ――だったら、もう、尊厳でも何でも私は、強さが手に入るなら、私は!


「わかり、ました。その条件を飲みます」


 予想外だったのか、嵐山さんの目がわずかに見開かれる。


 だがその刹那、その瞳は鋭さを取り戻した。


「……それ、本気で言ってます?」


 嵐山さんの冷ややかな声色に、鍛錬で纏った身体の熱が急速に引いていく。


 私よりも華奢な体格であるはずなのに、その佇まいから滲み出る剣呑(けんのん)な気配は、まるで形を持たぬ重圧のように周囲の空気をわずかに歪めていた。


 細いはずの輪郭は、しかし視界の中で妙に膨張して見える。


 実際の大きさとは無関係に、その存在だけが場の比重を変えてしまっているかのようで、気づけば私は、自分よりも遥かに大きなものと向かい合っている錯覚に囚われていた。


「もし、一時の気の迷いでおっしゃったのなら、今だけ、撤回を許します」

 

 言葉には圧があった。けれど、その奥にはわずかな慈悲が潜んでいて、逃げ道の選択肢を、そっと私の足元に差し出している。


 だが私は、その誘いに応じることはなく、小さく首を振り、差し出した“退路”の切符を、自らの手で破り捨てた。


「いいえ、気の迷いではありません。本気です。強くなるためなら――尊厳などくれてやります!」


 私の覚悟に嵐山さんは、何を言うわけでもなく、相も変らぬ鋭い眼差しでこちらを射抜きながら、歩み寄ってきて――








 ぱしんっ!








 乾いた音が空気を裂いた。


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