『南海トラフ』がトラウマになってる千熊丸
実は父である海雲が産まれる三年前。1498年。明応七年南海地震があった。
東南海同時に起こったものらしく、阿波でも大きな被害が出たらしい。大地震や津波の傷跡はそう簡単には癒せない。
令和の時点でこの時の南海地震は公的記録として残されているのはほんのわずかなもので、徳島に限っていえば板野郡の宮の前遺跡で噴射の跡から確認されたぐらいなのだ。
噴射の後っていうのは現代の液状化の痕跡ということだ。
位置的にもあの場所が液状化するということはかなり大規模な地震が起こったということになる。
時期的にも南海トラフ地震の記録の空白期にも当たっていて、記録も残せない状態かその後、何らかの要因で記録そのものが消えてしまったともいえる。
とはいえ、徳島は大きな河川が多いので、毎年のように台風の時期が来れば川が氾濫するのだ。
令和の時代でもタイミングが悪ければ場所によれば浸水被害も出ていた。いわんやこの時代。自然の脅威に常に晒されていた。
百年周期の大地震と毎年のように起こる大河川の氾濫。両方に対応するには流石に無理があるけれど、できる範囲でやっていこうとは思っているのだ。
こういう時は異世界ものだとローマンコンクリートなんだろうけれど、あれって大地震には無理だと聞いたことがある。とはいえ、鉄筋コンクリートっていうのもこの時代の技術的には無理かなあ。
鉄筋とかそれだけの量を確保できるとは思えない。とのなるとなんか代用した方がいいんだよね。
そういえば、旦那が竹が代用できるとか言ってた。竹か。竹なら何とかできるのかな。
今思えば、うちの旦那、すごい。実は長慶おじさんとの出会いは今回だけではなくって、子供がもらってきたインフルにかかっちゃって高熱が出た時、それっぽい夢を見た。かなり具体的で、熱が下がった時、旦那にその話をしたことがあった。それ以来か、元々アウトドア派だったのが自分だけじゃなく私や子供達を巻き込んで色々やり始めたんだよね。
もしかして、こうなること(戦国時代に転生)を見越してたのか。まあ、まさかね。流石に無理がある。
そもそも自分より旦那の方が順応できると思うんだ、この世界に。
竹かあ。コンクリートの材料は揃うんだろうか。
確か、石灰と砂と粘土だっけ。
石灰石って県南で採れてたって聞いたことある。無理なら海岸沿いで貝殻集めて焼けば良いんだよね。焼いて砕く。石臼みたいなのでできないかな。あれ? 石臼って今の段階であるんだろうか? 粉引くといえば水車。
あ、コメもどうにかしないと。
あーでもないこうでもないと思案に深ければいきなり絵巻物が積み上げられていく。
この光景にすっかり慣れた篠原孫四郎(長政)は、大殿(海雲)に報告しつつ、間を見ては描かれているものに注釈をつけていくのだった。
それを見ては、朝餉や夕餉の時に海雲は千熊丸に絵巻物に書かれたものに対する詳細を問う。
それをさらに詳しい但し書きを加えた後、家中のものと議論の後、千熊丸のいう『試作品』を作り、千熊丸に見せると千熊丸は強度も含めその改善点を挙げていく。




