『阿波徳島城城下町』と『南蛮船』
ちなみに『黒ガラス』と『黒のセラミック(陶器)瓦』もどきは作れた。二酸化マンガンの比率をいろいろ試して、他の鉱物も入れて、真っ黒ではないけれどかなり濃いめの黒を作り出せることができた。できればクロムとか体に悪いものは使いたくなくて色(鉱石)の組み合わせで色々試してもらった。何を作るのか?
単純に言えば太陽光を使った温水器だ。けれど、これは実用化にはまだ時間はかかりそうだ。
まあ、何かに使えるだろう。多分きっと。
本当はこの温水システムを床暖房にも使いたいんだけど、多分導入までには時間がかかちゃいそうだ。
あとは従来のお城を作った経験者からの話を参考にしつつ徳島城の城下も整備していく。阿波国の国道を令和でいう左右三車線。もちろん左右に歩道の確保もする。
これは馬だけではなく。乗合馬車も行き来するためだ。もしもの時は人馬や物資が迅速に大移動できるようにということも考えている。
車道は左右に側溝を設けて雨水の排水ができるようにしている。
この時代はアスファルトはまだないのと、コンクリートも護岸工事や城や住宅の基礎部分にと引っ張りだこだ。
陶器はおそらく振動ですぐダメになるだろう・
仕方がないから、まずは道を慣らし、そのあと砂利で踏み固めて、さらに岩を砕いた小石で層を作る。
左右の歩道はレンガを焼いて敷き詰めた。
ちなみに『阿波』のイメージは『藍色』だ。
つまり城下の建物の屋根は全て『藍』を混ぜて作ったセラミックの瓦。歩道のレンガは同じく『藍』色のレンガだ。
建物の壁は白で統一して、車道の石もそれとなく白っぽい。
それからこの時代は徒歩での移動がメインだから歩道も広くとっている。
道の両脇には商圏だ。お食事処もお買い物もご自由に。
道路は現在の国道55(バイパス)線は影も形もない。
なのでいずれも旧道を整備する。
四国が天領になるということだから、この際四国へ繋がる道は同じように整備していく。
城下の外観は統一される。するとこれを見た他の城主も自分ところもやってくれと言われたよ。まあ、そのつもりだったけど、時間はかかっちゃうよ。いいのかな。
城下町の配置も令和の徳島市の地名に由来したものを参考にした。つまりは蜂須賀家が配置したものを参考にしたということになる。
寺社は『寺町』。『大工』は『大工町』、『籠屋町』『桶屋町』『古物町』『新魚町』『紙屋町』等々。
『町人』『職人』も三好で育てた者たちを引き連れて新たに『職業訓練所』を設けて、システム自体を統一させていく。
『寺町』には『寺子屋』と『学問所』の役割を持たせる。ちなみに『寺町』に誘致したのは『勝瑞』にあった寺だ。
『徳島』の由来は十九島とも言われるくらい大小様々な河川が縦横無尽に走ってる。これらの川の護岸工事と『橋』で繋げていく。
『城造り』から『城下町作り』、メイン通りの整備に、各河川の護岸工事。
色々と目まぐるしく変化していく『阿波』…
阿波に『勅使』が来て以降、『献金』の件も含めて、阿波全土、領民あげてとんでもなく『大騒動』になっていた。
港の整備もしている。畿内向けの航路は令和でいう淡路、鳴門経由だ。ただし、小松島にも『大きな船』が付けれるように整備を始めることにした。と同時に『大きな船』も作り始めている。
これも対南蛮対応のためだ。
そう『大きな船』とは『南蛮船』のことだ。
これは流石に『令和のおばちゃん』には無理だった。
けれど長慶おじさん、二回目のタイムリープの時に早い段階で九州や琉球に接触したらしくて、彼らが日本にやってきた時接触したんだと。『南蛮船』にも何度も乗せてもらったそうだ。構造もその時教えてくれたのだと。
もちろん彼らにしてみれば『日本人』がそんなものを作れるはずがないと思い込んでいたからというのが前提だったんだろうと脳内で苦笑している。
大砲についても説明を受けたらしいのだけど、私の(というよりうちの旦那のおすすめの)幕末佐賀藩版アームストロング砲の方がいいから、そっちを作れと言われた。
鉄砲(種子島)もその仕組みも見せてもらったらしいのだけれど、暴発の危険もあるから、まずは現物見てからがいいらしい。
『南蛮船』の設計図も絵巻物の中に既に記録されている。
いつでも取り掛かれるように、まずは港の整備が重要で、阿波には『水軍』がある。
例えば御側衆候補の阿波佐田館の森彦太郎くん(森元村)の家がそうなんだけど、おそらくこの話を海雲から聞かされているんだろう、最近かなり忙しく動いているのだとか。
みんなのお父さん(各城主)が忙しいのは自分のせいだよね、ほんとごめんよ!




