『阿波硝子』と鋳造技術
三〇万疋(三千貫)の献金。令和だと三億円くらいになるという。この金額を作るのは本当に大変だった。その分。阿波の領民の意識レベルも技術力も一気にレベルが上がった。
チンタラしてたらダメで、いかに効率よく良質の製品を作り上げるか。
量産するのは素材が追いつかないから、どうしても一品一品の質を上げて付加価値をつけていく。
『阿波硝子』は『阿波酒』や様々なものを入れ、その価値をさらに引き上げた。色とりどりに透き通った、統一規格のような『阿波硝子の器』。令和ではごく当たり前のガラス容器や瓶だ。
ガラスについては子供の頃から結構好きで、たまたまガラス容器、ジャム瓶(口径部が大きもの)や飲み物を入れる瓶(口径の小さいもの)の作り方というものを調べたことがあったので、それを参考にした。
砂による『手込め』での鋳造でガラス瓶の金型を作る。金型の素材は鋳鉄。鋳鉄は、鉄と炭素、ケイ素を主な成分とする合金。これは『鋼』よりも炭素を多めに入れて作る。
金型は確か五つくらいあったっけ。確か…
・粗型:びんの原型となる大まかな形状を作るもの。
・口型:びんの口の部分を成形するためのもの。
・底型:びんの底の部分を作るためのもの。
・仕上型:粗型で作った形状を最終的な形に整えるもの。
・プランジャー:びんの口の内側を形作るもの。
まずはこの金型の原型を木製で作る。
とはいえ、令和の大量生産の機械化されオートメーション化された部品ではなく、全てが人の手によるものになるから、金型も試行錯誤だ。ものすごい数の失敗があって、やっと形になった。瓶の蓋の部分もガラス製品で、『ねじふた』で密閉できるようになった。
大量に発生した失敗したガラス瓶は全て砕いてカレットとして再利用することになった。
兎にも角にも『手込め』で鋳造ができるようになったことで様々なものが統一規格量産できるようになった。セラミックも金属も。
これが意味することは『武器』すらも量産できるということ。つまり『種子島(鉄砲)』や『大砲』すらも。
そう考えると思わず背中に冷たいものが走った。
この時代(1532)、まだ『種子島』(1543)は日本には来ていない。
おそらく、ここまで技術力の上がった阿波の鍛治職人たちにとって、それは難しいものではないだろう。
実際のところ、彼らは私が記憶していた佐賀藩のつくったと言われる『アームストロング砲』の製作に着手している。それはたまたま動画サイトで見たものだった。当時作られたものの仕組みを説明したものだった。
なんと『長慶おじさん』が『大砲』で連想した私のその記憶を『絵巻もの』にしたのだ。かつての『バリスタ』や『弩』のように。
それを見た海雲達が作ることにしたのだ。流石に他のもののようなわけにはいかず、成果自体は上がっていないけれど。内心それに安堵しつつ、それでも対『南蛮』対策には必要なんだろうなとはわかってはいる。
因みにどうして『アームストロング砲』? なのかは、いつもの如くうちの旦那の影響もあったんだと思う。
逆にこの時代の『大砲』の仕組みがわからないので、これも『現物』が手に入ってからなんだろうなと思ってる。
随分ときな臭い話になってしまったけれど、この時代自体がそんな時代なのだ。
たまたま『阿波三好』が引きこもっているからつい忘れそうになってしまっているけれど




