千熊丸の一大決心!
室町末期というか戦国初期という時代は令和からみると何にも無い。
寝床にしたって煎餅布団すらもない。ほぼ床のような畳のようなところで寝ている。身体壊すだろう。
戦がなくても短命なんだっけ。
食事も…… 風呂も、トイレも……
いや、戦争とかしてる場合と違うで。
旦那の言ってたサバイバル生活とほとんど変わらんというか、食事事情的にはそれ以下か。
三好宗家の嫡男なのに。動物性タンパク質がほぼ全くない。
これは、近畿に出ていくレベルじゃないな。地元の生活向上が先やろ。子供三人育てた主婦感覚でもあかんていうのはわかる。
しかも、めちゃ寒い。よく考えたら、三好って山に囲まれてる。徳島市内と比べて寒くて暑い。そんなことをぶつぶつ頭の中で呟いてたら、長慶さんが、まだまだ世情が安定していないからだと説明してくれた。
つまりは攻められにくいところに城を築くということらしい。
もちろん三好の拠点は『勝瑞城』だと聞いている。阿波細川家もその近くだと。
『勝瑞』… 昭和、平成、令和の記憶を手繰り寄せる。遺構のようなのはあったような。
JRの駅はあった。でも、そんなに阿波の中心部だったという感じは多分全くなかったのだ。
確か長曽我部に攻められて落城した後、蜂須賀さんが徳島城を築く時に再利用したっていうのは遠い昔聞いたことがある。寺社とかも移したんだっけ。
まだ戦国のそこに未だ足を踏み入れたことはない。
長慶おじさん的には私のこの認識を残念に思っているのはわかる。
でも徳島市内で生まれ育った自分としては、どうしても眉山と海が見たい。
お城は見たことはないけれど、どうせなら徳島城公園のあの位置にお城築きたいと思ってしまうのだ。
う〜ん、それにはお金がかかるし、やっぱり内政だな。中央より、阿波。四国を安定させよう。
そう、長慶おじさんから任された三度目の人生は阿波国の内政、生活向上第一!を重視しようと決心したのは厠事情を始め、ここで生活していくにはどうにかしてほしい要求によるものからだった。
とはいえ、今の自分は三好長慶の子供時代、千熊丸でたかが三歳児(しかも数えだから実年齢二歳?)だ。できることは知れている。
とりあえず、この時代かなり貴重な紙を分けてもらって、記憶に残る転生あるあるノウハウ。かつて家族で色々試したサバイバルあるある。歴史的に先人の知恵(この場合、未来の知恵?)あるある。を絵と字で書き出していく。
それと必要なもの。今の阿波で手に入るもの、他の地域でなら手に入るもの、他国と貿易しないと手に入らないもの。思いつくままだけれど、ある程度は分類分けを紙の端の方にメモる。
傅役の篠原孫四郎(長政)は、そんな千熊丸を内心驚きながらも興味深く見ていた。
一体いつの間にこれほどまで手習いを上達されたのか。つい先日までのお手とはいささか違うように感じるのだが。
まるで上手とはいえないけれど、手習で豪快な筆遣いだったのが女人のような柔らかき文字…… 読みやすく一文字一文字をはっきりと書いていく。
つらつらと書き綴られる文字と見たこともない物の絵にも説明書きのようなものが書き加えられていく。
時折確認をとられるかのように聞いたこともない言葉を尋ねられる。
はて、さて、木の上から落ちられて一体何が若様の身に起こったのか。
どんどんと見知らぬ物が千熊丸によって描かれ積み上げられていく。
それを若様に言われた通り仕分けをし、台紙に貼り付け絵巻物のようにまとめていく。
お館様がお戻りになられた時にぜひお話ししなくてはなるまい。
嬉々として書き連ねる千熊丸を見て、傅役はそう心に決めたのだった。




