千熊丸のトラウマ(お歯黒編)
話は前後する。
確か、五、六歳の時だ。
ある日突然、父、海雲が、
「千熊、これよりしばらくの間は、城外より外に出るべからず」
「へ?」
思わず、気の抜けたような声が漏れた。
海雲を見ると、厳しい表情だ。
有無を言わさぬ、といったピリついた雰囲気。
何かやらかした?
謹慎?
頭の中でいろいろ思い出してみるけれど、全く身に覚えがない。
まあ、こういう時は素直に従ったほうがいい。
「承知しました。あ、でも、そうすると小一郎たちもお城には来ないのですか?」
「ああ、それなら大丈夫だ。ただし、城内で過ごせ」
みんな、お城を開けても大丈夫なのかな?
そう思ったら、
「こういう時は情報戦になる。それぞれが意識を共有できれば、綻びも起こらんからな」
とのこと。
「いつも通りにすることの意味も大きいですからね」
母上(春)が口にする。
父上(海雲)も頷いた。
母上によると、奥様方も今回の晴元少年と義維様の動きで動揺しているらしかった。
阿波三好勢(三好家とその家臣)は全く動かなかったけれど、阿波細川家や阿波足利家の直臣となると、一緒に行動しなくてはならないこともある。
むしろ、阿波三好が動かなかったから、ほぼ全てが動員されたようだ。
残された妻子は、不安を募らせているのが正直なところだ。
戦争って、殺し合いだから、勝っても無傷というわけではない。
亡くなる人もいるし、大怪我をして阿波に戻ってくる人もいるのだ。
そういった人たちから、父たちは現地の状況を把握し、情報を共有していく。
中には、父たちに動いてほしいという声も上がる。
けれど、それには応えず、阿波の守りを固めていく。
そういった意味も兼ねて、残された妻子を含めて交流を欠かさない。
通常運転をすることで、領内の動揺を鎮めるということらしい。
もちろん、妻子の送迎には、阿波三好の信頼のおける者をつける。
それぞれの城内の蓄えにと、土産も多めに渡していく。
母上も婦人会で他の城主のご婦人方と交流することで、積極的になってきている。
まあ、いいことだ。
ちなみに母上は、『お歯黒』をやめた。眉剃りも。
小さい頃から、怖くて。
数え三歳で『目覚めて』以降、何回か怖くて泣いちゃって、どうしても慣れなくて、我慢できなくて。
正直に話して、やめてもらった。
令和のおばちゃん的にも、『絶対ない』。
既婚者だから、わざと魅力的に見えないようにしてるんだろう。
まあ、令和の歯医者さん的にも、『お歯黒』は歯にはいいらしいんだけど。
口を開けたら真っ黒だもの。
怖すぎる。
この時代、男もするらしい。
戦場に行くと父(海雲)もするって聞いて、びっくりした。
そういえば、取った首の価値を上げるために、お歯黒を塗るって話、聞いたことある。
(怖すぎ。悪夢見そう)
歯磨きできないから?
歯磨きくらいしようよ。
それと、白粉も確か『鉛』が入ってるんだよね。
なので、それもやめさせた。
石鹸(植物油)も、歯ブラシも、磨き粉も、化粧水にクリーム、ファンデーションもどきも作った。
母上、十歳くらい若返った。
元々二十歳もきてなかったらしい。眉剃りとお歯黒と真っ白な白粉とで、三十歳は超えてる? って思ってたんだけど… 違った。(ごめんなさい)
父上、ときめいてる。
知ってるよ。
だから、同腹弟一人のはずが、同腹弟妹が増えてる。
すぐ下の弟は、史実では五歳差のはずが、四歳差だ。
そして今、母上のお腹には、史実にはいないはずの弟か妹がいる。
母上はほとんど表には出なかったのだけれど、婦人会をするようになってから、いろいろやっているようだ。
最初は眉剃りもしない、『お歯黒』もしない母上に、ご婦人たちは驚いていた。
けれど、なぜかそれが阿波で『流行』した。
確か、記念すべき一回目の交流会には、最初にあげた石鹸や歯ブラシ、お肌に優しい基礎化粧品とファンデーションのお試し品セットを、お土産に渡した。
それが効果があったらしい。
反響がすごかった。
若返り、美しくなっていくご婦人方の魅力に、夫君たちもメロメロになって、ベビーラッシュが続いている。
あまりにも反響が大きくて、今回、晴元少年と同行した人たちのご婦人方には、あえて『眉剃り』と『お歯黒』をしてもらっている。
不逞な輩防止のためだ。
子供たちには少し怖がられているということは、内緒だ。
そんなこんなで、しばらくの間、城内で過ごすことになった。




