千熊丸の春休み
この話で第五章完結です。次回より第六章開始します。
話は前後する。
『統一規格』の仕組みづくりに目処がつき、私(長慶)は少しだけの『春休み』を満喫していた。
――1534年、春。
阿波国・芝生城。
徳島城へ“四州近衛”の政所が置かれ。
阿波が“天領”として動き始めても。
芝生城だけは、少し空気が違った。
ここは、近衛孫次郎長慶稀仁が、“千熊丸”だった頃の場所。
未来の絵巻物を描き。
泥だらけで走り回り。
蜂に刺され。
窯を爆ぜさせかけ。
阿波の国人衆に囲まれて育った城。
だから今でも、この城だけは、
『四州近衛』ではなく、“千熊丸”へ戻れる場所だった。
―― 春の芝生城
「熊王丸ぉぉぉ!」
朝から(篠原)佐吉の悲鳴が響く。庭を、まだ幼い四歳の熊王丸(元長の四男)が全力疾走していた。
「やだー!!」
その後ろを七歳の千満丸(元長の次男)まで笑いながら追いかける。
「捕まえろー!」
「お前も止める側だろうが!」
完全に収拾がついていない。
さらに六歳の彦次郎(元長の三男)まで混ざった。
「兄上ー! 蜂逃げたー!」
「何でだよ!?」
佐吉が頭を抱える。
――
一方縁側では、十二歳になったばかりの少年が難しい顔で帳面を見ていた。
近衛孫次郎長慶稀仁。
正二位。天領四州稀人特別区管理職。
だが今は…
「殿(長慶)」
小一郎――篠原長房が静かに言った。
「港予算が足りません」
「また!?」
「あと寺子屋増設」
「橋補修」
「備蓄蔵」
「全部足りません」
私(長慶)は頭を抱える。
そこへ、
「兄上ーー!」
熊王丸が突っ込んできた。
「蜂ぃぃぃ!!」
「うわっ!?」
その瞬間、背後から佐吉が飛び込む。
「捕まえたぁぁ!」
庭が騒然となる。
―― 芝生城の空気
小一郎がため息を吐く。
「……政所より騒がしい」
「比べる相手そこ?」
苦笑する、私(長慶)。
しかしその顔は、徳島城にいる時よりずっと年相応だった。
―― 海雲
廊下の向こうでは、海雲――三好元長が、その様子を静かに見ていた。
「……まだ子供じゃな」
ぽつり。
傅役だった篠原孫四郎(長政)が
「ですが、皆もう若様(長慶)を“大人”として見ております」
「うむ」
海雲は目を細める。
十二歳になったばかり。
本来なら、まだ親へ甘える年だ。
だが今の千熊丸(長慶)は違う。
四州を背負い。
帝の詔を受け。
天領制度を動かしている。
だからこそ、
芝生城だけは必要だった。
―― “千熊丸”へ戻る場所
「兄上ー!」
今度は千満丸だった。
「窯見ていい!?」
「駄目」
「えー!」
「昨日倒しかけただろ」
「ばれてた」
千満丸に呆れる、私(長慶)。
周囲の側近たちが笑った。
徳島城では、まず見られない光景だった。
―― 体験学習
昼。
芝生城の子供たちは、今日も体験学習へ連れて行かれる。
阿波紙。
太布。
養蚕。
ガラス。
阿波焼。
阿波の産業を、身体で覚える取り組みは、続けられている。
―― 阿波紙漉き
「いいか」
一宮次郎九郎――成助が子供たちへ言う。
「紙は、国の血じゃ」
子供たちが首を傾げる。
「手紙」
「帳面」
「法」
「地図」
薄い阿波紙を持ち上げる。
「全部、紙が要る」
千満丸が真顔になる。
熊王丸は半分水遊びしている。
「冷たーい!」
「遊ぶな!」
佐吉が即座に怒鳴った。
◆ 芝生城の記憶
少し離れて見ていた私(長慶)は、静かに昔を思い出していた。
自分たちも、こうだった。
紙を漉き。
蜂に刺され。
塩を作り。
布を織り。
そして覚えた。
国とは、“人が生きる仕組み”だと。
―― 未来の種
海雲が静かに言う。
「おぬしが始めたことじゃ」
「俺だけじゃないよ」
私(長慶)は首を振る。
「皆でやった」
それは本心だった。
未来の絵巻物だけでは、国は変わらない。
実際に動いたのは、父、海雲を中心とした阿波の国人(大人)たちだ。
芝生城へ集まり、未来を信じ、少しずつ作った。
―― 婦人会
一方、奥では婦人会。
「最近、本当に赤子が助かるねぇ」
年配の女が言った。
周囲が静かに頷く。
湯。手洗い。煮沸。清潔。
それだけで、世界が変わった。
―― 阿波の変化
「便所も変わったしねぇ」
「臭い減った」
「虫も減った」
阿波式コンポスト便所。
最初は皆、妙なものを」と言っていた。
だが今では違う。病が減った。
井戸が汚れにくくなった。
畑が肥えた。
結果が全てを変えた。
―― 夕暮れ
日が傾く。
芝生城の庭。子供たちは遊び疲れて転がっていた。
千満丸は煤だらけ。
熊王丸は泥だらけ。
彦次郎は眠そう。
その光景を見ながら。
私(長慶)は、静かに息を吐いた。
◆ 海雲の言葉
「千熊丸」
海雲が、呼んだ。
私(長慶)は振り返る。
「ここでは、それでよい」
静かな声。
「徳島では、“四州近衛”でおらねばならぬ」
「……うん」
「だが芝生では違う」
海雲は、眠そうな弟たちを見る。
「おぬしは、兄でよい」
風が吹いた。
春の匂い。
遠くで子供たちの笑い声。
十二歳。
既に国を背負っている。
だが。
芝生城だけは。
未来を作る“稀人”ではなく。
弟たちに振り回され。
側近たちと笑い。
飯を忘れて怒られ。
蜂から逃げ回っていた、『千熊丸』へ戻れる場所だった。




