回想15 枕元のてんしさま
マダム・ミリーの授業を聞きながらも、マリーはどこかうわの空だった。
突然、部屋の扉が開かれた。息を切らした侍女が叫ぶ。
「ま、マリー様!」
「何をしているので「目がッっ!」
マダム・ミリーが眉尻を吊り上げて声を荒げるが、侍女は言葉を遮って大声で伝えた。
マリーは弾かれたように立ち上がると部屋を飛び出した。
マリーダも一足遅れて追いかける。けれども、その背中はどんどん離れていった。授業を抜け出す時、いつも彼女が足並みを揃えてくれているのだと言うことを、嫌でも理解する。マリーは誰よりも早く走れるのだ。マリーダの肺のあたりに痛みが走った。
こどもがいる部屋にたどり着くと、マリーは扉の近くに立っていた。肩で息をしている。数回、落ち着けるようにゆっくりと息をすると、こどもに近づいていった。こどもの目は開いていたが、まだ薄ぼんやりとしていた。マリーはベッドの枕元へ着くと、ドレスが汚れることも厭わずに、両膝をつく。そうして、そっと、こどもの手をとる。こどもは緩慢な動きで顔を動かすと、マリーを見た。その黒目がちな瞳には、白っぽいマリーの姿がはっきりと映り込んでいた。
「てんし…さま……?」
こどもの声は、低く、ざらつきのひどいものだった。こどもは、叱られる前の子の顔をした。マリーは、何か言おうと口を開けていた。だが、マリーが言葉を紡ぐ前にこどもが言葉を紡いだ。
「ぼく、は………ここに、いても……いいの?」
小さくマリーが息を呑んだ。こどもの目はどこまでも澄んでいた。まるで懺悔しているようにも見えた。そうしてマリーは、微笑んだ。
「えぇ………えぇ。いくらでも、居てもいいのですよ」
こどもはひどく安心したように息を吐き出すと、マリーの手をかすかに握り返していた。瞼がゆるゆると下がっていく。
「あった、かい」
そう言うと、こどもは完全に瞼を閉じた。手の力は、緩んでいる。マリーは焦ったように手を握る力を強めた。マリーダは、マリーの肩を掴む。
「マリー、大丈夫」
マリーダは、こどもをまじまじと見つめる。かすかに鼻腔が動いており、掛け布団がささやかに上下していた。
「大丈夫。寝てるだけよ」
力が抜けたマリーは握ったままのこどもの手に額をつけた。マリーダはそんなマリーを後ろから優しく抱きしめた。マリーの背中は、小さかった。




