第一章 発生④
建物の外では感染者たちを焼き殺すかのように、道路に火が走る。火はまるで意思を持った生き物のように道路を走り、感染者たちに襲い掛かる。
「まるで地獄だな…」
林田が呟く。それに同意するかのように静かに頷く仲間たち。
「そう言えば、どうして七階に…?合流地点は屋上だったはずじゃ…」
真理子が尋ねる。すると林田に代わり宗田が口を開いた。
「それが、私にも分からないんだ…。我々も装具を身に着けた後、エレベーターに乗り込んだ。そしてボタンを押していないのに、七階が光っていてね。それで、仕方なくここに…。十字路に着いたとき、ほかの部門のメンバーも集まってきたんだが、そのうちの一人が感染していてね、仲間たちは次々に感染したよ…」
真理子は宗田の会話の中に何かを見つけたのか、パソコンのメモ画面を開いた。
“関東が発生源?”
“飛沫・接触・空気感染のどれかまたはそれ以外?”
“ウイルス・細菌の両方の特徴”
“感染者は音に反応する”
「マリちゃん、何してるの?」
西条たちが集まってくる。真理子は「今までの発生状況と、感染者たちの状態を記録してるんです。もしかしたら、何かのヒントになるかもしれないと思って」と答えた。
文字を打ち込んでいくにつれ、真理子の頭の中はある違和感でいっぱいになっていた。
「発生源は関東…でもそんな報告なかった…。各研究施設も、あのCDCにも報告はない…日本だけ?でも何で…」
真理子は自分の記憶を辿った。
今回の事態を初めて聞いたのは今朝だった。おばちゃんから聞いた。でもそんなニュースはどこにもやってなかった。関東と連絡も取れないって言ってた。病原体のサンプルを分析したのも今日…これは課長から。関東と連絡が取れないはずなのに、どうやってサンプルが…。西条さんと私のサンプルを分析した結果、未知の病原体が検出された。先にこの病原体に気付いたのは西条さん。“ウイルスとも細菌とも取れる”って言ってた…そして感染者が関西にも出た。瞬く間に感染は広がって今はこの施設内にも…。
「もしかして、この事態が起きたのって…人為的なもの?」
真理子はもしかしたら、何者かが意図的にこの事態を引き起こしたのではと思い始めた。今までの会話の中で、自分が違和感を感じる場面がいくつもあったからだ。けれど、今のこの状況の中で事態を引き起こした犯人を捜すのは無謀すぎる。怪しいと思う人、節がありすぎる…時機を見ないと…と真理子は心の中で思った。
「きゃああああ」
どこからか悲鳴がした。声の主を探すと、物凄い形相で自分の手のひらを見ながら体を震わす薫だった。
「あ…相田さん…それ…」
瞬く間に体が真っ赤に染められていく。その正体は水疱だった。
「こ、これ…私、感染したの…?体が…」
薫は膝から崩れ落ちた。薫の傍から人が離れて行く。助けを求めるかのように手を伸ばす薫。真理子は薫の体を見て言葉を失った。症状の進行スピードがとてつもなく速い…それに今までに見たことのない症状だった。
「あ、相田さん…今、一番つらいのはどこ…?」
「…体が痛い…関節が外されてるみたいな痛み。それに熱もあるみたいで、体がすごく熱いの…」
薫の体に出た水疱はあっという間に膿疱へと変化した。そして膿疱がパンパンに膨れ上がり、ついに破れた。破れた部位からは緑の膿が流れ出す。思わず体が引ける。
「な、にこれ…みど…りの…えき…たい…」
「相田さんっ!苦しいの?呼吸が出来ないの!?」
真理子が声を掛けるも、すでに薫の反応がない。体の力が抜けているのが目で見て分かった。首筋に指を当て、胸の動きを見る。上下の運動がない。呼吸が止まったことを示していた。首筋に当てた指にも何も伝わってこない。薫は自分の目の前で息絶えたのだ。
「感染者ってことですよね…相田さん。でもほかの感染者たちはまだ動いてます。それに…」
「どちらにせよ、相田さんは亡くなったんだよ…マリちゃん…」
西条が真理子を落ち着かせようとするが、真理子は何かを考えていた。
「解析部門で会ったとき、普通に見えたんです。そのあとに顔が赤いかなと思ったけど、それは大声を出したからだと思ってた。でも、もしそれが感染の徴候だったとすれば、感染してから発症まで一時間ほどしか経ってない…そんなに早く発症する感染症って、一体何…?あの病原体は…?もし飛沫感染だったら…接触感染かもしれない…ううん、空気感染かも…」
「マリちゃん、落ち着くんだ。とりあえずここから出よう。相田さんは良く分からない病原体に感染したんだ。もし空気感染だったとしたら、我々も危険だ。ひとまず…」
どこからか低い唸り声が聞こえてきた。その声は部屋の中からだった。
「あ、相田さんが…生き返る…」
牧野が言った。“生き返る…?”まさか本当にゾンビってこと…?
「う…そ…。そんな…まさか…」
そう言ったのは雅子だった。雅子はあまりに驚いているのか言葉を失い、顔が真っ青だった。真理子は雅子に近寄り、そっと背中をさする。
「みんなで屋上へ逃げませんか…?屋上なら鍵も掛けられるし、空からでも見つけやすいですよね?みんなで行きましょう…」
真理子はそう声を掛けた。林田、宗田が荷物を持ち陣頭指揮を執る。
「そうだな。いつまでもここにいることは出来ない。こんなこと言ったら罰が当たるかも知れないけど…相田さんが奴らみたいになる前にここから避難しよう…」
「ええ。そうですね…あ、俺も荷物持ちますよ。じゃあ、俺が先頭を歩くんで、皆さん落ち着いてついてきてください」
西条が先頭を歩き始める。その後ろを残った仲間がついていく。真理子も西条の後をついていくが、どこか腑に落ちない様子で部屋の中を見回していた。非常扉を開け、階段通路へ出ようとしたとき、聞いたことのない悲鳴が後ろから聞こえた。
慌てて振り向くと、宗田だった。彼の背中にはまるで虫のように張り付く薫の“死体”。
「課長!誰か手を…手を貸してくださいっ!」
「マリちゃん、逃げるんだ…私のことは良いから早く逃げなさい。ほら、振り向かないで早く、西条君のところへ…ここは私が何とかする…だから…君は生き残らないと…」
「課長…申し訳ありません…。…マリちゃんごめんな…」
西条は宗田に一言謝ると、真理子を抱えた。少しでも早く屋上へ行かないと…。西条の頭の中は真理子を守ることだけでいっぱいだった。腕の中で暴れる真理子を押さえながら屋上へと続く階段を上っていく。
先に到着していた仲間に真理子を渡し、屋上の扉を閉め、鍵を掛ける。
「何で!?何で課長を見殺しにしたの!?」
真理子は泣きながら訴えた。しかし、西条は口を堅く結び言葉を発しない。西条はただ、屋上から身を乗り出し地上の様子を伺っていた。空を見ても救助はない。地上には焼けた感染者の遺体と、黒焦げの建物。目の前には黒煙。真理子の言葉など耳にも入っていないかのように振る舞う西条を見て、真理子は心底落胆した。
「もう終わりだよ…こんなことになって、病原体の分析も出来なくて…私の人生、もう終わったんだよ…」
その場に崩れる真理子。そっと近づく西条に気付いたが顔を見る気にもなれなかった。
「悪かった…。すまない。でも、分かってほしい…あの時は、ああするしかなかった。君は助かった。だからそんなこと言うな…。分析だって装置さえあればまたできる」
西条は真理子にそう言って、小さなジュラルミンケースを手渡した。鍵は掛かってない…静かに開ける。中にはクッション性が高いスポンジが敷かれ、手のひらに乗るくらいの小瓶が大事そうにしまってあった。
「これ……」
自分で読み返しましたが、まあまあのグロさですね…
何でこんな設定にしたのやら…