第25話 湖水の妖異
「おーい、リン! フィル! 大丈夫なのかぁ」
上のほうから、レッドの声が聞こえてきた。
おれは、上体を起こし、首をめぐらせてみるが、レッドをはじめとする、”八月の涼風”のメンバーの姿は見えなかった。
すこし離れたところに、地底湖から数本、橋架が突き出ているところがあるので、その上に彼女たちはいる、ということなのだろう。
「うん、こっちは大丈夫だよ」
リンが答える。
「別ルートから、そっちと合流できるようにするから、そっちはそっちで、探索を続けてみて!」
「了解!」
改めて、おれは明かりの呪文を唱えると、光源を作り出した。
ストレージから、エーテル・リンケージを取り出す。
ソフィが、おれたちが着地した周辺の地図を描いてくれていたが、まだ、地底湖の形が表示されているだけで、全体はまだ、わからなかった。
「リン……すまない。巻き込んじまった」
「気にしない、気にしない♪ ぼくも咄嗟に、飛び込んじゃったからさ」
歌うように、リンが言った。
「謝るよりもさぁ、ゆうちゃんを褒めてあげて欲しいな。だって、ぼくとフィルをがんばって、あの高さから下ろしてくれたんだからさっ」
おれは、リンの肩に留まっているゆうを見た。
指を伸ばそうとすると、ゆうは翼を広げて、威嚇してきた。
「わっ……うーん、嫌われてしまったようだ」
「ふふっ、慣れるのには、少し時間がかかるかもね」
おれは肩をすくめると、リンに続いて、地底湖の傍らを歩いていった。
まずは、目の前の地底湖の湖岸をぐるっと歩いてみることにした。
湖とは言うが、水深はあるが、大きさはそれほどでもない。
ただ——水底には、得体の知れないものが泳いでいるようだった。
こちらの階層は、段丘のように、高低差のある岩場のところどころに水が貯められており、急斜面や滝などがあちこちに見られた。
一周しようとすると、湖面が突然、盛り上がった。
水飛沫を浴びそうになって、おれたちはその場から飛び退った。
黒々としたシルエットを持つ、巨大なものが湖面から姿を現した。
黒い長虫のような身体に、腕と脚がついている。
ただ、腕も脚も長さのバランスが悪く、歩くのですら、苦手そうに見える。
ゆっくりと、こちらへと身を乗り出してきた。
——のたうつ│汚泥だ。
汚染された大地を象徴する、呪われた生物だ。
奈落の孔と呼ばれるダンジョンの底を徘徊し、時にそのダンジョンから溢れ出して、近隣の村や町などを襲撃することもある、異形の存在。
それが、ここにいる、ということは、この遺跡は奈落の孔と、どこかで繋がっているのかもしれない。
「レイドアーマー展開。ガーディアン・アーマー、スプレッドアウト」
おれは、口のなかで唱えると、左手を脇腹へと持っていった。
イグニッションリングが光り、おれの全身が赤い光に包まれる。
左手、左脚の末端から光の部分が鎧へと換装されていく。
胸当て、胴衣、そして、右手、右脚と順番に光は鎧へと変わり、ガーディアン・アーマーとなっていった。
ガーディアン・アーマーは、精神抵抗と防御力に特化したレイドアーマーだ。
奈落よりのものが放つ精神汚染の効果にも、ある程度は抵抗することができる。
のたうつ汚泥など、奈落の孔から染み出す異形の存在は、奈落よりのもの、と呼ばれている。
破壊衝動の塊で、肉体と精神を汚染されると、死の欲動へ導かれてしまうことがある。
戦闘はなるべく、避けたほうがいいのだろうが、見逃せば、不意打ちを食らったり、または”八月の涼風”のメンバーたちと遭遇する可能性など考えると、ここで倒しきったほうがいいのだろう。
おれは、│斬奸刀の”│剣王の│矜恃”を構えた。
奈落よりのものと戦うのは、これがはじめてではない。
アリアンフロッドの任務として、奈落よりのものの討伐も含まれているからだ。
リンが、おれの横に並んだ。
刀を装備している。
肩に乗ったゆうが、おれに向かって鋭く、翼を広げてみせた。
おれひとりでも、のたうつ汚泥ぐらいなら、対処できるのだが、ここは、さっさと討伐を果たしたほうがいいのだろう。
水を撒き散らしながら、のたうつ汚泥が岸へとあがってくる。
ぐるぐると体を回転させて、移動してきた。
『ソフィ。《レジスト・ガード》を展開』
レジスト・ガードは、『大地神の祝福』の下位スキルのひとつで、精神抵抗力を増すものだ。
もとは、呪文の悪影響を軽減するためのものだが、精神汚染にも効果はあるのだろう。
おれは”剣王の矜恃”を左手で振り上げた。
地面を蹴って走り、勢いをつけると、体を回転させた。
斬奸刀を振り回し、最後に跳び上がると、上段から”剣王の矜恃”を振り下ろす。
コンバットアーツの「ワイドファング」だ。
範囲ではなく、個体に複数の打撃を与える技。
剣の刃がオレンジに輝き、いくつもの欠片に分裂した光が”剣王の矜恃”から射出される。
風が吹き、おれの前髪を舞い上がらせた。
輝きは、矢のように、のたうつ汚泥に迫り、その黒い体に突き刺さった。
聞くに耐えない、叫び声があがる。
長虫状の体を折り曲げ、腕と脚をばたつかせた。
体表に、裂け目が現れる。
その裂け目のひとつが大きくなり、のたうつ汚泥の内部が覗いた。
いくつもの、人間の胴体や頭部、上半身、脚などが集まっているのが見える。
おそらく——ここを探索していたレイダーたちの肉体だろう。
死にきれず、のたうつ汚泥の一部として、生かされているのだ。
ひとつ、判断を誤れば、おれもその仲間入りをしている可能性だってあるのだ。
その死にきれない身体たちが、いっせいに音をたてはじめた。
頭部は声をあげ、腕や脚などは互いを打ちつけると、その音が波となって、押し寄せてくる。
音の風が、おれたちへと迫ってくると、全身が重くなった。
空気が粘りつき、同時に肌の上に痺れのようなものが走る。
身体を動かすのに、億劫に感じた。
のたうつ汚泥の攻撃、「痺れの風」だ。
これを何度も重ねがけをされると、麻痺したように、まったく身体を動かせなくなってしまう。
おれの隣で、リンが刀を振り上げた。
│呪符が、その身体の周りで舞う。
肩からゆうが飛び立ち、のたうつ汚泥へと向かっていく。
翼を大きく、羽ばたかせる度に、その身体が巨大化していった。
『我は射る、「ライニグドの一指」よ、仇敵を│誅するがために、雷撃の翼もて、なべてを│破砕せよ!』
リンが│呪句を唱えると、ゆうの全身が黄色い輝きに包まれる。
加速しながら、まっすぐ、のたうつ汚泥へと一直線に飛翔していく。
ゆうは、ひとつの矢じりとなって、のたうつ汚泥を貫いた。
断末魔、なのだろうか——のたうつ汚泥が身体を震わせ、聞いているこちらの臓腑が捻れるような音を発した。
文字通り、のたうちまわりながら、体表の色を黒から紫、青、そして、透明へと変えていく。
そして、のたうつ汚泥の全身が燃え上がった。
炎に包まれ、いくつもの欠片に分離し、ずるずると、湖へと飲み込まれていった。
おれは、死にきれなかったレイダーたちの身体の集合体もまた、湖底へと沈んでいくのを、黙って見守った。
既に、肉体たちには意識などなく、ただ、のたうつ汚泥に利用されていただけだが、苦しみから解放させてやることは出来たのだろう。
ばさり、と音がすると、ゆうがリンの肩に降りるところだった。
目と目が合うと、何だか自慢気に見られているような気がした。
止めを刺したのはおれのほうだからな、と視線で語っているみたいだった。
「……行こう」
もう一度、おれはのたうつ汚泥が消えた湖面に視線を送ると、歩き出していった。




