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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第4章 罪と夜明けの記憶
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罪と夜明けの記憶 7


『一族のための大事な儀式』の準備を命じられたと思しき使用人たちがばたばたと走り回り、にわかに慌ただしくなっていく様子を横目に見ながら、珠姫は収穫籠を持って楓屋敷を出た。


 採取を命じられたのは野葡萄、そして立葵と錨草。どれも薬の材料になる植物だが、いささか時期外れのものが含まれており、言われた通りに十分な量をすぐに集めるのは難しい。


(帰ってくるなと言われているんだろうか)


 最後まで旭の姿どころか気配すらなかったことも気になった。儀式に備えて別の場所にいるのだとしても、当主たち一族の主要な顔ぶれに次期当主が不在なのは妙な感じがする。


 不安を煽るように、ごろごろごろ、と曇り空に雷鳴が轟いていた。まだ雨の気配はないけれど、暗い雲のせいで森にはすでに薄い闇が降りてきている。じきにすべて闇に沈むだろう。


(……早く言われたものを集めて帰った方がいい気がする)


 妖除けの巫術を欠かさずにかけて、森の奥へ急いだ。


 花期を迎えている立葵はすぐに見つかった。両手で地面を掘り、根から採取する。

 夢中で手を動かす珠姫を、重く湿った空気が取り巻いている。嫌な汗がこめかみを伝った。生温い水に浸かっているようで息が苦しい。


(急がなくちゃ)


 森を歩きながら目を凝らす。錨草は花が終わっているから一目では判別できない。歩き回って、他の草木を掻き分けて、やっと三つに分かれる特徴的な葉を見つけた。


 しかし立葵や錨草はあっても、野葡萄が見当たらない。


(やっぱり時期が早過ぎるんだ)


 野葡萄の実は秋に生るもので、夏のいまは花が終わったかどうかという時期だ。運良く見つけられても採れる実はほんのわずかで、『たっぷり』集めるには、もう少し足を伸ばす必要があるだろう。


 気付けば、辺りはずいぶん暗くなっている。


「…………」


 才能豊かな旭から巫術を習ってはいるけれど、珠姫はまだまだ未熟な巫術師見習いだ。使えるのは結界や魔除け、守護の巫術で、妖祓いの経験は一度もない。

 楓屋敷の屋敷林の向こうは結界の外だ。屋敷から出たことがないため、近くにあるという人里の所在を知らず、助けや避難場所の見込みがないまま、闇深い森へ踏み入ってもし妖に襲われたら――。


(――だから、なんだっていうの?)


 助けてもらえるとは限らない。いまだって誰も助けてくれないのだから。

 期待なんて無意味だ。どこへ行っても同じ、自分の身は自分で守るだけ。

 ――旭だけが、特別だ。


 乾いた笑みを零して、珠姫はさらに森の奥へ分け入った。


 昼なお暗い森にはひと足先に夜が訪れる。

 手頃な枯れ枝を束にしたものに巫術で火を灯す。

 わずかに残る陽の光を頼りに、野葡萄が生えていそうな日当たりのいい場所を探す。日があってもここまで足を向けることは稀だから、よくよく目を凝らさなければ見逃してしまうだろう。


(欲しいものを探し当てる巫術ってあるのかな。ないのなら作ってみたいな)


 この世にある巫術は、古代の巫女や神官から始まって、やがて蘇芳一族のような由緒正しい巫術師たちがまとめ、いまなお改良を加えたり新しく作り出されたりしている。なかには未来を予測する『先視』や人の心を読む『読心』のように特定の一族のみに伝えられるものもあり、宮廷巫術師もそれ以外の一族出身の巫術師も、市井の辻術師たちも、優れた巫術を生み出そうと研究に余念がない、と旭が話してくれたことがあった。


(いつか新しい巫術を作ろう。もっとたくさんの巫術を使えるようになるんだ)


 枝葉の絡みつく空の果て、この森を抜けた向こうに、その『いつか』がある。

 いま珠姫がこうしているのも、きっと次の当主になる旭のためになるはずだ。そう思うから耐えられる。誰に褒められなくても、悪し様に言われて理不尽な暴力に晒されたとしても頑張れるのだ。


「……あっ!」


 周囲に比べて闇の色が淡く見える、晴れた日の昼中であれば日差しが差し込んでいただろう場所に、探し求めていた野葡萄があった。しかも熟して黒くなったものが鈴生りで、普段のように採り過ぎないように加減する必要がないほどだ。


 簡易の松明を消して、野葡萄の実を手早く摘み取っていく。手が汚れれば汚れるほど、籠に黒い実が増えるほどに植物特有の青い匂いが強くなる。


 ふと、それが別のものに変わった。


 異様な気配を感じた珠姫は、すん、と鼻を鳴らして顔をしかめた。


(……獣の臭い? だけど、何か……)


 生臭い、湿っぽく饐えたような腐敗臭は、とても生き物が放つものとは思えない。

 思わず手を止めて、原因を探して振り返る。


「――……え?」



 巨大な獣がそこにいた。



 はっはっはっという忙しない呼吸と強烈な臭気が吹き付ける。ひくつく口元からは不揃いの牙が突き出し、汚泥に似た涎がぼとぼとと滴っていた。赤黒い毛皮の下には何がいるのか、蛇のようなものがのたうって獣の輪郭を歪ませている。



 ――妖。その、異形の獣の姿を得たものだった。



「っ!」


 そうと理解する前に珠姫は横に跳んだ、そこに妖が突っ込んできた。受け身を取れずに転がるも、体勢を整える間もなく走り出す。視界不良と焦燥に駆られて思い切り木にぶつかり、石を踏みつける。呼吸が整わず胸部と喉が引き攣る。しかしそれらの痛みや苦しみよりも恐怖が勝った。


 妖は、生き物を喰う。人が食事をするようにそうやって力を得て成長する。


 珠姫の妖除けの巫術が効かないのは高位の妖だからだ。こんな弱々しい子どもは格好の獲物だろう。このまま逃げ回っているだけでは必ず追いつかれて喰われてしまう。


「っ、[四竜の大前おおまえに (かしこ)かしこみもまおす]!」


 ならば、反撃に転じる以外に道はない。

 宣詞のりとを唱えながら素早く複数の印を結んで振り返る。

 妖祓いの巫術を使うのはこれが初めてだった。だからありったけの力と祈りを込めた。


「[祓え給え、清め給え、守り給え]!」


 妖めがけて両手を大きく解き放つ。

 獲物が攻撃する、それも巫術を使うとは思わなかったのだろう。妖は珠姫の浄祓せいばつの力の直撃を受け、ぎゃああ、と悲鳴を上げた。



 けれど、それだけだった。



「え……」


 浄化されたはずの空気が、一瞬にして穢れの腐臭に染められる。

 焼かれて消えようとしていた妖の尾が、足が、再び出現する。まるで何事もなかったかのように。


「…………う、そ……」


 珠姫の術は確かに妖を焼いた。しかし、弱すぎた。


「ぁぐっ!」


 すぐ逃げ出すべきだったのに呆然と立ち尽くしていた珠姫を、妖の足が地面に押さえつけた。

 屋敷の者たちと違って妖は力加減などしない。骨が軋む音が聞こえるほどに押さえ込まれて息ができなくなる。


「……[四竜の]……っぅ、[大前(おおまえ)]……!」


 声が出ない。手が動かせない。

 痛みと恐れで思考がまとまらず、神に祈ることも叶わない。

 ――唯一無二の巫術ぶきを奪われた。


(誰か)


 なんとか逃れようと必死にもがくと、押しつぶす力が強くなった。

 みしり、と胸と肩の骨が悲鳴を上げた。呼吸がままならず息を求めてはくはくと喘ぐ。


(誰か)


 痛いことも苦しいこともたくさん知っていた。怖いと思うときもあった。それらは心を殺してじっと耐えていれば、動けなくなろうが傷ができようが、いつか終わるものだった。


 でも、いまは違う。


 終わりは、死だ。痛みも苦しみも、恐怖も、喜びも希望も夢もない。


(誰か誰か誰か)


 そうして救いを求めた珠姫が彼を呼ぶのは必然だった。




 ――旭。助けて。




 漆黒の視界は、刹那、ぱっと眩い朱色の光に染まった。

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