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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第3章 贖え、命をもって
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贖え、命をもって 2


 墨月一族当主宛に『邸に現れる妖を祓ってほしい』という嘆願が届いたのは、上巳の祓が終わって桜も綻び始めた頃だった。


「大姫のもとに、妖が現れるのです」


 貴族らしくふっくらとしていただろう頬をげっそりとさせて、池田式部少輔は言った。


 なんでも、人の言葉を操る妖が夜毎現れては一番目の姫に語りかけてくるのだという。

 朝を迎える頃には退いていくのだが、何を言ってもどう宥めても聞く耳を持たない。眠ることができず参ってしまった姫のため、妖祓いをしようと巫術師を呼んだが、これが逆効果となった。妖を怒らせてしまい、とうとう大姫や他の者に危害を加えるようなことを言い始めたらしい。


「墨月殿が上巳の祓で他家を圧倒する力を示したと伺い、藁にもすがる思いで、文を差し上げた次第です」


 妖のことがすでに噂になっているのか、池田邸やその周辺にはまるで人気がなかった。邸内もひっそりしており、北の方や下の姫たちは避難し、使用人たちも大半が逃げてしまって、ずいぶん侘しいことになっているようだ。


「姫を近付けないように結界を張れば妖は諦めると言われて……まさかこんなことになるとは」

「結界で追い払える妖はそもそもこんな街中に現れません。その巫術師は下手を打ちましたね」


 穏やかながら冷たいものを滲ませる玄夜に、池田氏は小さくなっている。

 だが彼が冷笑しているのは対処を誤った巫術師の方だということは、後ろに控えている珠姫でもわかった。


 人里、それも皇都のような結界に守られた場所に現れる妖はそれなりの力を持った上位種だ。人や動物を食らって力をつけるだけの知恵も回る。もしくは、巫術師の使役する妖である可能性も考えられた。

 従ってこの場合は戦って祓うか、捕縛するか。他に被害を出さないために追い払う以外の対策を講じる。


「念のため、その巫術師をお調べになった方がいい。その杜撰な対応は式部少輔や大姫に思うところのあってのことかもしれません」

「まさか、恨まれていると?」


 池田氏の顔が青くなる。政敵が巫術師を使って呪詛をかけることはままあるという。摂政や大納言など上達部は普段からお抱えの巫術師に身を守らせているが、式部少輔のように一般的な貴族、政争に関わらない者が命を狙われることはそうそうない。恨まれるような心当たりもないのだろう。


「………もう……」


 几帳の向こうから涙に震える細い声がした。


「……もう、妖の言う通りにした方がいいのかもしれません……」


 妖の標的になっている大姫だった。貴族の中には古い習慣を守って、たとえ家族でも異性と顔を合わせない女性がいる。大姫は未婚で、十六歳と若いため、同席していたものの几帳の影に姿を隠していた。


「これはきっと私への罰です。身勝手な願いを抱いた私に、四竜は償いをせよと仰せなのです」

「大姫、何を言い出す」


 何やら心当たりがあるような口振りだ。玄夜もそう思ったのか、娘を宥める池田氏を冷たい眼差しで射抜き、几帳の奥の大姫に向き直った。


「お話をお聞かせ願えますか」

「……先月のことです」


 項垂れた父の池田氏に対して、大姫は濡れた声ながらも気丈な様子で話し始めた。




 池田家には懇意にしている宮寺があるという。


 神宮が神を祀りその依代となるのに対して、宮寺は出家した者たちが起居しながら神に奉仕して精神鍛錬を行う、いわば人のための場所だ。


 その宮寺に、出家した池田氏の母親、すなわち大姫の祖母に当たる尼君がいた。

 この尼君が体調を崩したというので、大姫が見舞いに行くことになった。姫曰く、父に『行かされた』。


「私を邸から……永助から引き離すために」


 永助なる人物を、池田氏は「家従かじゅうです」と説明した。


「以前この邸に勤めておりました」

父様ととさま母様かかさまの思惑には気付いていました。だから祖母様ばばさまの見舞いに赴いた宮寺で昼となく夜となく祈りました。どうかこの想いを遂げさせてください、真のものだと証明させてください、そのためならなんだっていたします、と」


 まもなくして両親から都に戻るようにという手紙が来た。

 だが、嫌な予感がした。帰京を促されたこの頃、細く続いていた永助からの便りがすっかり絶えていたからだ。

 邸の下女が永助に懸想していたことを知っていた姫は、不安と疑心でいてもたってもいられなくなった。父母のことは信じられない。付き添いの乳母や女房もいつ裏切るかしれない。猜疑心を抱くようになった大姫はみるみる攻撃的になっていった。


「――妖に出会ったのは、皇都へ急ぎ戻ろうとしていたときでした」


 あまり急ぐと行き倒れてしまう。無理をするな。尋常でない様子だと自覚のない大姫は、そうした声をかける乳母たちが帰途につくことを邪魔をしているように思われて、怒りや苛立ちをぶつけ、彼女たちを捨て置いて足を進めた。


 味方はいない。信じられるのは己だけ。

 背の君と思っていた永助とて、信じるに値するかどうか。


 そんな大姫だから気付いてしまったのかもしれない――道を外れた草むらに光る、何某かの屍肉を貪っていた四つ足の獣の目に。


「突き動かされるように携えていた食べ物を投げて、言いました」


 私の代わりに背の君を見極めておくれ。

 私以外の者と夫婦になっていたならそれは裏切り。目にものを見せておやり。


「そして」と大姫は一度言葉を切り、やがて、血を吐くように言った。


「帰宅した私にもたらされたのは、永助が死んだという知らせでした……」


 大姫が宮寺を訪れていた頃、永助は池田邸を去っていた。

 そして下女だった娘と夫婦になっていたが、結婚生活は長くは続かなかった。ある日自宅の寝床で亡くなっており、その遺体は、まるで獣に喉笛を噛み切られたような有様だったという。




「それから、妖がやってくるようになったのです。毎夜私の部屋の前にやってきて『次は』『次は』と問い、次はないと答えると、しばらくしてまた『次は』と言う、その繰り返しでした。けれどいまは……」


 啜り泣く声がする。


「『次は』と尋ねる声に答えずにいると、『ならば次はお前だ』と言うようになったのです」


 波のようにひたひたと涙の気配が押し寄せる。

 苛烈な怒りに身を焼いた姫は、いまは悲しみに溺れて泣いていた。


「これを因果応報と言わずしてなんと言いましょう。私の浅はかな願いが人の命を奪ったのです。この罪は償わねばなりません。どうか……どうか、お許しください……私は……私は……」


 それは誰に向けての詫び言か。受け取るべき者の一人はもうこの世にいないのに。


 珠姫はその苦しみを知っていた。生きていると思う度に、過去を夢に見た朝に、笑い、楽しみ、喜びを感じた瞬間に、失われた未来に気付くときに、己の罪を身をもって知る。



 ――たった一つの赦しを永劫に得ることができない。



「死ぬことが、償いになりますか」


 だから、溢れた。


「贖罪は生きて行うものです。どうすれば償えるのかを考えて、考えて、苦しんで苦しんで、苦しみ抜いて、得られるかどうかわからない赦しのために生きて、生き抜いて、ようやく贖いになる……そうやってただ運命を受け入れることは罰にはなり得ません」


「珠」


 玄夜の鋭い声が飛んだ。ずっと黙って控えていた珠姫が立場を弁えず、しかも相手を責めるようなことを言い始めたのだから諌めるのは当然だろう。


 しかし思いがけず彼の目に怒りはなかった。

 君にそこまで言わせるものがあるのだろう、と言葉にしない思いが滲んで見えた。


「…………」




 ――もし、何もかもを打ち明けたなら、この人はどんな顔をするのだろうか。




(きっとそんな優しい目で私を見ることはない)


 珠姫は玄夜の視線から逃れるように目を伏せ、波打つ感情の奥底に渦巻く思いをすべて投げ込むと、大姫に向かって頭を下げた。


「申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」


「いいえ」と大姫が声を震わせる。だが耐えきれなかったようにわっと泣き出した。池田氏は悄然と肩を落としながら黙って顔を拭っている。


 悲痛な声が夜を裂き、哀れと悲しみが息苦しいほどに静寂を埋めていく。


「魔が差す」


 ふと、玄夜が静かに言った。


「我々巫術師はそのように言います。人の心に善悪はない。魔が差したから悪事を成したのであって、あなたがもとより罪人――妖に食い殺されるべき人間だったというわけではありません」


 ――ただ、あなたの心が弱かった。


 慰めや非難より、冷たい事実が救いになるときもある。


 一段高くなった泣き声を後ろにして、玄夜は無情なほど冷静に「祓います」と告げた。

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