空間の支配者(中編)
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アイリン・ユーバンクスは、才気あふれる少女だった。まだ、あどけなさの残る可愛らしい顔だちの彼女は、持ち前の明るさもあって誰からも愛される存在。
ホーネッツに加入してすぐアイリンの周りに人が集まったのは、必然的なことだったのだろう。
【属性系魔法】と【強化系魔法】の適性を宿し、なかでも雷属性の魔法は凄腕揃いのホーネッツでも上位の使い手といって遜色ないほど。
そんな彼女を、自身のパーティに引きこもうとする冒険者は多かった。
アイリンの才能に乗っかろうとする者。
単純に彼女の可愛らしさに惚れてしまった者。
まだまだ伸びるであろう逸材を自分のもとで育てたいと言う者。
本人の知らないところで、激しい奪いあいとなったアイリンの所属パーティ。
競争相手にカネを積み、わざとらしくアイリンに迫り、奪いあいを制したのは、ホーネッツの筆頭パーティを率いる『炎帝』ウォーレン・ノリスだった。
「ノリス様、その……お願いが」
ギルドハウスでパーティの仲間とともに飯を食べていたウォーレンの背を見て、アイリンが気まずそうに口をひらく。
同じ頃、街でホーネッツのメンバーと姉のサヴァンナが騒動を起こしていることなど、当然アイリンは知らない。
「どうした、アイリン。立ってないで座りたまえ、我々は同じパーティの仲間なのだから」
「あ、ありがとうございます」
呼ばれると、ウォーレンは手をとめてアイリンを自分の隣に座らせる。
「言いたいことがあるのなら、しっかりと話してほしい。それが仲間というものだろう?」
優しく微笑んだウォーレンの手が肩にポンと乗っかると、アイリンは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「私、いつになったら皆さんと一緒に【未開拓の地】へ行けるのでしょう」
刹那、ウォーレンとその仲間たちの眉がぴくりと動く。
「君も知っていると思うが、あそこは危険な場所だ。冒険者になった以上、【未開拓の地】を探索して国土拡張に大きな貢献をしたいという気持ちはよく分かる。しかし、それにはまだ準備が必要なのだよ」
「でも、別のパーティに入った同期の子たちはもう探索に出てるって──」
「アイリン、焦ってはいけない。私は君のことを誰よりも考えているんだ、分かっているね?」
少し間をおいて、アイリンは「はい」と頷いた。
相手は、オメテオの街でも最強候補とされる冒険者のひとり。誰よりも強く、誰からも信頼される彼の言葉を疑うという選択肢が、新人のアイリンにあるはずもない。
とはいえ、探索への貢献こそが冒険者にとって最大の収入源。ウォーレンや彼の仲間のように富を得ている冒険者というのは、つまるところ探索で多大な成果をあげているということだ。
「今は、君にできることをやればいい。少なくとも、君のバックアップに我々は感謝しているんだ」
しかしこのウォーレン、アイリンに惚れたわけでもなければ、彼女を育てようとしたわけでもない。
彼女の才能に素早く気づき、アイリンという才能あふれる冒険者を得たホーネッツ内の別パーティが実績をあげ、自身らの『筆頭パーティ』という立場を危うくすることを恐れたのだ。
無論、古株で規模の大きいホーネッツにはウォーレンたち以外にも多大な実績をあげているパーティは多い。長年の間、ウォーレンが筆頭パーティを維持しているのも、ライバルをあらゆる手段で蹴落としてきたからこそ。
「私、頑張ってもっと強くなるので……できるだけ早くお願いします」
「分かっているよ、君には期待しているからね」
アイリンをギルドハウスという鳥籠のなかに閉じこめたまま、必要経費として巻きあげたカネを傘下の下位パーティへの小遣いにし続ける。
そんなウォーレンの思惑なんて知らず、彼を信じるアイリンは、いつかサヴァンナのカネに頼らず自立したいと強く願い、深々と頭を下げた。
刹那、鼓膜を殴りつけるような音とともに、ギルドハウスの扉が蹴破られる。
「炎帝様ってのと会いたいんだけど、どこのどいつ?」
蹴破った扉の向こうから現れ、ざわつくギルドハウス内の視線を一点に集めたのは、鬼の形相のサヴァンナ。
当然、ホーネッツの面々も名指しされたウォーレンも、サヴァンナのことなど知らない。しかし彼女がホーネッツのメンバーでないのは、何処にもエンブレムを掲げていないことから丸分かりだった。
「私が、どうかしたかな? お嬢さん」
ホーネッツほどの大ギルドに単身で殴りこみなんて、正気とは思えないサヴァンナを視界のなかに捉えると、ウォーレンは微笑を浮かべてその場に立ちあがった。
「そう、あんたが炎帝様なんだ。ウチの妹が随分世話になってるみたいで、挨拶しとこうと思って」
「妹?」
首を傾げたウォーレンの後ろで、アイリンが「お姉ちゃん……?」と口から零すものだから、彼も一瞬にして全てを悟った。
夢や希望で盲目になったアイリンとは違う。現実を直視することができる冷静な姉が、報復しにきたのだ。
「なるほど、君がアイリンの姉か。君の話は彼女からよく聞いて──」
「御託はいい、さっさとツラ貸しなよ」
闘争心や怒りを全く隠そうとしないサヴァンナ。
そんな彼女を見て、ウォーレンはけらけらと笑い声をあげた。
「なんだ、それはつまり……私への宣戦布告ということでいいのかな?」
ウォーレンがそう告げるや否や、ギルドハウスがさらに大きなざわめきに包まれる。
なにせ相手は、炎帝と呼ばれる街でも最強クラスの冒険者だ。どんな凄腕も喧嘩を売って勝てる相手とは思っていないし、喧嘩を売ろうともしない相手。
「上等さ、あんたみたいなサイテーのクズは──」
「ちょっと待った!」
サヴァンナの言葉を遮ったのは、彼女の後ろから息を切らして走ってきたクレイディス。
ギルドハウスに足を踏み入れるなり、クレイディスは額から滝のように流れる朝を腕で拭って、荒々と肩で呼吸した。
「はぁ、はぁ……その喧嘩、俺が……」
何かを言いたいのはサヴァンナにもウォーレンにも分かるが、肝心な言葉は息切れと咳で聞き取れない。
「あんた、走ってきたの?」
「いや……それが色々と複雑な事情があって……」
自身の膝に手をつき、なんとか息を整えたクレイディスが、ようやくその目にウォーレンの姿を映す。
「とにかく、この喧嘩は俺が引き受けた!」
「ちょ、あんた何を勝手に──」
「なんとなく話は聞いた。サヴァンナさんの妹から巻きあげたカネを、あいつが他の下っ端連中にばら撒いてたんだろ? あのクズをぶん殴ってやりたい気持ちは分かるけど、ここは一旦俺に預けといてほしい」
勝手に首を突っ込んできて、何を言いだすのか。そんなことを思ったサヴァンナだったが、クレイディスから向けられた真剣な眼差しに、言葉を喉に詰まらせてしまう。
「それで、もし俺がアイツを跪かせたら……ふたりには俺たちのギルドへ入ってもらう。以上がウチのエルザからの伝言です」
「あの星霊族の……どうりで無茶苦茶な提案だと思ったよ」
ワガママで、自分勝手。どうやらサヴァンナも、エルザという女の性格を理解しはじめていたらしい。