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サヴァンナ・ユーバンクス


 *


「それでそれで? その後、お猿さんはどうなったの?」


 まだ六歳のアイリンが、父・マーティの丸太のような腕を抱き、目を輝かせた。

 冒険者であるマーティは未開拓の地(ブラックエリア)に出かけることが多く、家にはあまり帰ってこない。それでも家にいる時は冒険の話をしてくれる彼のことが、姉のサヴァンナも妹のアイリンも好きで好きで堪らなかった。

 体の全部を使って「楽しい」を表現するアイリンとは対照的に、三つ上のサヴァンナはお年頃で、それが恥ずかしいとも思っている。

 だから、彼女は飛び跳ねない。マーティの話をじっと聞き、嬉しそうに笑っている。


「ああ、それでな」


 愛する娘たちにマーティが話の続きを聞かせてやろうとした時、


「夕飯できたわよー」


 母・ミリアムの声が姉妹の寝室まで届いた。


「おっと、続きはまた今度だな」


 えー、と落胆するアイリンの隣で、サヴァンナも残念そうに表情を歪ませる。


「冷めないうちに食べないと母さんに叱られるぞ。怒った時の母さんは魔獣より恐いからな」


 マーティの冗談に姉妹はけらけらと笑い声をあげ、三人はミリアムとともに食卓を囲んだ。

 姉妹の夢は、冒険者になること。マーティのように立派な冒険者となり、話でしか聞いたことのない世界を自身の目で見ること。


 だからふたりは、魔法適性を占星術師に見てもらう前から魔法の勉強をはじめた。

 マーティがいない日は、ふたりで書斎に潜りこんで魔法や魔力に関する書物を見て、一日を過ごした。


 十二歳となったサヴァンナは、その日もアイリンとともにマーティの書斎に潜りこんで難しい書物を読み漁っていた。

 難しい表現も段々と理解できるようになっていたサヴァンナは、アイリンの質問にも分かりやすく答えられるほどの知識を身につけ、あとは適性を見てもらうだけ。

 そうすれば、晴れて冒険者となる資格を得る。


 夢への第一歩に、期待を膨らませていた時だった。台所の方から、ドンっと重たい音が響く。

 サヴァンナとアイリンは驚き、戸惑い、しばらく顔を見合わせた後、恐る恐る部屋をでた。

 そこで姉妹が見たのは、


「お母さんっ!?」

「お母さん! お姉ちゃん、お母さんが!」


 台所で倒れ、苦しそうに胸をおさえるミリアムの姿。

 大慌てで駆け寄り、姉妹が何度「お母さん!」と強く呼びかけても、返事はない。悶え苦しんでいるあたり、意識はあるのだろうし、娘たちが心配している姿も見えているに違いない。

 だが、苦しさのあまり、ミリアムはふたりの呼びかけに答えてやることができなかった。


「お母さん、お母さん!」


 パニックで泣きだしてしまうアイリン。サヴァンナだって、今すぐにでも泣きたいのは同じ。

 しかしサヴァンナは瞳を涙で潤ませたまま、辺りをキョロキョロと見渡した。


「誰か! 誰か助けて! お父さんっ!」


 家を駆けまわり、窓際で喉が枯れるほど叫ぶサヴァンナ。

 しかし、サヴァンナたちの家は集落から少し離れた山の麓に建てられ、少し走らなければ人はいない。


「お父さん、お父さんっ! 助けてよぉ!」


 ついに、サヴァンナの瞳から涙が零れ落ちた。


「アイリン、誰か呼んでくるから、お母さんと一緒にいて!」

「お姉ちゃん!?」


 未開拓の地(ブラックエリア)へ出たマーティは、助けにこない。それをようやく理解したサヴァンナは、家から矢のように飛びだした。

 小さな石に躓き、転んだ衝撃で、ボロボロの藁のサンダルは壊れてしまう。

 しかしサヴァンナは、裸足になってもまた走りだした。

 顔は涙と土でぐちゃくちゃ。膝には痛々しい擦り傷、足の裏は皮が剥けて血だらけ。どれだけ足が痛んでも、サヴァンナは決して止まらない。


「誰か! 誰かいませんか! お母さんを助けてください!」


 狭い集落だ。誰もがサヴァンナのことを知っている。

 見知った子どもが泣きながら叫んでいるのを目の当たりにし、集落の大人たちが次から次へと家から飛びだしてきた。


 集落の【治癒系魔法】が使える医者に診てもらったものの、ミリアムはその日のうちに息を引きとった。

 どうやら、かなり重い病気だったらしい。それも、生体の自然治癒力に干渉する【治癒系魔法】ではどうにもできないほど、末期の病。


 妻の死を聞きつけ、マーティが大慌てで飛んできたのは、ミリアムの死から二日後のこと。

 まだ姉妹の心の傷は癒えず、特にアイリンの方はかなりの重傷だった。集落で暮らす夫婦のもとで衣食住を与えてもらうことになったが、アイリンは食事に手をつけず、ずっと部屋の片隅で塞ぎこんだまま。

 しかし、ただの知り合いでしかなかった夫婦にも、その痛みが分かるサヴァンナにも、どうにかできる話ではない。


「サヴァンナ、すまなかった。俺がいなかったばかりに──」

「なんでよ……」


 夫婦の家を訪れたマーティの前にサヴァンナが立ち塞がった。どうやら、彼と妹を会わせる気はないらしい。


「サヴァンナ?」

「なんで? なんで、何もしてくれなかったの!? お母さん、すごく苦しんでた! 私たちも、ものすごく怖かった!」

「本当に、すまない……」


 マーティは悔しそうに唇を噛み、拳を強く握りしめた。

 いくら冒険者の仕事をしていたからといって、絶対に許されることではない。それは、マーティ自身が一番よく分かっている。


「私たちには……何にもしてあげられなかった……」


 サヴァンナの瞳から、大粒の涙が零れた。


「なんで、傍にいてくれなかったの!? ねぇ、どうしてよ!」


 娘に責められ、マーティには返す言葉もない。ただただ、彼は謝った。


「あんたが……あんたがお母さんを殺したんだっ!」


 裏返ったサヴァンナの言葉が、この世のどんな剣や槍よりも鋭利な刃となって、マーティの胸を貫く。

 流石に言い過ぎだと感じたのだろう。夫婦が止めに入ろうとするが、サヴァンナの一度爆発した怒りはもう抑えられない。


「あんたなんか、もう父親でも何でもない! 二度と私たちの前に現れないでっ!」


 娘からぶつけられた剥き出しの感情は、あまりにも痛かった。

 それは母が死んだ動揺と行き場を失った怒りによって起きた、心の暴走。サヴァンナ自身にも口から飛びだす感情を止められない。

 当然、本心なんかじゃなかった。


 ────しかし、数週間後にサヴァンナたち姉妹のもとに、父・マーティが未開拓の地(ブラックエリア)で死んだとの報せが届く。

 皮肉にも、サヴァンナの言葉は現実となってしまった。



 *


 あれから十年、二十二歳になっても尚、サヴァンナの負い目は消えないまま。

 マーティが死んだのは自分のせい。アイリンから家族を奪ったのは自分。

 サヴァンナが「冒険者になりたい」という幼い頃の夢に背を向けたのも、身を削ってまでアイリンに尽くすのも、全ては彼女なりの贖罪だ。


「お姉ちゃん、その……ごめんなさい」


 忽然と消えたクレイディスやエルザを探しにホーネッツの面々が奔走する騒がしい庭園で、アイリンがようやくサヴァンナの背中を見つける。


「私のせいで、今までずっとお姉ちゃんが頑張って稼いだおカネが」

「あんたは昔っから人が良過ぎるからね、いつか悪い男に引っかかるとは思ってたよ」


 そう言って小さく笑うと、サヴァンナは手にしていた小袋をまたアイリンの手に乗せた。


「これに懲りたら、もっと人を見る目を養いなさい」

「迷惑かけたのに、もうおカネなんて受け取れないよ」


 申し訳なさそうな面持ちで小袋を返そうとするが、サヴァンナがそれを受け取ることはない。


「迷惑かけたのはこっちの方よ。母さんと父さんが死んでからは、ずっとあんたに我慢させてきた。だからせめて、あんたの夢くらい叶えさせてやろうって、ずっと考えてきたの」

「……お姉ちゃん」

「でもそれって、誰かに与えられるものじゃなくて、自分で勝ち取ってこそ意味があるものなのかもね」


 サヴァンナの脳裏をよぎったのは、ウォーレンを圧倒するクレイディスの後ろ姿。彼の意外な強さにも驚きだったが、それよりもサヴァンナが驚いたのは、彼の背中に見惚れる自分自身だった。


「アイリン、私ももう一度だけ……夢見ていいと思う?」


 姉の口から飛びだした思いもよらぬ言葉に、曇っていたアイリンの表情にパッと笑顔の華が咲いた。


「そんなの、いいに決まってるよ!」

「やっぱ私ってズルいわ、あんたならそう言ってくれるって分かってたし」


 「でも」と、サヴァンナが一歩踏みだす。


「今回だけは、あんたの言葉に甘えさせてもらおうかな」

「これからは私たちもお父さんと同じ冒険者、だね」

「だけど、あんたは私にどんだけ甘えたっていいのよ。私はあんたのお姉ちゃんなんだから、むしろ甘えてくれた方が嬉しい」


 贖罪、だけではない。

 サヴァンナ・ユーバンクスという女は、引くほどのシスコンである。

 妹のアイリンのことが、可愛くて可愛くて仕方ない。大好きで大好きで堪らない。

 アイリンに彼氏なんてできようものなら、誰が許してもサヴァンナだけは許さないだろう。

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