第8章4 紅玉を濁さんとする戯け者
学園の敷地は広い。
多くの数階建ての建物が並び、人目につかないような死角となる場所も点在している。そんな危うい場所の一角に、学外からゲストとして招かれた彼女は、いつしか追いやられていた。
「……真っ当な御用向きがあるようにはお見受けしかねますけれど?」
少し前から尾行には気づいて撒こうとした。しかしアレオノーラは学園内の地理に詳しいわけではない。尾行者にまんまと誘導される形で移動する結果となり、こうして逃げ場も人の目もない場所へと追い詰められていた。
「いーやいや、レステルダンケ家のアレオノーラ嬢…いや、夫人とお呼びしましょうか? 至極真っ当な用件ですとも…へっへっへ」
ジリジリと間合いを詰めてくる二人。自分よりも年上の男子で、そうは見えないがおそらくはどちらも貴族の子息。
アレオノーラとしては家の現状を考えた時、ここで他貴族ともめ事を起こすのは避けたかった。しかし相手から持ち込まれてきた以上、回避できそうもない。
「(せっかくシオウに良い手札をいただけましたのに……なんとか振り切って…)」
家人や我が子を連れてこなかったのは幸いだった。もしこの場にいたなら大事となっていただろう。
それに、彼女一人の方が身軽に動ける。かつてはよく家人の目を盗んで屋敷を抜け出したものだ。
あの時と同じ感覚を呼び覚ます。どんな僅かな隙間であろうと見逃さず、すり抜けて人の多いところまで逃げる―――――今のアレオノーラにはその一択しかない。
「(後ろは壁、右も建物の柱を内包したと思しき壁……左が空いているけれど、ますます会場から離れた校舎の方…そちらは彼らに地の利がある、……前に抜けてから右のルートしかなさそうね)」
男子二人は前と左前から迫ってきている。逃げ道を完全に塞いだつもりなのだろうが、見方と考え方を変えれば前の一人さえ抜けてしまえば逃げ切れる可能性はむしろ高い。
アレオノーラが普通の10代前半女子と違うところは、その判断力と観察力、そして決断力の高さである。怯えや恐怖心がないわけではないが、それがこの状況下で何の役にも立たない事をよく理解している。
なので一度己の中で方策が決したなら、そこから行動に移すまでは早かった。
「……。……っ!」
ダッ
人目につかない場所ゆえか、やや手入れの行き届いていない荒れた芝生のような雑草生える地面を蹴り、真紅のドレスが鮮やかに閃く。
「! なっ、…こ、こいつっ!?」
前を塞いでいた男子が滲み寄らんとして一歩、右脚を前に擦り出したその瞬間、股下が大きく開いた。逃がさないために四肢を大きく広げるような構えを取っていたため、股下に生じた空間は十分。
アレオノーラはそこにめがけ、ドレスのスカート等が引っかからぬよう、身をねじりながら飛び込んで……抜けた。
ザザッァ!!
しかしさすがに地面に身体を擦る。ヘッドスライディングになって顔も前も土埃で汚れてしまったが、そんな事を気にしている時ではない。まだ幼さ残る年頃の、柔軟な間接が間髪入れずに彼女を立ち上がらせてくれ、そしてその両脚を走らせた。
「(久しぶりにしては上出来ね! このまま全力で逃――――)」
しかし、彼女にとっての思わぬ誤算は、己が子を産んだ身体であったという事。
妊娠から出産、そして産後。ただでさえ若年でのお産だっただけに、周囲の者がこれでもかと大事にかつ厳しくお世話してくれた丸2年。
そして出産こそもう2年近く前の事になりつつあるものの、産後から現在に至るまでは、子の面倒を見たりレステルダンケ家のため貴族としての活動に専念してきた。
それすなわち、妊娠発覚から今までのおよそ2年~2年半近くは、運動とは完璧に無縁の生活だったのだ。
予想以上に身体が鈍っていた事を、その身をもって知る。
アレオノーラの全力疾走は、ドレスを着ている事とは無関係に恐ろしく遅くなっていた。自分はこんなにも足が遅かっただろうかと、走り出した瞬間に絶望する。
そして、僅か10歩程度進んだかどうかというところで、あっさりと彼らに追いつかれてしまっていた。
「!? んあっ、ぅくぅっ!!」
首を飾る金飾の輪の後ろを掴まれて全身がガクンと止められてしまう。輪はある程度伸び縮みする構造で着脱しやすいのが利点だが、それが故に掴んで引っ張られた際に首が軽く絞まり、不意の息苦しさに襲われた彼女の逃げ足は完全に止まった。
「ふう、ちょーっと驚いたが…まさか走って俺らから逃げきれると思ったか?」
「へひゃひゃ、所詮はお子ちゃまってこった。まぁそう邪険にすんなって、せっかくのお祭り騒ぎだ、俺らと楽しく遊んでくれればいいだけなんだ、奥様よぉ?」
なんて醜い者達なのか? これでも貴族の子息なのかと疑いたくなるような態度と言葉遣いにアレオノーラは辟易とする。
だが、ようやく首の絞まりが緩み、強く咳き込みつつ呼吸を確保していると…
ズボッ
「っ!? つ、冷たい…っ?!? 何をっ!!」
「言っただろ、楽しく遊ぼうってよぉ。へっへ、アイスボールって知ってるか? そこの出店でも買える食いモンだが、かき氷を球体にまとめて本当ならカップの上に乗っけるモノさ」
彼らはアレオノーラのドレスの胸元に、かき氷の玉を力任せに突っ込み入れていた。
バストの間に挟まれた氷の玉は、その冷気でもって彼女の胸を冷やすも、すぐに体温が逆襲を開始して溶け始める。
「ほーらほら、早く取り出さねーとビッチャビチャになるぜ?」
「ハハハ、氷の状態ならともかく、溶けて水になったら流れて股までぐっちょりだ! お漏らししたのかと指差されるぜきっと!」
やる事が小さな男の子の悪戯レベル。ところが厄介な事に、そこに知恵が加わると悪質さが数段跳ね上がる。
「う、うう…と、れない…っ」
貴族のドレスは、腰にコルセットベルトを付けている。腰を細く見せ、全体のフォルムを美しくする意味もあるが、十分に細い場合は服の布地がたわんだりシワ寄ったりしないよう、キッチリ止めおく意味もある。
加えてそれなりの貴族であれば、ドレスは完全オーダーメイド。
その丈、その寸法には僅かな隙も無駄もない。本人の身体へと完全にフィットし、その上で決して余計なたわみやシワを作らないよう各所キッチリと絞られ、着脱ですら数人がかりという難儀なもの。
そう…氷の玉を取り出すのに自分の胸とそれを押さえつける下着、そしてドレスが完全に邪魔をするのだ。いかに柔らかい乳房とて、キッチリと抑えられていればその谷間よりこぶし大の玉を自分で取り出すのは容易ではない。
無理をすればドレスが痛んだり破けたりしかねない。入れられた時は男子の力があったからこそねじ込めたが、アレオノーラの力では奥深くハマった氷玉を取るには、まず腰のベルトを取って多少なりともドレスを緩めなければ難しかった。
「ほーらほら、どうしたどうしたー? 早くしないと溶けちゃうぞー」
「それともベルト外してここでストリップショーでもするかー? ヒューヒュー」
氷の玉ならば胸の谷間の奥底深くにハマったまま、落ちてはいかない。だが溶けて水となればベルトの締め付けなど関係なく垂れていく。
ドレスがグショグショに濡れてしまえば学園から退避する最中、周囲より異様に見て取られる。
他にも低位とはいえ貴族や金持ちがゲストとして呼ばれている中、そんな姿を見られたら、あっという間に社交界で噂になり、レステルダンケ家全体に影響が及ぶ。
かといって着替えを持ってきているわけもなく……この場所、状況、立場と、あらゆる観点から見ても、この氷の玉をドレスの内に突っ込んだ1手は、悪質極まりなくも、アレオノーラを追い詰めるに有効に過ぎた。
「……、最低ね…あまりにも……陰湿だわ、貴方達」
ようやく紡ぎだせた言葉は、自分でも分かるほど悔しさに満ちていた。こんな連中にこんな事で―――――大の大人すら顔負けの彼女も、まるで年相応の女の子に戻ったかのように表情より覇気が失われていき、言い表せない感情の波の沸き立ちと哀しさで、顔が歪みそうになる。
あと1歩。泣きじゃくりでもしだせば、彼らは大喜びする事だろう。
…だが、そうなならなかった。弱き者にではなく、正しき者にこそ救いは差し伸べられる。
「よーし、そこまでだお前達!」
ガッシィ!!
「な……ふ、フラッドリィ?! いつの間に背後にっ、くそ、放せっ」
「てめ、リッド=ヨデック!!? お前、チクりやがったな?!」
一人を教師のフラッドリィが、もう一人をリッドが後ろより羽交い絞めにして同時に抑えた。
「大丈夫ですか! すぐに取り出しますからっ」
そして同性のエイリーがアレオノーラに駆け寄り、ケアを行う。完璧な手際の良さだった。
――――――数分前。
「何、すぐに駆け付けるな? なぜだ」
自校の生徒が招待客に絡んでいる。それは教師としても大会責任者としても見過ごせない。フラッドリィはすぐにでも飛び出そうとしていたが、リッドがそれを制した。
「決定的な場面を抑えないと、連中の親とかでもみ消しにかかっちまうじゃんか。あやふやな状況証拠だけじゃ被害者は泣き寝入りになっちまうんじゃねーの?」
「む……、それは…」
フラッドリィとて多兄弟の下の方だったとはいえ貴族家の出だ。貴族社会の面倒さは知っている。
もし罪に問う場合、ぐうの音も出ないほど完璧に証拠を固めなければ、無罪化されてしまう可能性は高い。
連中の家がどの程度の位にあるかは不明だが、もしもアレオノーラのレステルダンケ家よりも高位であった場合、そうなる確率はさらに上がってしまう。
「だから先生たちをわざわざ探して呼び集めたんだ。抑えるだけなら俺とフラッドリィのおっさんだけで事足りるしな」
「どういうことだ? それにおっさんではない、先生と呼ばんか先生と」
んな事はどーでもいいじゃん、とフラッドリィの要求を受け流しつつ、リッドは説明する。
「えーとだ、現場に居合わせた教師陣がフラッドリィのおっさんだけじゃ弱くないか? いくら先生が居合わせたからってさ。でも、それが複数人となりゃ、また違ってくるだろ?」
たとえば人気のない場所で事件が起こったとして、目撃者が1人しかいない場合、その証言は重要ではあるが、内容の正確性にどうしても疑問の余地が残ってしまう。弁舌立つ犯人であれば切り抜けられてしまう、もしくは捕まったとて減刑されてしまう可能性も高い。
だが大勢の証言者がいるとなると話は変わってくる。それぞれが不確実性の残る証言を出したとしても、捜査する側がそれらを統括し、証言者達の言わんとしているカタチをより正確に現場の真へと近づける。
何せ様々な視点から多角的に語られるのだ、容疑者が例えどんなに抗弁したところで視点の数の差でより正確なところを述べているのがどちらかは明らかだ。
…もっとも証言者が悪意で結ばれていたとすれば、その限りではないのだが。
「つまりさ、他の先生たちは現場を知ってくれるだけでいいんだ。俺らの拘束を万が一抜けた時の保険にもなるしな。エイリーには彼女のケア役よろしくって事で」
リッドはどちらかといえばフラッドリィ同様、何も考えず即座に飛び出すタイプだ。
こういう小細工じみた考え方をするようになったのは、我が友の影響だろうかと内心自嘲する。
「……あいつらが実際に何かしてから、俺とフラッドリィのおっさんで背後をこっそり捉える。で、タイミング合わせて二人同時に抑えたら、エイリーは奥さんのところに、他の先生は連中を逃がさないように包囲ってとこで。その後の事は……お任せして大丈夫だよな??」
言われたフラッドリィは、少し驚いたように目を見開き、眉をひそめた。直後に歯を見せてニッと笑う。
「大会責任者だぞ、むしろ他に適任者がいるか? まだまだお前らのような若いモンに遅れは取らん、もちろんドーンと任せておけ」
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「ま、上手くいったな。めでたしめでたしだ」
先生たちに連行されていく男子二人を眺めつつ、リッドは一息つく。正直、こういうのは苦手だ。
どうこうするのであれば、もっと明瞭簡潔ストレートにやりたい。…が、貴族のもめ事がめんどくさい事は彼も何となくで聞き及んでいる。
もしも直接殴り込みでもかけて、イジメを受けてるか弱い乙女を救いに参上! みたいな事をしたなら最悪、リッドが出場停止処分とかになる運びも考えられる。そうならないためにもよく知る友の如く知恵を働かせ、柄にもなく助け方を慎重に考える必要に迫られたのだ。
「あーあ、休みだってのに頭使ったー…俺にはやっぱ合わねーなー」
ここが見晴らしのいい野原の丘だったなら、すぐにでも寝っ転がりたい気分だ。だがそうもいかない。
エイリーはもうすぐ試合の時間、先生たちに丸投げしてもいいのだが介入した手前、被害者に迎えが来るか自分で帰るかにせよ、再発防止の観点からも正門までエスコートする必要があった。
何よりリッドは、シオウが何かしら手を打ったにもかかわらずモーロッソがいまだ連中の言いなりになっている風だったのが気になり、アレオノーラに直接聞いてみたいと思っていた。




