【ワシントンDCで】
翌日は次の日に行われることになったルーズベルト大統領とハル長官との会談のため、ニューヨークから汽車でニューアーク・リバティー空港に行き、そこから飛行機に乗りかえてワシントンDCに向かった。
飛行機の中で私たちは共に爆睡した。
なにしろ薫さんは本当に可愛いから、いったんお互いにその気になってしまうと歯止めがきかなくなってしまう。
潮時を見て上手く撤退するなんて、そんなことはもったいなくて考えられない。
けっきょく私たちは夜が白み始めるまで、狭いベッドの中で仲良く泳いでいた。
ワシントンDCに着いた私たちはスミソニアン博物館で展示物を見て、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン ナショナル ギャラリー)で絵画を観た。
薫さんはクロード・モネの『散歩、日傘をさす女性』の絵に魅了されていた。
ちなみにこの二つの施設ともに入館料は無料で、ほかにも探せば無料で拝観できる施設は多くあるらしく、アメリカでは社会で成功した人たちがこういった無料または格安で拝観できる施設を建設することで社会への恩返しをする文化が定着していると薫さんが教えてくれた。
ワシントン記念塔は大理石でできた高さ46メートルもある塔で、ニューヨークで見たエンパイアステートビルは443.2メートルといい、この国の建設技術の高さがうかがえる。
ワシントン記念塔からポトマック川を挟んだ対岸にある西ポトマック公園には、日本から送られたたくさんの桜の木が植えてある。
これは1885年にナショナルジオグラフィック協会初の女性理事であったエリザ・シドモアが日本に行ったとき見た桜の木が印象的で、この地域に公園を整備する際にぜひ植えたいと言い出したのがきっかけとなり、一度日本から1910年に3000本の桜が送られたが害虫により植樹は叶わずすべて焼却された。
当時の東京市長であった尾崎行雄らはこれを知り、すぐに科学者や専門家たちに依頼して苗木から慎重に品質を管理して3,020本の桜の苗木のほかにイチョウなどを送り、西ポトマック公園だけでなく東ポトマック公園にも植樹された。
最初の植樹は当時のウィリアム・ハワード・タフト第27代大統領夫人だったヘレン・タフトと、日本大使珍田捨巳子爵夫人の「いは」の手によって2本の桜の苗木が植えられた。
アメリカから返礼としてハナミズキが日本へ送られ日比谷公園、小石川植物園などに植えられたが、これは太平洋戦争の際に伐採されてほぼ残っていない。
私たちは植樹された最初の2本の桜が残っている西ポトマック公園に向かうと、大きな銘板が立てられていてこの木が最初の2本であることが示されていて、そこで手を合わせて両国の平和を祈った。
アメリカに残されていた桜の木と、日本で伐採されたハナミズキ。
この2つの植物の運命を考えると、あの戦争のときにいかに日本が狂っていた時代だったのかがよくわかり、前史ではその当事者の一員だった私はやるせない思いに打ちひしがれた。
「もう、どうしたの!? 落ちこんじゃって!」
「いや、そんなことはない」
公園のベンチで休憩していたとき、薫さんにそう言われた。
私はなるべく落ち込んだ感情をせっかくここに来て楽しそうにしている薫さんに気付かれないようにしていたので、そう言われて慌てて否定した。
しかし彼女のほうがやはり一枚上手だった。
「敵の大群の中にたった一人で飛び降りたり、アメリカ大統領の前でも臆することなく平気で意見を述べたりできるのに桜の木とハナミズキの運命に打ちひしがれるなんて……」
「ごめん」
薫さんの前では、いつもかっこうよくいたかったけど、どうしても気が緩んでしまう。
「ううん。とってもいい」
「いい?」
「たまに私だけに見せてくれるのって、とっても好き!」
薫さんは公園のベンチだというのに、私に抱き着いてキスをしてきた。
公園を散歩する人たちが私たちを見て驚いた顔をしたが、薫さんの素直な気持ちに応えたくて私は薫さんが望むままにキスを受け入れた。
約1ヶ月の連載でしたが、これにて一旦終了いたします。
また書きたくなったら書くかもしれませんし、このままになるかもしれません。
読んで下さりありがとうございましたm(_ _"m)




