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泪橋  作者: 篠川 翠
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回向(3)

 為氏の意向を受けて、暮谷沢の東の丘には十三の塚が築かれた。密教にも通じている月窓和尚の助言に従って築かれたもので、これで死者の御霊が清められ、怨霊の三毒、即ち、貪欲(とんよく)、憎しみ、愚痴などが消え去るという。

「これで、御台様も心安らかにお眠りになられるのではないでしょうか」

 十三塚の法会にりくも出席させたいと告げると、りくはそのような感想を述べた。

 りくにとっての御台とは、為氏の現在の妻である芳姫ではなく、かつて仕えた三千代姫のことである。芳姫が何かしたわけではないが、図書亮もそれは同感だった。

 心優しかったあの三千代姫が、怨霊となって為氏を苦しめているというのは、図書亮にとっては今でも信じ難いものがある。だが、自分でも芳姫付きの女童が憑かれたのを目撃しており、りくの告白を聞いてからは、やはり三千代姫も苦しんでいたのだと感じていた。武家の習いとして為氏が新しい妻を迎えるのは、ある意味では仕方がない。とは言え、追い詰められて腹の子諸共自害したにも関わらず、それをなかったかのように扱われ、新しい御台と子の誕生を祝ぐ空気は、女人としては我慢できなかったのだろう。

 法会当日は、春の陽気にふさわしく天気は穏やかだった。そういえば初めて当地を踏んだ時も、このような穏やかな天気だったと図書亮は思い出した。

 塚の前には、既に高々とした卒塔婆(そとば)が立てられている。

 さらに卒塔婆の前には、七段の飾り棚があった。飾り棚には赤飯、強飯(こわいい)、取り取りの(あつもの)や餅、饅頭、団子、饂飩(うどん)素麺(そうめん)水団(すいとん)といった仏供(ぶっく)や霊膳が供えられている。その中に伏兎(ふくと)水蟾(すいせん)霰鎕(あられとう)など女人が好みそうな菓子類も飾られているのを見ると、ふっと心が和んだ。その他にも、百味の珍味や六合の立花が飾られ、金銀があちこちに散りばめられている。

「伏兎は御台様がお好きで、よく召し上がられていました」

 法会が始まる前に、隣にいるりくがひっそりと笑みを浮かべた。図書亮の知らない三千代姫の逸話に、図書亮も思わず微笑む。男たちの目の前では凛とした姫君の顔しか見せなかったが、ちゃんと年相応の愛らしさも持っていたらしい。

 位牌の前の左右には赤銅の花瓶に黄金で作られた花が立てられており、金銀を散りばめた茶器を置かれ、天龍寺から賜ったという香炉や、沈金の香合(こうあわせ)に名香が入れて焚かれている。香りからすると、どうやら羅国(らこく)のようだった。上品で愛らしかった三千代姫に相応しい香である。

 法会の時刻になり、法燈が灯された。導師である月窓禅師は香染の衣に合わせて錦の十二条の袈裟を纏い、緞子(どんす)の帽子を被っている。金襴で彩られた座具を前に輿を止めさせ、唐綾の靸鞋(くつ)を履いて竟頭の柱杖を衝き、朱傘の長柄を差し掛けられて歩み出られる様子は、あたかも獅子王のように大層立派だった。月窓禅師の後ろに侍る者らが、紫檀(したん)の香台や赤銅の香炉、金糸の香合箸(こうあわせばし)を持ってやはり歩み出る。付き人の中には、払子(ほっす)竹篦(しっぺい)を持っている侍者もいた。さらに、数百人の転衣(てんえ)や黒衣を纏った僧侶らが付き従っている。

 月窓導師が焼香し、大音声で拈香文ねんこうもんを唱える。続けて諷経(ふぎん)して供養が成し遂げられると、僧侶らが天花(てんげ)を散らす。天花は風に舞い散り、僧侶らの唱える梵音は雲に溶けゆくかのようだった。極楽浄土とは、このような世界を言うのではないだろうかと図書亮が思ったほどに、それは優美で幻想的な光景だった。

 りくは瞑目したまま、図書亮の傍らで数珠を手繰っている。図書亮も同じ様に数珠を手繰りながら、三千代姫の在りし日の姿を懐かしく思い出していた。

 婚礼の時の、為氏と並んだ雛人形のような姿。花の宴の折の、山桜を背にして家臣に披露してみせた見事な謡と舞。金剛院開山のときには為氏と一緒に下々の民に化けて、粗末な身なりで現れて図書亮らを慌てさせた。その時でさえ、姫の愛らしさは失われていなかった。

 そして何よりも鮮明に思い出されるのは、為氏の伴侶として、伊勢物語や歌について生き生きと語り合う姿だった。

 それらの日々に思いを馳せていると、桜東風(さくらごち)がふっと頬を撫でていった。何処からともなく風に乗ってきた無数の桜の花びらが、塚の下を流れる暮谷沢に舞い落ち、花筏を形作っている。

「姫を始め、由比さまや岩桐さまの御霊も、これで浄められたでしょう」

 りくが、図書亮に微笑んでみせた。

「そうだな」

 妻の言葉に、図書亮も頷いた。霊膳には、姫の好物も供えられ、花々に負けないくらい芳しい沈香は、二階堂家臣団の端の方の席にいた図書亮らのところにも届いてきていた。りくを余計な噂に晒させたくなくて、敢えて目立たない端の席を選んでいたのである。

 一時は怨霊となったかもしれないが、三千代姫は気高く優しい姫君だった。あれが本来の三千代姫の姿だったと図書亮は信じていたし、今日の法会は、その姫に相応しい法会だったと思う。

 りくと視線を合わすと、どちらからともなく席を立った。本来であればこの後家臣団の宴席があるのだが、三千代姫にまつわる無責任な噂話は聞きたくない。他の家臣らに気づかれないようにそっと抜け出そうと、予め打ち合わせてあったのだった。


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