書類が消えた? 失踪事件の謎(前編)
◆
電算室に配属されて一時間後――。
ジャージが欲しい。
片巣円は床に這いつくばりながら心底そう思った。
新戸先輩がジャージを着ていた理由がわかった。役場の床に這いつくばりケーブルを床に通す作業を始めると汚れるからだ。
「片巣くん、もうちょうい右」
「うぅ……ここですか?」
机が6つ密着した島の反対側から新戸先輩が此方を覗いている。
そこに向けてネットワークを繋げるためのケーブル、確か「LANケーブル」を這わせてゆく。水色のビニールで覆われた太さ5ミリほどのケーブルでパソコン同士をつなぐ。
小岩課長の口癖ではないがそのあたりの仕組について、片巣も「あまり詳しくない」のだが。
「あっ、きたきたー。いいねその調子」
「狭い……うぅ」
身を屈めて机の隙間に潜り込むと、ホコリやら何やらで折角のスーツのズボンが汚れてしまった。特に今日のように人事異動や配置換えがある日なら尚更のこと作業が増える。
だから新戸先輩は最初からジャージを着用していたのかと納得する。
兎にも角にも、片巣の初仕事は他人のパソコンを接続する仕事だった。
「片巣くんは小さくて便利ねぇ」
「お役に立てて何よりです」
「あはは」
床を這わせたケーブルを受けとった新戸先輩は軽く笑うと、机の上に設置済みの真新しいパソコンの背中にケーブルを接続した。
モニター画面の中で、何やら見慣れない黒いウィンドゥを開いたかと思うと、キーボードをてきぱき叩き「よし、PINGも通った」とつぶやいた。
「いまので繋がったんですか?」
「そう。壁のL2から島HUBに繋がってるでしょ? そこから分岐させたLANケーブルが、このパソコンに繋がっているの。PINGで通信品質も確認したからあとはログインできるわ」
「はぁ……」
何を言っているかよくわからない。
コンピュータの用語らしいけれど、まるで呪文のようだ。
先輩の言う通り、壁には大きめの「お弁当箱」のような白い箱が設置されている。そこから伸びた黄色いLANケーブルは床を折り曲がりながら、机の手前の小さな「HUB」という機械に繋がっている。
HUBからは水色のLANケーブルが十数本も出ている。まるでクラゲのような機械だなぁと思う。
「次は児童福祉課。君の同期のパソコンの接続。さぁ行こうか」
「はいい……」
こんな具合に片巣は水色のLANケーブルの束を抱えて庁内を行ったり来たり。机の隙間に入り込み、床を這いながらケーブルを引いた。
昼近くになり作業はようやく一段落。
電算室に戻る道すがら、気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、新戸先輩」
「なに?」
「課員は……電算室のメンバーは他に居ないんですか?」
「いないわよ。君と私だけ」
――えっ!?
「いないって……じゃぁ電算室やあのサーバルームを、先輩一人で面倒見ているんですか? このLANケーブルを這わせる作業も?」
「まぁ、そうねぇ。でもLANケーブルを這わせる作業はそんなにあるわけじゃないわ。配置換えや故障があったときくらい」
「そうなんですか……」
大変じゃないのだろうか。いや、大変に決まっている。
一人部署なんで、休んだり出来ないじゃないか。
電算室の鉄の扉を開けた時、タイミングを見計らったかのように電話がなった。
片巣が受話器を取るのを躊躇っていると、素早く新戸が受話器を奪い取った。
「はい、電算室です。えぇ、はい……なるほど、わかりました」
片巣はすこし不安な面持ちで、新戸先輩の横顔に視線を向けた。
わずか30秒ぐらいの通話の間、受話器の向こうからは何か急いでいるような、怒っているような声が聞こえてきていた。
やがて受話器を置くと、新戸先輩は ため息交じりに口角を持ち上げた。
「事件だとさ片巣くん」
「えっ?」
事件? いま先輩は「事件」といった。
電話のコールは二回。つまり内線電話だから事件は庁内で起こったということだろうか。
まさか殺人事件ではなかろうが、役場内で一体何が起こったのだろう。
「電話は建築課の三井係長さんからだ。『印刷したはずの大事な書類が消えた!』とさ。なんでも電算室のせいにするんじゃないよ」
不満げにそう言うと、ジャージの首元からジッパーを下ろす。慌てて視線を外す片巣の気遣いを他所に、新戸先輩はジャージの上を脱ぎ捨てて、椅子の背もたれに投げかけていた青いカーディガンを素早く羽織る。
「そ、それって事件……ってことですか?」
大事な書類が紛失。
つまり盗まれたとかそういう事だろうか。
重要な情報を狙うスパイの仕業か。
「まぁ事件かもしれないが、どうかな……。調べてみればすぐにわかるさ」
「そんな、調べるって何を……どうやって」
慌てる片巣を横目に、新戸先輩はジャージの下の上からタイトスカートを穿き、ジャージのズボンを脱ぎ捨てた。中学生の着替えか。
いや、まてまてそれよりも、だ。
落ち着け。これはまるで大好きな探偵小説のような展開じゃないか。名探偵ならここで、現場に行くのがセオリーだ。そこで現場を検証し、何か痕跡がないか、あるいは周囲に目撃者が居ないか、調べるものだ。
「私、現場に行ってきましょうか!?」
「建設課は5階だから行くのが面倒だ」
しゅたっと姿勢を正し、やる気を見せた片巣を先輩は軽くあしらう。
「えぇ!? そんな事件でしょ? 先輩が言ったんじゃないですか、書類を探さなきゃダメなんじゃないんですか?」
もし犯人がいるとすれば、書類を持って逃げてしまう。
事件の現場だって時間が経って状況が変われば、遺留品も失われるかもしれない。
そもそも国……いや町の重要書類だったら?
「慌てなさんな後輩くん。事件は電算室で起きている場合もあるからね」
「電算室で……?」
何を言っているんだ先輩は。
ポカンとする片巣を尻目に、新戸先輩は電算室の机の椅子を引き腰を下ろした。
現場に行くつもりは無いのか、机の上のパソコンのキーボードを操作し始めた。
<つづく>




