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失われしアリス〜そしてルナティックハイへ(完)

「アタシ……じゃない、わたくしじゃない!」

 アリスは叫んだ。

 無色透明な液体を満たしたガラス管の中に浮かぶ少女の姿。

 シュヴァイツはガラスに触れようとした、そのとき!

「止まりなさい!」

 凛としたセーフィエルの声がシュヴァイツの動きを封じた。その後ろから片方の翼を失った彪彦がゆっくりと歩いて現れた。

「ほう、やはり保存されておりましたか。シュヴァイツさんその場で待機ですよ。セーフィエルさんがおかしな行動を取りそうになったら、躊躇わずにその装置を破壊しなさい」

 その発言にセーフィエルは漲る殺気を発した。

「そんなことさせませんわよ」

 だが、セーフィエルは動けずにいる。

 シュヴァイツは困った顔をした。

「アリス君のそっくりさんを破壊するなんて本意じゃないなぁ。でも上司の命令だからね。けど影山さん、もしかして最初からこれが狙いだったのかい……ここにいる『アリス』を人質にすることが」

「もちろんそうですよ。機械人形では押しが弱いですからね」

「酷い人だ。ねえアリス君、僕はそんなつもりでここに来たんじゃないからね、本当に興味本位だっただけだから信じて欲しいな」

 視線を向けられたアリスは視線を返さず、眼を瞑り声すらも届いていないようだった。

 個々の存在、別の人格を持つ違う存在、たとえ記憶をコピーされた存在だったとしても、己は己だとアリスは思っていた。記憶を取り戻したときに、そのことを確認したはずだったのではないか。

 しかし、本物の『アリス』を目の前にして、すべて脆くも崩れ去った。

 ――自分はいったい何者なのか?

 彪彦はセーフィエルの横を堂々と抜けて、シュヴァイツの横、ガラス管の前まで移動した。

「一時休戦としましょうセーフィエルさん。とは言っても人質は解放しませんが」

 セーフィエルは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 彪彦の口から吐き出された〈彪彦〉がガラス管に手を触れた。

「これが貴女の妹ですか……。やはり死んでいる、しかし実に興味深い。わたくしの言わんとしていることはわかりますよね、セーフィエルさん?」

「……わからないわ」

「貴女ほどのヒトが成し遂げられない理由。なぜこの娘が蘇ることができないのか? わたくしも不思議で堪りませんでした」

「何が言いたいのかしら?」

 おそらくセーフィエルはわかっている。だが、ここはあえて自ら口にしない。

 シュヴァイツは不思議そうな顔で〈彪彦〉を見ていた。

「僕にはさっぱり。ぜひ詳しく知りたいね、おそらくアリス君もそう思っているよ」

 そのアリスはガラス管の前に立ち、ただじっと俯いたまま動かない。先ほどからそのままだ。今なされている話も耳に入っているかわからない。

 しばらく間があった。

 その時間はセーフィエル、アリスの胸を揺さぶるに十分な時間。

 次に口を開けるのが誰か皆、わかっている。視線を向けられた〈彪彦〉はサングラスの下の口を歪ませた。

「ではわたくしが説明いたしましょう。まずはじまりは〈聖戦〉ののちに消えたセーフィエルさんの行方です。誰もが霊魂すら滅びたと考えておりましたが、ある日突然、貴女は表舞台に再び現れた。そうです、人間としての魔女セーフィエル。なぜ貴女が人間となったのか、人間としての貴女の背景はどのようなモノか、おそらく貴女が情報の多くを抹消したせいで、調べるのに苦労をいたしました。そしてようやくアリスさんまで行き着いたわけです。

 我々は死亡しているアリスさんの降霊を試みました。わたくしどもの組織でももっともそれを得意にする者にもやらせましたが、結果は何も起きず。生命は死した後、霊体としてこの世界の近くにおりますが、しばらくすると降霊では呼び出せぬ場所へ逝ってしまいます。アリスさんの場合もそれに当てはまるのか、だとしたら黄泉返りは不可能。アリスさんを復活させるには、同じ記憶を持つ偽物を作るしかない。それしかこの世にアリスさんを存在させる道がない」

「それがアリス君と言うわけかい?」

 シュヴァイツの問いに〈彪彦〉は嬉しそうな顔をして、首を大きく横に振った。

「正解ではありますが、完璧な回答ではありませんね。確かにアリスさんは、そう言った過程で作られたコピー品です。しかし、これはおそらく試作か実験、更なる段階がありますよね、セーフィエルさん?」

「…………」

「今から申し上げる点がもっとも重要です。ここにいる本物アリスさんは医学的には死亡していますが、霊的にいうとまだ死んでおりませんよね?」

 生と死、輪廻転生、霊の進化。

 生命は死を迎え、肉体を離れアストラル体となる。それが幽霊と呼ばれるもので、この世界に多く干渉してくる存在。降霊によって呼び出せる存在だ。

 アストラル体はそこからさらなる次元へ旅立ち、エーテル体となる。人々が住むこの世界とは別の世界に存在するが、交霊によって意志を交わすことは可能だ。

 やがて霊はさらなる次元へ旅立ち、人間が手を出せない場所へ逝ってしまう。もしもそこにアリスの霊が逝ってしまったら、もう黄泉返りは不可能となる。

 彪彦の言う『死んでいない』とは何を示す言葉か?


「この本物のアリスさんを見て、確信してしまいましたよ。そうですアリスさんは死んでいない。魂魄はまでその躰の中で眠っている。アストラル体となっていないモノを、生命が死んだとは言えません。そうですよねセーフィエルさん?」

 これで尋ねたのは何度目か。その問いに対してもセーフィエルは口を開こうとはしなかった。

 不意にアリスが瞳を開けた。その瞳に映る『姉』の姿。

「わたくし……アタシは今も姉貴を拒み続けてる。だから自分の殻に閉じこもって、アンタの好きなようにはさせない、わかるでしょ!」

 明らかに違う。アリスであってアリスでない。

 驚いてシュヴァイツは口をぽかんと開けてしまった。

「大丈夫かいアリス君、君らしくない」

「アタシはアタシだし。言うことを利かないアタシが疎ましいから、記憶をロックしてたんでしょ。じゃあなんでアタシを生き返らせようとしたの、アンタの自己満足のため人形ってわけ!?」

 取り乱した冷静ではない態度でアリスはセーフィエルに詰め寄った。

 セーフィエルを知る者なら、その行動に驚きを隠せないだろう。

 夜のように佇み、闇のように全てを呑み込む。敵を前にして決して物怖じすることないセーフィエルが、後ずさりをしたのだ。

 〈彪彦〉は無機質な表情した。

「人間に転生する前の貴女を知っているわたくしからは、とても信じがたいことですが、貴女は人間となって弱くなった。以前の貴女は何かを何し遂げるためにはどんな犠牲も払う人であり、肉親すら悪魔に捧げるようなひとでした。それが今はどうですか、死んだ妹に執着し、目の前の亡霊にさえ物怖じしている」

 アリスがセーフィエルの胸倉を掴んだ。

「アンタの自由にはならないからな!」

「イヤぁぁぁッ!!」

 我を失いセーフィエルはアリスを突き飛ばし、怯えたようにその場に頭を抱えてうずくまってしまった。

 アリスは尚もセーフィエルを責め立てようと近づこうとしていた。その足が不意に浮き上がった――何かに吸い込まれるように。

 それは彪彦の仕業だった。大きな口を開けた魔鳥の中へアリスが吸い込まれる。抵抗すら許さず、瞬時のうちにアリスが吸い込まれた。

 急に血相を変えたセーフィエルが氷の瞳で〈彪彦〉を射貫こうとした。

 だがしかし、彪彦は悠然とその場に立ったまま、余裕の表情でセーフィエルを見下していた。

「何をする気ですかセーフィエルさん、わたくしは亡霊から貴女を救ってあげただけですよ。所詮、あんな物は偽物に過ぎません。わたくしの後ろにいる者が本物でしょう。この本物をどうするか、全てはわたくしが握っています。貴女の行動ひとつで、アリスさんの運命は変わるのですよ、おわかりですよね貴女なら?」

 依然、本物のアリスは人質にされたまま。

 機械人形ですらあんなにも我を失うセーフィエル。もしものことがあれば尋常でいられる筈がない。

 もはや〈彪彦〉の言うなりになるしかなかった。

「わたくしの目的は一貫として変わりません。〈裁きの門〉を開き、そのさらに奥、〈タルタロスの門〉の先にいるあのお方の復活。そこまでできずとも、あのお方の力が『こちら側』に影響するようにしてもらいたい」

 それが意味することをセーフィエルは熟知している。

 幾星霜にも及ぶ戦いの歴史。

 〈楽園〉を堕とされた双子の飽くなき闘争。

 いくつの種族を滅ぼし、いくつの文明を滅ぼし、いくつの世界を創るのか?

 魔導によって栄華を極めようとしている帝都エデン。この都市もまた過去の文明と同じ末路を辿るのだろうか?

 彪彦はゆっくりとゆっくりとセーフィエルに近づいた。

「妹を救うためなら、貴女はこの世界がどうなろうと構わない筈ですよね。すでに娘さんはこの世界に解き放たれたらしいですね、貴女の策略によって。女帝のインペリアルガードの永久欠番――ノイン。本名はシオンさんでしたね。

 貴女のしたことは、はじめのうちはこちら側に有利なことでしたが、最終的には想像を超えた痛手となりました。元はと言えば貴女のせいで、あのお方はこちら側に影響を及ぼせなくなってしまったのです。最大の枷が外れたというのに、あのお方を封じる力はさらに強くなってしまいました。もしかして、そこまで貴女の策略なのでしょうか? だとしても今度は不穏な企みなどしないようにお願いしますよ。人質がいることを決してお忘れなく」

 ガラスの棺で眠る『アリス』。そして、〈彪彦〉に呑まれたアリスはどうなってしまったのか?

 全ては〈彪彦〉の手の内に――。

 幽鬼のごとくセーフィエルが立ち上がった。

「貴方の話を聞き入れるわ。〈闇の子〉の復活……世界の終焉まで付き合いましょう」

 彪彦はサングラスの下で微笑んだ。

 だが、そのときどこからかか声が!

「いけませんセーフィエル様!」

 その声は……〈彪彦〉の体内から、アリスだ、それはまさしくアリスの声だった。

 急に〈彪彦〉が苦しみだし、壊れたブリキ人形のように、ぎこちない動作で床を転げ回った。

 大きく開いた嘴から吐き出されるアリス。

「セーフィエル様、早く本物のわたくしを救ってください!」

 アリスに何が起きたのか?

 いや、何にアリスは目覚めたのか?

 そこにいるアリスは何者か?

 考えている猶予はなかった。

 夜風が人の背を凍り付かせる速さでセーフィエルは移動した。

 『アリス』が眠るガラス管の前にはシュヴァイツの姿。だが、彼は何食わぬ顔で道を開けた。

 床でもがく彪彦が叫ぶ。

「シュヴァイツさん、貴方って人はッ!!」

 怒号の主とは視線を合わせず、シュヴァイツは口笛を吹きながら天井を見上げていた。

 セーフィエルの手がガラス管に触れた。

 尋常ではない空気の揺れ。

 羽ばたいた〈彪彦〉がセーフィエルを止めようと飛翔する。

「空間転送などさせるものですかッ!」

 〈彪彦〉の躰がアリスによっ鷲掴みにされ、宙を引きずられるように投げられた。

 セーフィエルを中心として空気の波動が多くを薙ぎ払った。

 時空が揺れる。

 まるで蜃気楼を見ているような景色。

 セーフィエルがアリスに手を伸ばした。

「掴まりなさい!」

 伸ばされたアリスの手。だが、その手をセーフィエルが掴むことはできなかった。

 泥を撒き散らし床を這う〈彪彦〉がアリスの足首を掴んだのだ。

 引きずられるアリスの瞳が大きく見開かれる。

 セーフィエルの指先とアリスの指先が軽く触れた、その刹那。

 衝撃波が巻き起こった。

 泥人形が四散する。シュヴァイツは強風を受けて壁に叩きつけられた。

 消えたセーフィエルと『アリス』の眠る硝子の棺。

 そして、この場には機械人形アリスの姿もなかった。


 嵐の夜。

 街に墜ちる閃光。地面を打ち付ける豪雨。吹き荒む狂風が耳を塞ぐ。

 深夜の街を傘も差さずに歩く男がひとり。

 稲光がその男の顔を照らした。

 陶磁器のように白い肌。浮かび上がる紅い唇。

 白銀の髪から雫がいくつもこぼれ落ちる。

 そして、男から足下から辿って来た道を示す朱い印。男の流した血の朱だった。

 抉られた腹、失われた手首、流れる血は地面に軌跡を描いていた。

「あれは何者だ……?」

 呟く声は鋼の響き。そして、氷のような冷たさ。

 再びどこかに墜ちた落雷による閃光が男の全身を輝かせた。

 はだけた胸に刻まれた巨大な十字の刺青

 男の職業は殺し屋だった。胸に十字を刻む殺し屋は帝都にただひとりしかしない。

 宵の明星『ルシフェル』の通り名を持つ――瑠流斗るると

 足を引きずりながら歩く瑠流斗の視線の先に、雨に打たれ地面に俯せに倒れている人影を見つけた。

 近づくとそれが少女だとわかった。

「屍体か……ちょうどいい君の血を……ん?」

 瑠流斗は足先で少女の躰をひっくり返そうとして気づいた。

 想像以上に重い躰。

「人間ではなくオートマタか。そんなことにも気づけないなんて、疎ましい雨だ」

 瑠流斗は力を込めて機械人形の躰をひっくり返した。

 蒼い瞳を見開いたまま、その機械人形は天を仰いで機能を停止させていた。

 瞳の横を流れる雨粒がまるで涙のように……。

「そうか、君も捨てられたのか。君はどんな罪を犯した? それとも邪魔になって捨てられただけかい?」

 不意に瑠流斗は苦笑した。

「嫌な雨だ……感傷的になる」

 しばらく間、瑠流斗は雨に打たれたままその場に佇んでいた。じっと機械人形の少女を見つめ、その瞳を見つめながら佇んでいた。

 どれくらいの時間が流れたのか。

 すっかり躰は凍え、瑠流斗の失った手首から墜ちていた血も止まっていた。

 そして、瑠流斗は機械人形の少女を抱え上げ、深い闇に向かって歩きはじめた。

 それが新たな物語への序章。

 雷鳴と共に誰かが其の名を叫んだ。

 ――アリス。

 失われしアリスを探すその声は、嵐の夜に熄えた。


 失われしアリス(完)

アリスのその後は「ルナティック ハイ」という別のシリーズで語られることになります。

興味のある方はそちらも読んでくださいね。

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