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エピローグ

 正室と違い、側室は大仰なパレードもなく、ひっそりと迎え入れられる。数少ない供を連れて夫の実家を訪れる側室は、城に足を踏み入れる前に全ての過去と決別し、身一つで夫の妻となる。唯一の幸せは、子を生んだ時に初めて与えられる。側室で成り上がれるものは、実際にはそう居ない事を華漣は知っていた。

 武の城下町が見えて来た検問で、華漣は実家の全ての供に別れを告げた。唯一同行を認められた光輝だけを残し、よく知る面々はぞろぞろと来た道を帰っていく。彼らにはもう二度と会うことはあるまい。今後再び対面出来る可能性があるのは、父と弟だけだろう。それもいつ叶うか分かったものではない。

 華漣のお付き女官としての地位を築いてきた光輝も、取り残された我が身を憂いてか不安の色を瞳に宿している。武で用意された馬車に乗り換え、華漣と光輝は一言も話す事なく嫁ぎ先の地を踏んだ。華家とは比べものにならない規模の城下町、行き交う人種は実に様々で、本来ならば華漣の心を弾ませる筈の風景にも心が躍らない。何を見ても楽しくない、これ程つまらない事が世の中にあるなんて、思ってもみなかった。

 美しく着飾られた華漣は、その姿を誰にも見せる事なく与えられた部屋へと移された。華家よりも居心地の悪い、一生を過ごす事になるであろう監獄は、ただ豪奢なだけで華漣の心に一筋の喜びも与えなかった。窓から外を眺めようとカーテンを開けてみても、隔離された城内から街を一望することも叶わなかった。側室とはこういうものかと、華漣はただ、小さな溜息を漏らしただけで諦めた。昔の自分なら、文句を言って暴れただろうに。

 新しい付き人が何人か挨拶に来たが、既に誰一人として覚えていない。何もかもがどうでもよくて、投げ遣りな自分に自嘲すると、更なる心の闇に染まっていった。行き場のない身の上が憐れで、ただ泣けてくる。

 あの時、蓮と最後に会ったあの時に、気付いてしまったこの気持ちを正直に伝えていれば、どうなっただろう。プライドなんか捨てて、声高にこの気持ちを叫んでいたら、彼は少しでも、ほんの少しでも華漣の元へ来る道を考えてみてくれたのだろうか。少なくともこんな風に、後悔する事はなかったのかも知れない。

「よく来られた」

 ノック音は聞こえなかったが、光輝が退出しているところを見ると、気付かなかったのは華漣だけのようだ。声をかけられて初めて、声の主に視線を向ける。気怠さを押し込めて、ゆっくりと重い腰を上げた。小さく一礼をした華漣を、男が半ば無理矢理座らせる。

「私に当て身を喰らわせた元気はどこへやってしまったのです?」

 華漣の夫となった男は、苦く笑う。華漣は顔を背け、何も見えない窓の外の景色を眺めながら男と話した。

「当て身を喰らわせるような女を、よく娶られましたね」

「あれは中々見事な一撃でした」

 男の声を聞いていると、耳を塞ぎたくなる。

「言ったでしょう?貴女が他の男を愛しているから、私は貴女がいいのだと」

「変な人」

 華漣は冷めた瞳で男を見た。体格の良い身体を伸ばしたまま華漣を見下ろす男と目が合う。

「何てことはない、私も別の女を愛していますからね。私に言わせれば、これは願ってもない結婚だったわけですよ。私は側室を迎えろと、貴女は夫を迎えろと、言われ続けてうんざりしていた。そこに、お互いに気のない二人が巡り会う。これは運命でしょう?ただ名前だけの夫婦となり、厄介事を払いのける。良い案だとは思いませんか」

「心の広い人ですわね。わたくしのした事に、お怒りにはなりませんでしたの」

 華漣は溜息を付く。男に会う為に中家の主子を引き摺り回した挙げ句に、手まで出したというのに、この男は次の日、正式に求婚してきた。小躍りする父を止められる筈もなければ、その時の華漣には逆らうだけの元気もなかったので、縁談は直ぐに纏まり、こうして華漣は武中家長男主子、ヨウの側室となった。

「正直なところ、私はあの時気を失ってはいませんでしたので」

「は?」

「当て身は喰らいましたが、これでも腕には自信がありまして。姫の力で気を失う程やわな身体ではありません」

「・・・聞いて、おられましたの」

 男は少しも笑わずに、立ち位置を変えた。男の表情が見えなくなる。

「蓮、と言いましたか。確かに、声は私に似ていましたね」

 振り返った男の瞳は、鋭く光っていた。獣に睨まれたように身体の自由が一瞬で奪われる。

「何者です、その蓮という男」

 華漣は口籠もる。お前の弟だと、叫んでやりたかった。

「一緒にいた女は、反逆者だと仰いましたね?どういう事です」

 目を反らせない。何て迫力があるのだろう、冷や汗が流れた。

「言い難いのなら、私が申し上げましょうか?貴女は乗馬を嗜み、市中をその目で視察する姫君を知っていると仰いましたね。そんな風変わりな姫君は、そうそう居りません。彼女は鵡に嫁いだ私の従兄の妻、彼女の名は御存知でしょうか?」

 男が顔を近づけてくる。近くで見ると吸い込まれそうな程に、華漣が愛した男に瞳の色が似ていた。

「メアリですよ、彼女は名をメアリと言いました。何とも愛らしい姫君で、貴女の仰った通り、黄銅のウェーブがかった髪をしていましたね。だが、どうにも解せない事に、失礼ながら貴女がメアリ姫と面識があるとは思えない」

 心臓が、高鳴る。武の地を預かる程の男、そうそう阿呆ではあるまいとは思っていた。華漣は唇を噛み締め、男の瞳から目を反らさない事だけを考えて、必至で耐える。

「貴女がメアリ姫とお会いしたのは、最近ですよね?そう、反乱の後だ!」

 語調が強くなる。華漣は肩を振るわせた。

「蓮という男といた、あのマント姿の女性。彼女が、メアリ姫なのですね?生きていたのですね?」

 もう、隠しても仕方がない。言い訳の言葉も見つからない。華漣は大きく息を吸い込み、小さく頷いた。瞬間、男が高らかに笑った。華漣は目を見張り、身を強張らせる。怖い。この男は、何を考えているのか分からなくて、怖い。

「素晴らしい、やはり生きておられたのですね!華漣姫!」

「は、はい」

 華漣は名を呼ばれ、反射的に返事をした。男の笑顔は初めて見る。

「手を組みませんか?」

「は、・・・はい?」

「貴女はあの蓮という男が欲しい、私は蓮と逃げたメアリ姫が欲しい。共に、捕まえませんか?あの二人を!!」

 捕まえる。

「そうですよ、捕まえて、手に入れるのです!幸いな事に、鵡では本当にメアリ姫は死んだものと思われている。捜索もされていない!メアリ姫の本当の夫ですら、この事実は知らないのですよ?探せるのは我々だけ、手に入れられるのも、我々だけではありませんか!!」

 この男と手を組む。

 有り余る程の権力を行使して、二人を捕まえる。

「面白いとは思いませんか?姫君も退屈はお嫌いでしょう?これはゲームです。多くの駒を使えるが容易く外には出られない我々と、身一つで何の権力もないが自由に飛び回る二人の、時間を掛けたゲームですよ」

「ゲーム」

 華漣は我知れず呟く。何だろう、この心に沸々と湧き起こってくる感情は。

「勝てば、何物にも代えられない報償まであるのですよ、姫」

 勝てば。

 このゲームに勝てば、華漣は再びあの男を手に入れる。手の届かない存在になってしまった蓮、華漣の元から逃げた蓮、彼を捕まえ、鎖で繋いで一生離さない。今度こそ、華漣の命令を遵守させ、側に置いておくことが出来る。

 ぞくぞくと背を這う快感、蓮が側に戻ってくると考えただけで自然と頬が緩む。

 華漣は、その瞳に炎を宿して笑う。

「面白そうですね」

 男は薄く笑った。華漣も笑った。

 この男と結婚をしたら、蓮と繋がっていられる。ただそれだけの思いで嫁いだ先で、思いもかけない拾い物。

「ねえ、主子様」

 部屋を去ろうとした主子を、華漣は呼び止める。男は、顔だけで振り返った。

「主子様の従兄、鵡大家の主子様の、護衛武官を御存知?」

「護衛武官・・・ああ、会った事はないが」

 華漣は微笑む。

「彼の、名前を御存知?」

 主子は何かを悟ったのか、喉の奥で小さく笑った。

「これは厄介だな。鵡大家ライの護衛武官と言えば、かなりの凄腕ですよ。何よりその情報収集力は他に類をみない。情報は命、逃亡もさぞ上手かろう」

 主子は小さく唸りながら、扉を開けた。外に控えていた光輝が一礼をしたのが見える。

 男は閉め際に、こちらに向かって薄く笑んだ。その口元から、聞き慣れない言葉が漏れる。

「鵡大家次男主子の寵愛を受けた、元護衛武官の名は、ソウ」

「ソウ」

 華漣は復唱する。主子は華漣の言葉に返答せず、部屋を後にした。代わりに光輝が入室してくる。

 あの女しか知らなかった、名前。華漣には名乗らなかったその名を、反復する。

「ソウ、ソウ。当て字はあるのかしら?どんな字を書くのかしら」

 総、總、荘、創、・・・「聡」なんてぴったり。

 一歩、蓮に近づいた気がする。彼を示す、たった一つの言葉。

 たったそれだけの事なのに、何にも勝る情報を得たように思えるから不思議だ。彼の本当の名前、それが華漣に道を示してくれそうな気さえする。名を知れる事が、こんなに嬉しい事だとは知らなかった。

「どうされたんです、姫様。顔色が良いですね」

 嬉しそうに言う光輝に、華漣は微笑みかける。

「蓮が、最後にわたくしに言った言葉を思い出したの」

 次の言葉を待つ光輝に、華漣は心の底から笑いかけた。

「“どうかお幸せに”」

「良い言葉を頂きましたね、姫様」

 華漣はその言葉と彼の名を、頭の中で反芻する。


 幸せになってみせる。

 ソウ。貴方を必ず、捕まえる。

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