再生と離脱
「最近全然会えてなかっただろう。とりあえず島田さんのところはお休みしてちゃんとした仕事で収入確保しようかなって」
夕来はしばらく見ない間に少し痩せた気がする。数えるほどしかなかった白髪も増えているようだ。
「40過ぎて落ち着かなきゃとは思っていたけど、まだ自分だけでワークショップとか講座とかできないし、それは今後の目標として、まずはいまある仕事をちゃんとしようと思って。実は子供の養育費もまともに払ってないんだ、元奥さんは収入面では自立してるから大丈夫だけど、いつまでもそんなこと言ってられないし」
久しぶりにご飯を食べよう。いつものピザ屋で。そうメッセージが来た時には、まだ倭子の中には失恋後のような虚無感がしつこく残っていたけれど、夕来の顔を見たらそんなものは消えて無くなった。あのことは重たいシリーズ物のドラマを一気に見た、そんな気分だ。
「突然、どうしたの」
「ずるずると付き合ってきたけど、いい加減ちゃんとしなきゃって思う。まだ先だと思うけど、でも、待っててほしい」
一歩先に進んだ。倭子はずっとこの日を夢見ていたはずだった。けれどあまりにも怒涛の日々に、気持ちがついていかない。一度はダメだと思っていた関係が、今は自分の手の中にちゃんとある。
「うん、夕来の気持ちはよくわかったよ」
夕来はホッとした。もしかして、未だに将来の約束をしない自分に対して、倭子がすっかり失望するのではないか、と半分は怖かったからだ。
今、夕来のバッグの中には婚姻届が入っている。うっかり円花にキスしてしまった後、宣言通り円花は事務所を辞めた。夕来はそのやるせなさにどうにも出来なくなって、熱にうかされるように届けを取りに行ったのだ。倭子と一緒になろう。あんな風に孤独に慣れさせてはダメだ。円花の疲れた横顔を思い出しては、そう強く思った。
ただ、円花が辞めたことに島田は動揺も見せず、素知らぬ顔で自分の妻を次のアルバイトが見つかるまでと連れてきたのだ。
円花の穴を、島田の妻が何の違和感もなく埋める。こんなことが現実にあっていいのだろうか。それならば、円花が島田の妻の後にしれっと入り込むこともまた、自然とできてしまうのだろう。
呆れた。同時に力が抜けた。
自分にはこの愛憎のカラクリがまだよく飲み込めない。島田は「いろんなことをそんなに難しく考えるな」と言うけれど、もうこれは性分なのだ、仕方がない。
島田に失望したのではない、円花に嫌悪を抱いたのでも、島田の妻に憐憫を感じたのでもない。ただ、ただ、自分が虚しかった。一気にまた「結婚」の二文字が遠くなる。
「最初に言っておくけど、これから仕事で元奥さんと連絡することもあると思う。ただそれは娘の親というのと仕事だけの関係だから、どうか理解してほしい。もう、気持ちはないから。お互いに」
「うん、ありがとう。多分つまらないことで悶々とすると思うけど、それはごめん。先に謝っとく。とりあえずピザ食べよう」
倭子はにっこり微笑む。まだ自分には覚悟がないけれど、今は可愛い自分の恋人は目の前のこの女なのだ。それだけでいい。
夕来は、島田の妻と仕事を共にする気は毛頭なく、島田のところは辞めると宣言した。島田と言えば「そうか、じゃあ次の人が決まるまで待ってくれる?今何人かと面接してるから」と平坦に告げただけだった。
「円花さん。急にどうしたんですかね」
意地悪な気持ちが湧いてきて、島田の前でバカなフリをして聞いてみた。
「さあ、彼女も色々考えたんじゃないの。将来のこととか」
関係を知らなければ、すっと聞き流すほどのナチュラルさで、島田は平然と言い放つ。
どうなったんですか、あなたたちの関係は。思わず口をついて出そうな言葉を慌てて呑み込む。自分は正しいことを押し付けたいわけではない。野次馬的に知りたいだけでもない。
そうしてよく考えてみたら、ただひたすらに自分の気持ちを晴らしたいだけだったという結論に至って、愕然とした。
「優しすぎるのは武器じゃない、欠点よ」
円花は最後にこんな風に言っていたと記憶している。耳に痛かったけれど、それもまた自分なのだと夕来は思う。
「あ、乃梨子です。食事会の場所、こっちで勝手に決めたから。メールしときます。あと、あのコラムね。まあまあだったけど、もう一押し欲しいわ。腕落ちたんじゃない?やり直し。あんなんで推薦できないからね、よろしく」




