修復と別れ
「彼女も苦しいんじゃない、今。ああいう真面目な子は自分を追い込むタイプだろうし」
円花に言われたからではないけれど、夕来は返事を待つ携帯電話を何度も確認してしまう。
『いつものピザ屋に行かない?最近あまりゆっくり話してなかったし』
4年の付き合いともなれば、毎週会うわけではなくなっていたけれど、ここ最近は島田の講演が立て込んでいることもあって、デートらしいデートをしていなかった。
「どうしたの、付き合いたての女子高生じゃあるまいし、携帯チラチラ確認して落ち着きない」
円花からは上の空を茶化されている。
「付き合いたての女子高生ほど、純粋じゃないですけどね」
「女子高生が純粋って思うの、おじさんだけよ」
ふふっと笑うと、円花が湯気の立った紙カップを置いてくれる。
「コーヒーサーバーのお試し期間。タダだからいくらでもどうぞ」
見れば自分も口を尖らせて、紙カップに息を吹きかけていた。
「いい匂いがすると思ってましたよ」
「もし失恋したら、私が慰めてあげましょうか」
円花がポツリと言う。その瞳はこちらを向いていなかった。
「何、もしかして何か知ってるんですか?」
この前一緒に受付に立って、何かを聞いたのだろうか。
「ここで私が夕来のこと本気で堕とそうとしてるなら、あることないこと吹き込むけど」
そう笑うと、また作業に戻る。
「何ですか、それ」
「本当のことって、世の中には案外ないもんだなぁって」
「どういう意味ですか」
「例えばこれ、とか」
円花は、島田の講演のレジュメを指した。
「すみません、この前はついあんなこと言っちゃいましたけど、あれ本心じゃないです」
「はは、いいわよ。別に。島田にチクったりするほど暇じゃないから」
女は皆そうなのだろうか。急に我に返って、自分のために現実的になれと諭す。夕来はほとほとそういう空気に疲れていた。けれど倭子は違う、そう思っていたのに。
「別にいいんじゃないの、嘘でも。その方が楽だし、全部うまく回る。でも時々混ぜなきゃならない、本当のこと。だから厄介なの」
円花は島田の隣で一体何を考えているのだろう。ままならない関係のこと、自分の未来のこと、考え出せば本当のことなど必要ないのではないか。
「それならずっと本当でいいじゃないですか。そうしたら苦しくならない」
「だから夕来はダメなんだよな。苦しいのから逃げて、だって真実だからいいじゃんって言っちゃうのって、一番ずるい」
「よくわからないです」
「だろうねぇ、夕来にはまだ早いか」
「バカにしないでくださいよ」
猛然と怒りがこみ上げてきて、立ち上がって円花を見下ろす。顔を上げた円花に向かって、かがんでキスをした。もはや何に対する怒りなのかわからない。勢いに任せて頬に添えた手で肩を掴もうとすると、逆に押し返された。そのまま立ち上がった円花はピクリとも表情を崩さずに、
「私、ここ辞める」
と言った。
「えっ、何急に」
「島田と別れるわけじゃないんだけど、仕事は別で探す」
「どうするんですか。島田さんが?」
「あの人はそんなことに頓着する人じゃない。別にいいんじゃないのかな、どっちでも」
夕来は羞恥と驚愕で混乱していた。もしかして円花は深く傷ついているのだろうか。愛で報われない女が仕事を失うというのは、無闇に寂しい。
「今のキスはひどいからチクリたいぐらいだけど、まぁ我慢する」
紙コップのコーヒーを飲み干すと、円花は座って再び作業に戻る。
呆然と立ち尽くす夕来に、「あとは1人で出来るから。お疲れさまでした」と円花の背中が追い打ちをかけた。
リュックをつかんで、夕来は携帯電話を手にふらふらと部屋を出る。
また廊下には自信たっぷりの島田が腕を前に突き出して、こちらに挑む姿が並ぶ。ざまあみろ、お前は偽物だ。いっそそう思えたのならば楽だ。
自分の知らないところでもかけられる期待と希望。その全てを受け止めるということはやはり、真正面だけではダメなのだろう。




