不安な道のり
「お兄様が闇の眷属……!?
――ダンテの息子だから?」
驚きに息を飲む私の顔を見つめながら、セイレム様は麗しい顔に悩ましげな表情を浮かべた。
「私も最初は単純にそう思ったのですが――よくよく石版や文献を読み込んでみると、光の御使いや闇の使徒は肉体を纏うことがあっても、あくまでも霊的存在で、魂に力が宿っており、人として転生したとしても、血の繋がりによって力は受け継がれないようなのです……。
つまりエルファンス自体が元々闇の眷属――具体的に言うと、闇の使徒かもしくは、闇の力を分け与えられた者ということになります」
「力を分け与えられた者?」
「ええ、先ほどの話に戻るのですが、光と闇の神とその眷属は必ず魂が対となる者がいて、片方の魂を滅せればもう一方も消滅する。
その関係性ゆえに、お互い同士で直接戦うことはせず、それぞれ人間に力を分け与え、地上において代理戦争をさせていた……。
代表的な存在が伝承に出てくるミルズ神とダルク神に寵愛され、特別に力を分け与えられていた『神の乙女』と『闇の王子』です。
同じように光と闇の神に仕える御使いや使徒達も、それぞれが選んだ人間に力を分け与え、自分の代理として戦わせたという記述が石版や創世の書の一部にあります。
ここからは推測ですが、一度、貴方を巡って戦闘状態になった時に、ラファエル王子が『父親譲りの力』と言っていたのは、エルファンスがダンテの前身である闇の使徒『ハーディアス』によって、神代の頃に力を分け与えられた人の子の生まれ変わりであるという事実を指していたのではないでしょうか?」
なんだか話が複雑になってきた。
これって絶対、『恋プリ』の続編とかに出てきた設定だよね。
「ここで重要なのは、人に力を分け与えた分、御使いや使徒達の力が減るということです。
エルファンスの力はかなり強大なので、相当ハーディアスから力を分け与えられているはずです。
つまりエルファンスが強い分、ダンテは弱体化しているはず」
私はコーデリア姫にきちんと考えてからしゃべれと言われたのもあり、一生懸命、頭を回転させてから口を開いた。
「ということは、もしもルーウェリンが誰にも力を分け与えていなかったら、ラファエルの方がダンテより強いってこと?」
セイレム様はにっこりすると、生徒を褒める教師のように私の頭を撫でた。
「ええ、その通りです。
いずれにしても人の輪廻の輪に魂が組み込まれている関係で、肉体が滅べば生まれ変わるのには時間がかかるので、残った一方が世界で一強状態になる。
世界を支配するためにダンテがラファエル王子を圧倒して倒すには、エルファンスの援護が必要なはずなので、間違っても殺すわけがないのです。
ひょっとしたら親子だったのも偶然ではなく、必要な存在だから輪廻の輪から強引に魂を呼び寄せ、息子として転生させたかもしれない。
もしもルーウェリンも同じように誰かに力を与えていた場合、その者がこの時代に転生していなければ、ダンテとエルファンスが組んだ場合は、ラファエル王子一人では勝てませんからね」
『……あの頃は……俺は、怖かったんだ……!
自分の心は容易に闇に染まる性質だと知っていたから』
私はいつだかのエルファンス兄様の発言を思い出し、力をこめて主張する。
「お兄様は、ダンテなんかとは組まないと思います!」
前世はどうだったのかは知らないけど、現在のエルファンス兄様は、自身の心が闇に染まりやすいことを自覚して恐れている。
だから望んでダンテに組することなんて有り得ない。
「いずれにしても、エルファンスが死ぬと一番困るのはダンテだと思うので、命に関しては安心していいと思いますよ」
セイレム様の話で、ダンテにとってエルファンス兄様が必要な存在なのは分かったけど……。
「でも大怪我したり、今頃、拘束されて酷い目にあっているかも……」
想像しただけで胸が苦しくなって、瞳に涙が滲んできた。
「……フィー……」
私はがばっとセイレム様の胸元にすがりつく。
「ねぇ、お願いします……セイレム様!
なんとか速く帰る方法を見つけるか、せめてお兄様と連絡だけでも取れるようにできませんか?
こんな気持ちで四ヶ月以上も過ごすなんて無理です」
笛はないけど居場所を伝えることができれば、ベルファンドにここまで迎えに来て貰える!
必死に訴える私を見下ろし、セイレム様は長い睫毛を伏せ、静かにかぶりを振った。
「残念ながら私の能力では無理ですね。転移術で一日に跳べる距離には限界があるし、転送術も転移術と原理が一緒で、移動距離と消費魔力に相関関係があるので、たかが手紙であっても、五カ国間の距離を送ることはできません……」
そんなっ、本当にどうしようもないの?
諦めきれず、懸命に思考を巡らす私の脳裏に、ふっ、とルイド神殿から見下ろした景色が蘇る。
「そういえば、ここは港町ですよね? 船で向かえば、もう少し早く帰れませんか?」
「おっしゃるように、港からブロリー行きの船に乗れば、ロイズは隣国なので、地上から行くより短期間で到着できるでしょう」
「じっ、じゃあそうしましょう!」
「ところが、宿屋の主人に確認してみたところ、この辺の海域には海賊が頻出しており、現在、漁以外の船は出ていないそうです。
このルイドのあるヴィタメール王国は、中央の政治が乱れており、治安にまで手が回っていないようで……」
「海賊……船が出ていない……!?」
呆然とする私の両肩を掴んで、セイレム様がベッドへと横たえる。
「さあ、フィー、興奮は身体に毒ですから、エルファンスの元へ帰りたいなら、そろそろ横になって休んで下さい。
まずは体力を回復させなくては、いつまで経ってもここから旅立てませんからね」
一刻も早くエルファンス兄様と会いたかった私は素直に横になる。
すると、興奮のし過ぎと、ひとまずエルファンス兄様の命は安全だ思えて気がゆるんだせいか、他にもまだまだ疑問や質問したいことが山ほどあったのに――目の前にあるセイレム様の水色の瞳を見返したとたん、強烈な睡魔に襲われ、瞼が鉛みたいに重くなる。
眠気が堪えきれずに目を閉じ、意識を完全に手放す直前――
「愛してますよ。フィー」
唇に重なる温かく柔らかい感触と、セイレム様のささやく声が聞こえた。
翌朝、唇にちゅっと、またもやキスされる感覚がして目覚めると、視界がセイレム様の顔面で塞がれていた。
「きゃーーーーっ!!」
瞬間的に悲鳴をあげてセイレム様の胸を突き飛ばし、ベッドから跳ね起きた私は涙目で叫ぶ。
「きっ、キスは止めて下さいって言ったのに!!」
「そう言われましても、可愛いフィーの寝顔を前にして我慢できるわけがありません。
それにすでにこの数日間、寝ているフィーにもう百回ぐらいキスしてしまったので、一回ぐらい増えたって変わりませんよ」
「ひゃっ、百回も……!?」
想像以上の回数に一瞬気が遠くなる。
「と、とにかく、私の中では一回増えただけで物凄く変わるんです!
今度、勝手にキスしたら、セイレム様とは絶交しますからね!」
噛みつくように抗議して、セイレム様が差し出したローブや眼鏡を受け取った私は、裸を絶対に見られないよう警戒して、ふとんの中に潜って着替えを済ませる。
「今更、隠しても、フィーの全身を隅々まで見た後なのに……」
「きゃーっ、きゃーっ!」
問題発言はすべて悲鳴で打ち消してなかったことにして、改めてセイレム様と二人きりで密室にいることへの危険性を感じた私は、すぐにここを出発しようと主張した。
「まあ、まあ、そんなに焦らずに、旅の準備もありますので……。
フィーも昨日よりかなり元気になったようですし、まずは階下へ降りて朝食を済ませましょう」
セイレム様はにっこり笑うと、セイさん姿になり、廊下へと出る扉を開いて私を待った――
一階の食堂兼酒場は『ラウルの店』の規模を少し大きくして、小綺麗にしたような印象だった。
まだ早い時間のせいか朝食を食べる人の姿はまばらで、適当に空いている席に座った私達の元へ、恰幅のいい男性が注文を取りにやってくる。
「おはようございます。奥様がお元気になられたようで何よりです」
「――!?」
おっ、奥様!? って私のこと?
衝撃を受けて固まる私の目の前で、セイレム様が上機嫌の笑顔で答える。
「おはようございます、ご主人。
ええ、おかげ様で今朝は妻もこうして起きられる状態になりました」
し、しかもセイレム様も否定するどころか、普通に妻とか言ってるしっ……!?
私は唖然として料理を注文する様子を眺め、宿屋の主人らしき男性の背中を見送ってから、はっと我に返ってセイレム様を問い詰める。
「お、お、奥様とか、妻って、いったい、なんですか?
いつ私がセイレム様と結婚したっていうんですか?」
「そんなに目くじら立てないで下さい。常識的に未婚の男女が二人きりで相部屋には泊まるのはおかしいので、新婚という設定にしておいただけです」
言われてみればたしかにそうかもしれない。
口ごもる私の目元を見つめ、セイレム様はふと思い出したように苦笑する。
「相部屋といえば、本当に貴方にその眼鏡をかけておいて良かったですよ。
さもなければ、あの赤い髪の軟派そうな王子に、確実に寝込みを襲われていましたからね。
これからも絶対に人前で外しちゃ駄目ですよ?」
性格は全然違うのに言っていることがエルファンス兄様とほぼ一致している。
なんて、どうでもいい話をしている場合ではないと、私は力いっぱいテーブルを叩く。
「セイレム様! そんなことよりこれからの旅の話です。
先ほど準備と言ってましたけど、まずは馬を買いに行かないとですよね?」
セイレム様は冴えない表情で、ふーっと長い溜め息を返す。
「フィーは馬に乗れるんですか?」
私は勢い込んだ分、恥ずかしくなって俯く。
「全く乗れません」
「……実は私も似たようなものです」
「えっ!? セイレム様も乗馬できないんですか?」
皇族なのにっ!?
「いえ、得意ではないだけで、一応乗れることは乗れるんですけど、長時間乗っての移動は無理だと思います。
なにしろ子供の時分に神殿入りして、長年ほぼ建物内に引きこもって生活していたのと、たまに出かける際も、大抵、馬車か転移術で移動していましたので……」
「……ええっ!?」
す、すると、まさかこれからの旅は転移術か徒歩?
でも徒歩じゃいつエルファンス兄様の元へ帰り着くか分からないし、転移術ってたしか魔力に対する距離制限あったような……。
しかもかなり魔力を消費するみたいで、使った後セイレム様は弱りきってしまうから、それなりに回復期間が必要になる。
思わぬ事態に頭を抱える私に、セイレム様が他の提案をする。
「資金はあるので馬車を購入する方法もありますが」
「それにしましょう!」
「昨日言ったように、現在、この国は治安までに手が回らない状態なので、宿屋の主人に聞いたところ山賊が横行しているそうです。
馬であろうと馬車であろうと単独で旅する者は格好の餌食でしょう。
そこで商人達は必ず護衛を雇い、大規模な商隊を組んで物資を運んでいて、この町にも定期的に訪れているようなのですが……」
「はい」
私はゴクリとツバを飲み下し、セイレム様の台詞の続きを待つ。
「便乗させて貰おうにも、ちょうど間が悪く、あなたが意識を失っている間に出発したみたいで……次にこの町に商隊が来るのは一ヶ月後だそうです」
「……そっ、そんなっ!?」
絶望的な状況に私は蒼然とした。
単独の旅は危険で、かと言って一ヶ月間も待つなんて冗談じゃないし、そうなると私達はどうやって旅をすればいいの……!?