エントロピーの増大と、勝者のパケット通信
湊が去った後の実家のリビングには、凍てつく朝の空気よりも冷ややかな殺気が充満していた。
「……静香さん。貴女の最新鋭ドローンは、雪遊び用の玩具だったのかしら?」
玲奈が、暖炉の火を見つめながら低く吐き捨てる。
「……極寒地での着氷は計算外でした。ですが玲奈様、貴女も『土地勘がある』と豪語しておきながら、直道様の雪上車のルートを一点も予測できませんでしたわね」
静香は無表情のまま、不凍液で汚れた手袋を脱ぎ捨てる。
「二人とも、やめてよ!」
理央がテーブルを叩いた。その瞳には涙が浮かんでいるが、同時に底知れぬ独占欲が再燃していた。
「お兄ちゃんがあんなに鮮やかに逃げられたのは、二人が昨日、不毛な同盟なんて組んだせいだよ! 私がお兄ちゃんの靴と眼鏡を完璧に管理していれば……!」
「……理央様。管理と監禁を履き違えるから、主人の『脱出プロトコル』を起動させたのですわ」
「……そうね。あの子、追い詰められれば追い詰められるほど、論理の飛躍を見つける天才だもの」
三人の視線が火花を散らし、リビングのエントロピーは最大値へと振り切れる。
「次は協力なんてしない。私が最初にお兄ちゃんを見つけ出すんだから!」
理央の宣言に、玲奈は冷笑を返し、静香は静かに次の解析を始めた。
一方、新幹線駅へと向かう雪上車の中。
湊は、直道から手渡されたスマートフォンを、慈しむように操作していた。
「……完璧なタイミングだったぞ、直道。管理者のルーチン(母の朝食準備)と、追跡者のスリープモードが重なる唯一のデッドスポットだ」
「ははっ、お前の『有線メール』が届いた時は笑ったぜ、湊。まさか令和のこの時代に、壁のモジュラージャックから救援信号を送ってくるとはな」
直道はハンドルを握りながら、バックミラーに映る、遠ざかっていく実家のサイロを見つめた。
「無線は便利だが、それは『観測されている』ことと同義だ。理央がWi-Fiを落としているなら、電柱の上を通るアナログ回線こそが最強のバックドアになる」
湊は眼鏡を指で押し上げ、車窓を流れる白銀の世界を眺める。
「……なあ湊。これからどうするんだ? 北海道から新幹線に乗れば、またあいつらに座標を割り出されるぞ」
「……わかっている。だから、新幹線は『チェックイン』だけして、すぐ降りる。静香の計算を狂わせるための、次なるデコイ(囮)だ」
湊のスマホが、一通の通知を受信した。
直道が事前にセットしておいた、航空券の予約完了通知。目的地は、国内ではない。
「……物理的な距離を稼ぐだけでは不十分だ。これからは、彼女たちの『論理の枠組み』そのものをパージする」
「……お前、本当に楽しそうだな」
直道の呆れたような声に、湊は否定も肯定もせず、ただ静かに微笑んだ。




