部外者の侵入と、崩壊する機密保持
「……ほう。ここが噂の『要塞』か」
直道は、301号室のドアをくぐった瞬間、呆れたような声を漏らした。
俺は眼鏡をクイと押し上げ、彼を監視するように背後に立つ。
「直道。何度も言うが、用件は最短で済ませろ。お前の存在が、この部屋の平衡を乱している」
「お堅いこと言うなよ。……にしても、なんだ。一年の時のあのゴミ溜めみたいな部屋が、まるで最新のデータセンターじゃないか」
直道の指摘通りだ。
現在の301号室に、以前の面影はない。
床に散乱していた紙の資料や、ラベルの剥がれたペットボトルは完全に消滅。
すべての家具は、俺の動線をミリ単位で計算した位置に配置されている。
そして何より、部屋には「二人の天才」による独特の緊張感が漂っていた。
「直道様。初めまして。湊様の生活管理及び警護を担当しております、静香と申します」
静香が、一寸の狂いもない角度で一礼する。
その所作は「メイド」という概念を超え、精密機器を扱うエンジニアのような静謐さを感じさせた。
「あ、こっちがお兄ちゃんの親友(仮)の直道さんね! 私は妹の理央。お兄ちゃんの脳を、世界で一番深く理解してるパートナーだよ!」
理央はソファに陣取り、不敵な笑みを浮かべている。
手元のノートPCには、俺のスケジュールやバイタルデータが刻一刻と表示されていた。
「……湊。お前、いつからこんな『管理』が必要な身分になったんだ?」
直道が、薄笑いを浮かべて顔を近づけてくる。
俺は視線を逸らした。
「必要に駆られた結果だ。目標を達成するため、非効率な生活を外部委託するのは論理的な帰結だ」
「外部委託ねぇ。……にしては、その『委託先』の熱量が、仕事の範疇を超えてるように見えるんだが?」
直道の鋭い視線が、部屋の隅々をスキャンする。
彼は俺の親友であり、同時に鋭い観察眼を持つ男だ。
この部屋に漂う「過剰な献身」を、彼が見逃すはずもなかった。
「……くっ!」
俺は思わず、言葉に詰まって短く声を漏らした。
論理で説明しようとすればするほど、自分の中の「不合理な充足感」が露呈していく気がしたからだ。
「直道。資料は受け取った。速やかに退去しろ。私の集中力が阻害されている」
「はいはい。……あ、でもその前に。せっかく来たんだし、そのメイドさんの淹れたコーヒー、一杯くらいご馳走になってもいいかな?」
「却下だ。リソースの無駄遣いに……」
「湊様。直道様は、湊様の学術活動における重要な協力者です。接待プロトコルに基づき、最高級の豆を用いた一杯を、提供します」
静香が、俺の言葉を遮るようにキッチンへと消える。
「お兄ちゃん! 私も、直道さんからお兄ちゃんの『大学での生態』をハッキング……じゃなくて、インタビューしたいな! さあ、こっちに座って!」
理央までもが、いかにも歓迎するという顔でソファを叩く。
彼女の瞳には、兄の外部関係を把握し、自らの管理下に置こうとする狡猾な知性が宿っていた。
「…………」
俺は再び眼鏡を外し、目頭を強く押さえた。
もはや、この部屋の主導権が俺にあるというのは、単なる幻想なのかもしれない。
二人の天才は、俺という核を守るために、俺の周囲の「外壁」まで自分たちの色に塗り替えようとしている。
背後で、直道の笑い声と、理央の弾んだ声。
そして静香がカップを置く精密な音が重なり合う。
その賑やかなノイズは、俺が求めていた「静寂」とは程遠い。
だが、不思議なことに、モニターに並ぶ数式は、以前よりも鮮明にその意味を主張し始めていた。
(続く)




