お菓子作りの話
居間のテレビには、色鮮やかな動画が流れていた。
クッキーで壁を作り、チョコレートで屋根を固め、砂糖菓子や飴で飾りつける。
画面の中では、まるで絵本から抜け出してきたようなお菓子の家が、少しずつ形になっていく。
かーみ様「ほぉ……」
こたつに入ったまま、かーみ様は目を輝かせていた。
その横では、姫子も身を乗り出して画面を覗き込んでいる。
姫子「すごいですね! 本当に家みたいです!」
澄子「……食べ物で家を作るとは、随分と豪勢な遊びだな」
そう言いつつも、澄子の視線も画面から離れていない。
興味がないふりをしているが、明らかに気になっている顔だった。
楓は台所からお茶を持って戻り、その様子を見て小さく笑う。
楓「皆さん、随分真剣に見ていますね」
かーみ様「楓、見て見て。お菓子で家を作ってる」
楓「見れば分かります」
かーみ様「これ、住めるかな?」
楓「住めません」
即答だった。
かーみ様「えー」
姫子「でも、ちょっと入ってみたいですよね!」
楓「姫子さんも乗らないでください」
澄子「しかし、これだけ大きければ一晩くらいは……」
楓「澄子さんまで?」
楓は軽くため息をつきつつ、もう一度テレビ画面を見る。
確かに、動画の中のお菓子の家は夢があった。
ただし、あれをこの家で再現するとなると、材料も時間も場所も足りない。
それ以前に、作った後どうするのかという問題がある。
楓「お菓子の家はさすがに無理ですけど」
その一言に、三人の視線が一斉に楓へ向いた。
かーみ様「無理?」
姫子「やっぱりですか……」
澄子「まあ、家を作るとなればな」
あからさまにしょんぼりする三人を見て、楓は苦笑した。
楓「そこまで落ち込まなくても。
家は無理でも、食べたいお菓子を作るくらいならできますよ」
その瞬間。
かーみ様「作る!!」
姫子「作りたいです!!」
澄子「……作れるのか?」
三人の反応が、見事に揃った。
かーみ様と姫子は、分かりやすく目をきらきらさせている。
澄子は控えめな表情を保っているつもりなのだろうが、声の調子が明らかに前のめりだった。
楓「……皆さん、分かりやすいですね」
かーみ様「だってお菓子だよ?」
姫子「手作りお菓子なんて、すごく楽しそうです!」
澄子「私は別に、そこまで浮かれているわけではないが……」
かーみ様「澄子、目が楽しみにしてる」
澄子「……見るな」
少しだけ顔を逸らす澄子を見て、楓はまた笑ってしまう。
楓「では、今日はお菓子作りにしましょうか」
かーみ様「やった!」
姫子「何を作りますか?」
楓「そうですね……。最初なので、難しすぎないものにしましょう」
楓は頭の中で、家にある材料を思い浮かべる。
小麦粉、卵、砂糖、牛乳。
バターも少しある。
ホットケーキミックスも確か残っていたはずだ。
楓「クッキーか、ホットケーキか、蒸しパンあたりなら作れますね」
かーみ様「クッキー!」
姫子「ホットケーキ!」
澄子「……蒸しパンとは何だ?」
楓「見事に分かれましたね」
予想通りというべきか、まったくまとまらない。
かーみ様「じゃあ全部作ろう」
楓「いきなり欲張らないでください」
姫子「でも、人数はいますよ!」
澄子「作業分担は可能だな」
楓「澄子さんまでそちら側ですか」
楓は額に手を当てる。
けれど、三人の期待した顔を見ていると、強く止める気にもなれなかった。
ひとりで暮らすつもりだったこの家に、今では四人分の声がある。
台所に立つ理由も、食卓を囲む理由も、いつの間にか増えていた。
楓「……わかりました。
では、簡単なものを少しずつ作りましょう」
かーみ様「楓、優しい!」
姫子「ありがとうございます!」
澄子「感謝する」
三人が嬉しそうに反応する。
楓「ただし、作った後は片付けまでやりますからね」
かーみ様「もちろん!」
姫子「任せてください!」
澄子「……皿洗いは、前より上達している」
その言葉に、楓は少しだけ目を細めた。
楓「では、まず手を洗ってください。
お菓子作りは、そこからです」
かーみ様「はーい!」
姫子「はい!」
澄子「承知した」
三人はそれぞれ台所へ向かっていく。
テレビの中では、まだお菓子の家がきらきらと輝いていた。
けれど楓にとっては、今からこの家で始まる小さなお菓子作りの方が、ずっと賑やかで、ずっと温かいものに思えた。
楓「では、クッキングスタートです」
楓の一言で、三人はそれぞれ作業台の前に立った。
かーみ様はクッキー。
姫子はホットケーキ。
澄子は蒸しパン。
結局、全員が作りたいものを少しずつ作る形になった。
楓としては少し大変になるかと思ったが、三人の期待に満ちた顔を見てしまうと、却下する気にはなれなかった。
ただし、放置はしない。
楓は三人のすぐ後ろに立ち、包丁や火を使う場面では特に注意して見守っていた。
楓「かーみ様、バターを混ぜる時は力を入れすぎなくて大丈夫です。飛びます」
かーみ様「おっと、危ない危ない」
楓「姫子さん、フライパンに生地を入れる時は、少し高いところから落とさないでください。跳ねます」
姫子「はい! そっとですね!」
楓「澄子さん、蒸し器の蓋は熱いので、布巾を使ってください」
澄子「承知した。……料理とは、思った以上に戦場に近いな」
楓「戦場ではありません」
そう言いつつも、楓は少しだけ安心していた。
三人とも、思ったよりずっと素直だった。
説明すればちゃんと聞くし、危ないと言えばすぐに手を止める。
そして何より、意外と器用だった。
かーみ様は細かい作業に強く、クッキーの形を楽しそうに整えている。
姫子は勢いこそあるが、火加減を任せると意外に慎重だった。
澄子は一つ一つの動きが丁寧で、蒸しパンの生地を混ぜる手つきにも妙な真面目さがあった。
楓「……皆さん、思ったより手際がいいですね」
かーみ様「思ったよりって何さ」
楓「すみません。正直、もう少し台所が大惨事になるかと」
姫子「私たち、そこまで信用なかったんですか!?」
澄子「まあ、否定はしきれないな」
姫子「澄子さん!?」
賑やかな声が台所に響く。
それでも作業は順調に進んだ。
生地を混ぜ、焼き、蒸し、形を整え、皿へ移す。
しばらくして、テーブルの上には三種類のお菓子が並んだ。
かーみ様のクッキーは、星や丸やよく分からない謎の形が混ざっている。
姫子のホットケーキは、少し大きいものと小さいものがあり、形も完全な円とは言いがたい。
澄子の蒸しパンは比較的整っているが、一つだけ妙に膨らみすぎていた。
楓「……見た目は、悪くないですね」
かーみ様「本当?」
楓「はい。少し大きかったり、小さかったり、形に差はありますけど」
姫子「それも手作り感ですよね!」
楓「前向きですね」
澄子「味に問題がなければ良いのではないか」
楓「そうですね。では、いただきましょうか」
四人はそれぞれ席についた。
まずは、かーみ様のクッキー。
楓が一枚手に取り、口に運ぶ。
さくり、と軽い音がした。
楓「……あ」
かーみ様「どう? どう?」
楓「美味しいです」
その言葉に、かーみ様の顔がぱっと明るくなる。
楓「甘さもちょうどいいですし、焼き加減も悪くありません」
かーみ様「やった!」
次に姫子のホットケーキを食べる。
大きさはばらばらだが、ふんわりしていて、思った以上に綺麗に焼けていた。
楓「姫子さんのも美味しいですね。少し厚いですが、ふわっとしています」
姫子「本当ですか! やった!」
最後に澄子の蒸しパン。
見た目は少し不思議な膨らみ方をしていたが、口に入れると優しい甘さが広がった。
楓「澄子さんの蒸しパンも美味しいです」
澄子「……そうか」
澄子は少しだけ目を伏せたが、その口元はわずかに緩んでいた。
楓「むしろ、初めてでここまでできるなら十分です。皆さん、本当に上手ですよ」
かーみ様「楓に褒められた」
姫子「嬉しいですね!」
澄子「……悪くない」
三人がそれぞれ嬉しそうにするのを見て、楓も自然と表情を緩める。
テーブルには、少し形の不揃いなお菓子たち。
けれど味はちゃんと美味しくて、作った人たちの楽しさがそのまま残っているようだった。
楓は紅茶を淹れながら、ふと思う。
一人では、きっとここまで賑やかなお菓子作りにはならなかった。
そもそも、自分だけなら作ろうとすら思わなかったかもしれない。
けれど今は。
台所にも、食卓にも、声がある。
楓「……たまには、こういうのも良いですね」
かーみ様「でしょ?」
得意げに笑うかーみ様に、楓は小さく頷いた。
確かに。
お菓子の家は作れなかったけれど。
この家には今、
それよりずっと温かいものがある気がした。
おまけ
せっかくなら、もう一つくらい作ってもいいかもしれない。
そう思った楓は、台所に立ったまま、小鍋を取り出した。
楓「ついでに、キャラメルでも作りましょうか」
かーみ様「きゃらめる?」
姫子「キャラメルって、あの甘いやつですか?」
澄子「……先ほど作った菓子だけで終わりではないのか」
三人の視線が、またしても楓に集まる。
楓「材料もありますし、そこまで難しくはありません。ただ、熱いので今回は私が作りますね」
そう言って、楓は砂糖と牛乳、少しのバターを小鍋に入れた。
火にかけると、最初は白っぽかった液体が、ゆっくりと色を変えていく。
甘い香りが、台所にふわりと広がった。
かーみ様「……いい匂い」
姫子「すごいです。さっきと全然違う匂いですね」
澄子「焦げているわけではないのだな?」
楓「焦がさないように、色をつけているんです」
木べらでゆっくり混ぜながら、楓は鍋の中を見つめる。
三人もそれに合わせて、じっと鍋を覗き込んでいた。
楓「近づきすぎると危ないですよ」
かーみ様「はーい」
姫子「はい!」
澄子「承知した」
返事だけは素直だった。
やがて、キャラメルは綺麗な飴色になった。
楓はそれを型へ流し込み、少し冷ましてから小さく切り分ける。
楓「はい。固まりきる前なので、気をつけて食べてくださいね」
かーみ様が、そっと一つ口に入れる。
かーみ様「……!」
その目が、きらりと輝いた。
かーみ様「甘い! でも、ただ甘いだけじゃない!」
姫子「おいしいです! 口の中でとろけます!」
澄子「……これは、危険だな」
楓「危険?」
澄子「一つで止まらない」
真顔で言う澄子に、楓は思わず笑ってしまった。
かーみ様「楓、これまた作って」
姫子「私もお願いしたいです!」
澄子「……可能であれば、私も」
楓「はいはい。食べすぎない範囲で、また作ります」
そう答えると、三人は満足そうにキャラメルを味わった。
お菓子作りの締めくくりにできた、小さな飴色の甘さ。
それは、この家の食卓にまた一つ、賑やかな思い出を増やしてくれたのだった。




