第8話「女神はあなたの隣にいます(洗脳済)」
「おはよう……あれ、今日は早くないか? いつもはギリギリなのに」
うまく寝付けなかった夜が明け、翌朝。
いつになく早い時間に黒兎が2-8の教室に入ると、そこには、約一名この時間帯では見慣れないはずの人物の顔があった。
「ふふふふふ、罪深きうーさよ。その口ぶりはあんまりではないかね。このわたしは貴様のためにわざわざ一時間も早起きをしてやったというのに」
「あ、ちなみにモーニングコールしたのは私ね」
その名を咲良という。いつものように、その隣にはちゃんと美智流の姿もある。
ちなみに、普段黒兎と咲良は立派な遅刻チキンレース仲間であり、毎朝校門前のコーナーを攻め合っている仲であることをここに追記しておく。
「……美智流も大変だな。ってか、うーさって誰だよ」
「時杉君は間に長音を入れることがカッコイイお年頃なの。許してあげて」
「ええい、黙れい!」
どうやら、今朝の咲良には、おかしなテンションを元に戻す気がさらさら無いらしく、いつになくうっとおしいエセ中世貴族口調で絡み続ける。
そもそも、遅刻未遂常習犯への待ち伏せのために一時間早く登校するという行動自体、不合理極まりないのは間違いない。
「金曜日のキサマの所業、忘れたとは言わせんぞ!!」
「……普通に意味が分からないんだけど」
金曜日……。
咲良は放課後この教室で別れるまでいたって普通だったし、その後のことは知っての通り。接点なんて入り込む余地はどこにもなかった。そして彼女の自宅への訪問というドキドキイベントが、ひと夏の思い出的な意味で実を結ぶ隙もなかった。
……後半部分はともかく、こいつに朝っぱらから罵倒される理由に心当たりは全くない。
この、カップルのようでカップルに成りきれない何かが行きつけのファミレスは、楓さん宅や、何回も往復する羽目になったベビー用品店からは、逆方向のはずだ。
「しらばっくれるな! ネタは上がってるんだ! キサマが法に触れかねないほどのどうしようもない変態だったという事実がな!!」
「は? お前何言って……」
と、黒兎がほとんど反射的に、至極まっとうなツッコミを入れようとしていた時、突如として彼の灰色の神経回路に電撃が走った。
……もしかして、こいつ、あの子の事を掴んでいるんじゃないのか?
それは悪魔的な仮説だった。
もしも、あくまでもしもの話だけど……何かの拍子で、両腕にでかでかとベビー用品店のロゴが入った紙袋を提げて走っていた自分を目撃していたのだとしたら……。
うっかり僕の突飛な行動が気になってしまい、そのまま尾行。精神・肉体両面からの疲れにより僕は気づけないまま、結果的に彼女の自宅と僕ら二人の秘密を知ることに。
まったくありえない話では……いや、ありえないよな、うん。冷静に考えて。
「あくまでしらを切り通すつもりか。よかろう。では裁判長、罪状の読み上げを」
「……なんだかこの検事さん裁判長より偉そうなんだけど、そこのところはどうなってるのかな」
「……裁判長は迅速に読み上げを始めてください」
「何なの? 最近突然の裁判ごっこが流行ってるの?」
しかも、大体僕が被告人なんだけど。
「まぁいいや、えーっと、被告人には幼児性愛ならびに器物への偏愛の疑いがかけられています」
「お、おいおいおい、そんなわけ……」
こ、これは、まさか……。
「ならば、金曜日キサマが三度もウサちゃんマークのベビー用品店に現れた理由について、どう説明してくれるというのだ!」
やっぱりぃぃぃ!?
「い、いいいい、いや、それはその……成り行き上仕方なかった部分もあると言いますか、情状酌量の余地はあると言いますか……」
「いや、いいんだ、お前がロリコンの上に無機物萌えまで併せ持っている極めて高度な変態だったとしても、俺たちは親友だからな」
「……ずっと隠しててごめん。僕がずっとロリコンで無機物萌え……って違うわ!?」
危なかった……コイツの良い話っぽい雰囲気に流されていろいろと観念しかけてた。
……というか、もしかして……赤ちゃんのことはバレていない?
「うさ、もう隠さないでいいんだ。お前が自分の気持ちに正直になれるように、人の少ない朝を選んだんだから」
「結局モーニングコールしても三回目まで起きなかったけどね~。そのせいで予定より三十分くらい遅くなっちゃってるけどねぇ」
美智流の言うとおり、今は、朝は朝だけどそこまで早い時間というほどでもない。現に僕たち以外にも二、三人のクラスメイトが登校している。人目もあるんだ、まぁなくてもダメだけど……どちらにしても、赤ちゃんの事をここでばらすわけにはいかない。
だったら……。
「……そうだ」
「ん? なんだって」
「認めるよ。……僕はロリコンで無機物萌えのヘンタイだ!!」
……だったら、その不名誉極まりない勘違いに全力で乗っかるしかない!!
「お、おう……」
「いや、そこでひかないでくれないかな!? 追い詰めたのお前だからね!?」
「目の前で友達の変態性を宣言されるのって、案外見てる方も辛いんだな。もうちょっと笑えるのかと思ってた」
「……それ、想定通りでも外れてても、どっちに転んでも僕はひどいことになってるからね」
ここまであんまりにもあんまりな告白をさせたんだからきっちり責任は取ってほしい。
……あ、念押ししておくけど変な意味じゃないからね。
「要するにだな、お前はもっと自分に素直になるべきだ」
「そうだね、意味が分からないね」
始業時間が近づき、ちらほらと教室内の人影が増え始める頃になっても、まだ咲良からの追及は続いていた。
だいたい、咲良の認識の中では、僕はどうしようもない二重苦の変態ということになっているはずなのに、これ以上何に素直になれと言うのか。
「ほら、ちょっと前にさ、気になる女子がいるみたいなこと言ってたじゃん?」
「もうちょっと意味合いが違っていたと思うけど、まぁうん」
確か、『それは恋だな』みたいなことをドヤ顔で語っていたのは咲良本人だったはず。
「ここまで言ってわからないかなぁ~、かーっ、こいつは本当にもう、鈍感なんだか天然なんだかわっかんねぇな」
やっぱりちょっと訂正。こいつのウザさは期間限定じゃなくて通常運転だ。
「だ・か・ら! お前がその女子とくっつけば、幼児やモノなんか目に入らなくなるんじゃねぇかってことだよ。どうせコソコソとあとを付け回すだけで、勇気を出して告白なんてできちゃいねぇだろ」
『告白ならだいぶ前に済ませたよ。勇気というより恐怖との闘いだったけど』
『むしろスーパーヘタレなのはお前だろ』
って言ってやりたかったけど、やっぱり言えない。
今は自分の名誉より彼女の前科。こらえろ黒兎、お前にはそれができるはずだ。
「……そ、そうだけど、それが、が、何か?」
「告白するんだよ! その女子に!」
「そんなの無理に決まってるじゃないか!」
……だって、実際にはもう告白済みなんだよ? いや、でも、答えをもらってるわけじゃないからノーカンなのか……?
どちらにしても、今からもう一度告白しろなんて、とてもじゃないけど無理だ。
そりゃ、あの時のシチュエーションはおおよそ最悪に近いもので、それなのにそこまで嫌われずに済んだ(よね……?)ことは本当にただの奇跡だと思う。
でも、未だにその奇跡の理由は分からないままなんだ。
……怖いんだ。その奇跡がいつか解けてしまうことが。
そして、二度目の告白が、その“いつか”を早めてしまうんじゃないかって。
「だって、好きなんだろ? お前にとっては理由なんてなくたって、天使なんだろ? きっかけがホントにどうでもいいようなことでも、女神なんだろ?」
「どうでもいいって何だよ! どうでもいいって!!」
それはなんだかすごく失礼なものの言い方で。
「だったらさ。告白が成功するかどうかはわかんねぇけどよ、それでも、お前の目を覚まさせてくれるくらいのことは期待してもいいんじゃねぇの?」
でも、ちょっと騙されそうになっている僕がそこにいた。
「ほら、あれだろ、お前の変態性癖も元は代償行為? ってやつだろ? 例えば、冴えないドルオタがアイドルに触れない代わりに雑誌のグラビアでオ――」
「それ以上はダメだからな!?」
これ以上続けたら、この様子を横から見ている大いなる神が――
「まぁ、俺もまったくわからないわけじゃないけどよ」
「……どういう風に身に覚えがあるのか、具体的な名前を挙げて説明してほしいなぁ~」
――君の大いなる女神様が黙ってないだろうから。
「い、いや、別にこの例えは実体験が元だとか、そういうことじゃなくてだな……」
「はいはい、詳しい話は鍵付きの個室で聞くから~。ここじゃ人目につき過ぎるからね~」
残念ながら、失言をそう都合よく聞き流してもらえるほど、今日の裁判長は寛容ではなかった。被告人を置き去りにしつつ、検事は裁判長に引きずられて退廷する。その間一分未満の早業だった。
「えっと、その個室って生徒用? 先生用?」
「う~ん、しいて言えば女性用かな?」
「やめてやめて!? それは俺の精神より先に面子的な何かが死んじゃうから!」
あっけにとられ咄嗟に口に出した質問も、連行されていく哀れな仔牛の魂を救うことはできなかった。
「大丈夫だよ~。うちのクラスメイトはみんな優しいから」
より正確に表現するなら、“生優しい”が適切だったが、今、それを指摘する者は誰もいない。無慈悲な社会的死刑宣告が下り、二人は教室から去っていく。
……やっぱり、弁護士の不在がまずかったのかな。
「あ、私もうさくんの恋は応援してるから、頑張ってね」
「ああ、そっちも頑張ってな」
「むしろ、私としては、時杉君の頑張りが見たいんだけどね~」
二人が廊下の影に消えるまでの間、僕の神経回路には哀愁漂うドナドナのメロディーが鳴り続けていた。
◇◆◇◆◇
「次回予告のコーナー」
眠れない楓さんと、彼女を心配する黒兎くん。社会的尊厳が死の危機の瀕している咲良と、保護者美智流。
それぞれの思いが雪見邸で交わる時、果たして何が起こるのか?
そもそも本当に交わるのか? ただただすれ違っているだけではないのか?
次回、第9話「僕と彼女の勝利条件」お楽しみに!




