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空間に綴る  作者: 三千
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切望するものは

「ふうん」


たくさんの段ボール箱が自宅の隣にある倉庫の中へと運び込まれるのを見ていたアイの、意外な反応で肩透かしを食らったような気になる。


「何だよ、アイ。この箱の中は全部、お前の好きなひらがな積み木なんだぞ。中が見えないと、想像しにくいのか? よーし、確認のために開けてやるから、ちょっと待ってろよ」


カッターで慎重にガムテープの真ん中の部分を裂いていく。段ボール箱を開くと、中に充満していた木の香りが、ぶわっと放たれた。


「新しいおうちのにおいがするう」


封を切ったのは、一番使われる頻度が高いと言われる『い』の文字。一つ取り出して後ろを見ると、『いぬ』のイラストが描かれている。これはアイが持っている他社の製品のひらがな積み木と同じであった。


「やっぱ、『い』イコール『いぬ』ってのは、普遍なんだろうな」


アイが一つめくって取り出す。けれど、その下も『い』の文字だと分かると、途端に興味を失ったようだ。


「これって、なにに使うの?」


「仕事でね、使うんだよ」


「どうやって?」


守秘義務を感じながらも、相手は小さな子どもだし、ある程度は良いだろうと北川は続けた。


「これで日記を書くんだ」


「にっき?」


「今日やったことや起こったことをノートに書くんだよ。例えば……アイは今日、保育園で何して遊んだんだ?」


「ピカピカのどろだんごを作った」


「じゃあ、何月何日、今日はピカピカの泥だんごを作りましたって、書くんだ」


「書いてどうするの?」


「書いておくと、自分がやったことや、思ったことをいつまでも忘れずにいられるだろ?」


アイが出していた積み木を元に戻し始めた。


「じゃあ、マリちゃんもわすれないようにしているんだね」


「マリちゃん? お友達?」


「ううん、ともだちじゃない」


「そのマリちゃんが何?」


そして、アイの言葉に北川は固まってしまった。


「チョコレートケーキをつくってみんなで食べました、たのしかったって、なんかのノートに書いたんだって」


「マリちゃんって、も、もしかして夜爪さんのこと?」


「うん、そう」


いつの間にそんな話をしていたのだろうと疑問に思う気持ちと、もう一つ芽吹いた嬉しい気持ち。そのアイの言葉が正確ならば、彼女が日記に自分のことを書いてくれた、そう思うだけで胸の鼓動が高まっていった。このままいくと、心臓が自分でも手がつけられないほどに暴走するのではと思った瞬間、アイが言葉を続けた。


「いつまでも、わすれないようにするためなんだね」


さっきまでの熱が、さっと奪われていく、そんな感覚に陥った。


無意味で無機質、けれど生きた証を遺したい、それはどこからどう見ても、矛盾だ。生きた証を遺す、その行為自体に意味が存在するのではないのか。忘れないためにと生きてきた証を記録するならば、それが最終的に無意味で無機質でなければいけないのなら、その行為を最期の最期で否定することとなってしまうのではないのか。


その日以来、北川の自問自答が繰り返された。NNPの社長の時のように無駄口をたたかず、余命宣告の老人の時のように耳を傾けるように、ただその依頼主の希望を叶えるために黙々と作業を進めていけばいいだけにも関わらず、そのアイが放った言葉が北川の頭から離れることがなかった。


夜爪が何を考えているかを知りたい。彼女をもっと、知りたい。


そんな衝動に弄ばれて、それから数日はいつまで経っても、夜に眠ることが出来なかった。


✳︎✳︎✳︎


「どうでしょうか、少し並べてみたのですが」


北川が用意したエアリアルルームの一部分に、ひらがな積み木がカーペットのように敷き詰められている。それは部屋の奥から始まり、すでに半分ほどの面積を占めていた。


その敷き詰められた積み木の上に、北川と夜爪は立っていた。


ひらがな文字が織りなすその文様は、日本人には身近な文字であるはずなのに、それを並べることによって、これほどまでに異様な相を呈している。


書き出しは、以前読ませて貰った日記の冒頭部分だ。


『今日から日記を書くことにする。持病を抱えてから、丸5年。なぜ日記なのかと言うと、いつかは病気で死んでしまうのかもしれないと、それを考えてみたら、やりたいことをやっておこう、それしか思いつかないからだ……』


この文章を全てひらがなで表現しようとすると、


『きょうからにっきをかくことにするじびょうをかかえてからまるごねんなぜにっきなのかというといつかはびょうきでしんでしまうのでそれをかんがえてみたらやりたいことをやっておこうそれしかおもいつかないからだ……』


積み木の大きさは約3センチの平たい立方体。部屋は高さを除くと10メートルの縦横幅があるため、かなりの広さがある。その広さを、一人で一枚ずつ並べていったのかと思うと、北川は軽い眩暈を覚えた。


「見た感じは何て言うか、まあ、壮大ではありますね」


持たされた第一印象を何とか誤魔化してコメントする。


「北川さん、思ったことを言っていいですよ」


夜爪が隣で言う。少しの沈黙を置いて、北川は再度、言葉をひねり出した。


「思ってたより、拍子抜けっていうか、」


「そうぞ、はっきり言ってください」


北川が片手を額に押し当てて、目を瞑る。


「すみません、思ってたより、かなりおバカです」


夜爪の顔を見ることが出来ない。

けれど、ひらがなで埋められたこの部屋が、もうどこからどう見てもアホ面を晒しているようにしか見えない。


俺はこんなことを提案してしまったのか、そう思うと心から盛大な溜息を吐きたい気持ちになった。そして、その場で頭を抱え込みたくなった。


けれど夜爪は、ふっと吹き出すと、あははと声を荒げて笑った。両手で口元を覆い、はたまた腹を抱えて笑い、そして目から涙を滲ませて、大きな声を出して笑っている。


「わ、私もそう、思いました。あははは、おかしい。なんか、ひ、ひらがなって、間抜けなんですね、あはは」


うわ、と思う。何に対しても、あまり心を開かないような印象の女性が、子どものように笑っている。肩を震わせ、背中を震わせ、その白く細い指で、口元を押さえたり、涙を拭ったりしている。


北川は自分の顔も、その笑いにつられて筋肉が緩んでいくのを感じた。いつの間にか、一緒になって笑っていた。


夜爪の心からの笑いが落ち着いてくると、「ちょっと待っててください」と言って、隅に置いたカバンの近くへと歩を進めた。


中からちょっとしたポットと、耐熱のプラスチックでできたマグカップを取り出す。マグカップに中身を注ぐと、白い湯気。ふわりと良い香りがした。


「コーヒー持参なんです。良かったらどうぞ」


マグを差し出す手がふるりと震える。北川はそれを咄嗟に受け取ろうとして、夜爪の指に触れた。


ひやり、とした。何という冷たさだ。触れた部分の自分の肌の温かさでさえ、直ぐにでも奪っていってしまうような、氷のような冷たさだった。


その震えと寒冷が、夜爪が抱える持病からのものなのか、判断がつかなかった。マグを両手で抱えるようにして持つ手。コーヒーの熱がその手のひら全体に伝わるようにと、押し当てている。


けれど北川は、彼女には自分の体温を押しつけたいと思った。その冷たい手を自分のそれで包んで温めたいと思った。


夜爪は、敷き詰められた積み木をじっと見つめている。そして、その横顔はとても美しい。頬へと掛かる黒髪のラインが、北川の目を奪っていく。真正面だけでなく、横から見ても長く美しい、そんな睫毛をもっと近くで見てみたい。


そんな風に北川が夢想していると、夜爪が積み木から目を離さずに、まだ先ほどの大笑いを少し含む口調で、軽く言った。


「でも、何だか気に入りました」


北川が、え、と声を上げる。すると、彼女は北川へと笑顔を投げた。


「北川さんのところへお願いに行く前は、もっと悲惨な部屋になるのかと思っていました。でも、こんなにも楽しくって」


視線を積み木へと戻すと、今度は肩を揺らして笑う。


「見てるだけで、ほんとう、笑えてきます」


北川も彼女の視線の先を追った。


書いてある内容は、幾つもの病気を抱えていた時の辛い記憶。けれど、この作業を続けていけば、この先どんどんと今に近づいていき、そしてこの前アイが言っていたように、こうやって楽しいと思ったことを日記に記してくれたら、そう思うと痛みと同時に喜びを覚えた。


(チョコレートケーキをみんなで食べて楽しかった、だったか?)


もっともっと、彼女を笑わせて、楽しませて、そして。

生きたい、と思って欲しい。

北川は心の内で、そう願うのと同時に、マグのコーヒーを啜った。


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