08.善意
銀色の砂を撒いたような、満天の星空の下に、木村はいた。
先程カーナビの時刻表示は、夜十一時をさしていたはずだ。
普段から早く就寝する方であるため、この時間であっても異常なほど眠い。
だが、藤ヶ崎が今しか会えないと言うため、こうして車を運転して、藤ヶ崎神社までやってきたのだ。
「暗いな……」
好き勝手に伸びている木や草のせいで、石段の位置がよく分からない。
木村はポケットから霊符を一枚取り出し、空へ放った。
すると、それは淡い光の球となって、周囲をふわふわとホタルのように飛び始めた。
なんとか足元が見えるようになり、木村は上を目指して歩いて行く。
いい加減、掃除のひとつでもしてやりたいところだが、軽く掃除したところで現状が変わるとは到底思えない。
綺麗にしようと思えば、本腰をすえて、一週間から十日ほど、つきっきりで作業しないといけないだろう。
(そんなに留守にはできないし、現実的じゃないな)
長期休暇のとれる仕事であれば、可能だったかもしれない。
そんなことを考えながら、石段をのぼりきると、社の屋根の上に、器用に座る藤ヶ崎を見つけた。
月明かりに照らされてはいるが、影のかかっている部分も多い。
しかし、はっきりとその姿は見える。
それは、彼が神様だからだ。
「こんばんは」
木村が挨拶をすると、彼は空を見上げた。
「……今日は、月が綺麗だ」
「ええ。もうすぐ満月だそうですね」
「知ってるかい? 満月っていうのは、不思議な力を持つ。隠している本性が暴れ出したり、とかね」
「西洋的な考え方ですね」
「事実に西も東もあるまいよ」
彼はそう言うと、社の上からひょいと飛び降りた。
折れた足は、完璧に治っているようであった。
「ここ何日かで、数匹狩って、霊気を吸収した。どうだい、前より元気に見えるだろう?」
「はい。神様らしくなったと思います」
「冗談がうまいな。さて、お前さんよ。あの娘の話をしにきたのだろう?」
こちらがいつ本題を切り出そうかと思っていたところを読んでいたかのようにして、彼は言った。
「なぜ、あの子の悪霊を残しておいたままにしたのですか?」
木村の疑問は、弱っているとはいえ、悪霊を祓えるだけの力があるはずの藤ヶ崎が、なぜカナヘビを放置したままにしたのかということであった。
そこには、わずかな期待があった。
悪霊はただ祓えばいいというものではないという、自分の考えが通じたのではないか。
問題の本質にやっと気がついたのか、と。
しかし、藤ヶ崎の答えは、そんな期待とは違っていた。
「あれは、ケモノツキだ。ヒトガタとは違う。上手くいけば、とてつもない力になる」
「ケモノツキ、とは?」
木村でも聞いたことのない単語であったため、素直に聞き返した。
「悪霊が優位性を持つのがヒトガタで、その反対に、人間が優位性を持つのが、ケモノツキ。ケモノツキは、悪霊を使役する力を得られる可能性がある。都でもそういない、稀な才能だ」
「その、ケモノツキになると、どうなるんですか」
「悪霊を祓う必要がない。それに、いい術師になれる」
木村はそれを聞いて、喜びと落胆とが入り混じった、不思議な気持ちになった。
ケモノツキになれば、悪霊と人間は共生していける。
これは、木村の考える理想――――憑りつかれた人が、自分自身の力で生きる道を切り開ける世界に一歩前進できる情報だ。
しかし、ただでさえ人手のない陰陽術師たちがその才能を野放しにしておくはずがない。
術師になる以外の道を、選べなくなるだろう。
まだ中学生の彼女は、自分の夢を持つことを、許されなくなる。
そんな残酷なことはさせられない。
だが、木村はケモノツキを祓う方法を知らない。
(佳奈恵ちゃんを助けるには、ケモノツキの希少性を下げるしかないのか? ヒトガタとケモノツキ……。その違いはどこにある?)
素体の違いか、環境の違いか。
憑りつく悪霊に違いがあるのか。
確実にケモノツキを作れる方法が判明すれば、悪霊を祓う必要がなくなり、人の負担は大きく減る。
考え込み始めた木村を見て、藤ヶ崎は言った。
「それで、話はそれだけか?」
「ああ、いえ、もうひとつ。彼女は、陰陽術を習いたいそうです」
これを言うのは気が進まなかったが、約束した手前、仕方がない。
木村は、小さくため息をついて話し始めた。
「彼女は、今学校でいじめられています。その問題を解決するために、心の支えとなるものがほしいそうです」
「なるほど。そのために、陰陽術を習いたい、と」
「はい。一般人を巻き込むことはできないと断ったのですが……」
先程のケモノツキの話を聞いたこともあり、彼女に陰陽術を習わせないよう藤ヶ崎を説得することは、もう諦めていた。
周囲から陰陽師になることを望まれている子が、自ら習いたいと言い始めたのだから、止める必要がどこにあるだろうか。
(佳奈恵ちゃんのことを思えば、絶対にさせない方がいい。だけど――――)
神族に、人間のそういった心の動きはわからない。
彼らはそれほど繊細にできていない。
藤ヶ崎が笑顔を浮かべたのは、当然のことであった。
「いいじゃないか。それなら、こそこそ監視をする必要もなくなる。この忙しい時に、ずっと見張っているわけにもいかないからな」
「でも、危険じゃないですか? もし、いじめで追い詰められた彼女が、人に向けて使ったりしたら……」
藤ヶ崎は、呆れたように頭を掻いた。
「お前なあ、それこそ陰陽術が刃物に変わるだけの話だろ。近くに頼れる人がひとりでもいれば、凶行に走ることはないはずだ」
藤ヶ崎の言うことも、充分に理解出来る。
それに、佳奈恵は人に向けてそういうことをする子ではない。
わかっている、わかっているが、納得ができない。
木村は肩を落として、藤ヶ崎の言う事を受け入れた。
藤ヶ崎は陰陽師を増やすことにあまり精力的ではない神族だ。
そうやすやすと子供を都送りになどしないはずだ。
石段を降りながら、木村は考えていた。
どうすれば、ケモノツキを増やせるか。
効率よく調べられるだろうか。
車の運転席に座り、ポケットの中に手を入れると、アメ玉の包み紙だけがたくさん入っている。
藤ヶ崎が長年作り続けた、悪霊の種を包んでいた包み紙だ。
意図的に悪霊を人に植えつけるための技術であり、呪いに近い術だ。
(ヒトガタの数を増やして、藤ヶ崎よりも先にケモノツキを見つけて保護するしかないか)
これまでは、問題を抱えた人に悪霊の種を与え、ヒトガタを作ってきた。
どんな大きな問題を抱えていても、夢の世界へ逃げれば、死ぬことはない。
それは、木村が悪霊のいるこの世界に対して出した、ひとつの答えであった。
人を死なせないために、わざと悪霊を憑りつかせる。
悪霊の作り出す夢の世界は、人を幸せにする。
辛い現実世界から逃げて、生きていけるのなら、それでもいい。
だから、木村は佳奈恵にもそうなってもらおうと、彼女を救おうとして、悪霊の種を渡した。
しかし、現実は全く逆に、彼女に新たな重荷を背負わせてしまった。
その償いのために、何ができるだろう。
答えの出ないことを延々と考えながら、木村は帰路についた。