転生者とひとつのおとしあな
リアルタイムではないものの、登場人物に関わって犯罪被害の表現があります。直接的な表現はありませんが、不快に思われる方、不安に感じた方は、とばして後書きのあらましだけを読んでいただければと思います。
長旅直後だろうとなんだろうと、月曜日はやってくる。
疲労感の残る体を引きずって出勤すると、若様に顔色が悪いと言われて、私はデスクワークだけをするように言われた。
ありがたくそれに従って、またたまっていた陳情類を整理しているうちに、気付けば週の前半が終わっていた。
それで私もはっとした。これは多分、顔色だけの問題じゃなくて、極力刺激をなくして前世を覚醒させないようにという思惑だったんだと。
やられた、とため息が出る。
相変わらず、心配過剰だ。私はパーティ騒ぎですっかり忘れていたけど、あっちはそうじゃなかったらしい。
迷惑を掛けている申し訳なさと、勝手に、その上表向き違う理由をつけて拒否できないやり方をされたことへの腹立たしさとが、同時に沸き上がった。このストレートじゃないやり方は、ロンの入れ知恵に違いないとすぐに思い至る。そ知らぬふりして二人が共謀していたというのが、また悔しかった。
だから、水曜日の昼に若様から、同じ方向に行くから協会まで同乗しないかと言われたとき、即座に断ったんだ。
「健康のために歩きたいので、遠慮致します」
そのまま、お昼もそこそこにナンさんの手伝いに行った。
冷たい空気を切ってずんずん歩いているうちにむかむかはかなり収まったから、やっぱり歩いて良かったなと思った。
この日、リリは私を質問攻めにした。
「えっと、そうね、覚醒前の方が多分、明るい性格だったかな」
「姉?前世の姉は私とは比べ物にならないくらい優秀で、っていうかよく比べられて、私とあの人は違うって開き直ってたんだけど、まあ…仲は悪くなかったかなあ」
「今は、上の姉はおっとりで、真ん中はちゃきちゃきしてるよ。え、うん、私とは似てないね」
「母は…今の母はおおざっぱな放任主義かな。前世の母は、心配性だった気がする。私が出来のいい娘じゃあなかったせいで余計そうだったのかもしれないけど」
この前の謎の言葉について聞こうと思っていたけど、まるでそんな余裕はなかった。
前世の家庭環境、今の家庭環境に職場環境、あげくは学業成績までしゃべらされて、私はぐったりした。座って話しただけなのに、疲労困憊だった。前みたいに私が一方的に話しているよりは前進してると思えたから、気分は悪くなかったけど。
リリが最後で良かったなあと思いながら、黒猫屋と何か言い争っているナンさんに軽く挨拶をして、協会を後にする。
その帰り道。
私はいつも通りの時間に、いつもの道を通って、これまたいつも通りに駅前で鯛焼きを一つ買った。
店を出たところで誰かにすごい勢いでぶつかられて袋を落としたけど、幸い中身は袋から飛び出さず、鯛焼きは無事だった。
「よかった」
ほっとして駅前のベンチでかじりつくと、もちもちした白玉が出てきた。
私は、あれと思った。
今日は普通のあんこバージョンを頼んだはずなのに、間違えたのかなと。でも、白玉は大好きだし、お昼が少なめだったせいでお腹も空いているから、むしろラッキーだ。本当についている。
私はうれしくなってぱくぱく食べた。
半分食べたところで火車の時間が来たので、残りは袋にしまって構内へ急いだ。
そして改札を通ろうとしたとき、ふいに呼吸が苦しくなった。
どくんと、体中の血管がふくらんだ気がした。
なに、これ…
そう思った瞬間には、もう、息ができなかった。
吸えない。
なんで。
「どうしましたか?!」
苦しい。
助けて、と伝えたいのに。
私の口はぱくぱくと金魚みたいに動くだけで、息も吸えなければしゃべることもできない。
ひゅ、ひゅ、とおかしな音に気づいたら、それは私の喉から漏れていた。
胸、苦しい。
水はないのに、溺れてる。
とうとう肺が潰れるような痛みを訴え出した。
死ぬのかな、と思った。
かすみがかっていく視界の中で沢山のひとに囲まれているのが分かって、そこで意識が黒く塗りつぶされた。
視界のはしに、肩から滑り落ちた黒い髪が映る。肘の内側辺りまで伸びたそれを見て、『私』は少し鬱陶しく思う。
二十歳の成人式に向けて髪の毛を伸ばした。一月にそれも終わって、春に向けて少し切ろうかな、と思っていた。
新しい髪型を考えて少しわくわくして、でも出費が少し悩ましくて、そんなありふれた大学生だった。
『私』は、若い男に会った。
前に夢に出てきた、見るからにちゃらちゃらした男。
カットモデルを探してる、と言われて、なんの疑いもなく信じて、引き受けた。
髪が邪魔くさかったから。下手かもしれなくても、ただで切ってくれると言われたから。
店が終わってからと言われて、ついていって、そこからは。
ああ。
馬鹿な、『私』。
可哀想な、『私』。
騙されたんだ。『私』は。
『私』はずっと、泣いていた。私も、泣いた。
それから先も、地獄のような日は続いた。
薄れていていいはずの男の声は、やけにくっきり、そのがさがさとした耳障りな響きまで蘇ってくる。
…ばらまかれたくなきゃいうこと聞けよ…
…ケーサツ行けば、お前も…
…これ…ばらまく…
…家にだって、居られなくなるだろうなぁ…?…
…もう、お前は俺のいうこと聞くしか…いい子にしてりゃ…
…勘弁しろ?馬鹿じゃ…お前は死ぬまで…んだろうが…
…おい、死のうとか、考えんじゃねぇぞ。んなことしたら…
自分が愚かだったせいで、泥沼に引きずり込まれた。自分の愚かさも、惨めすぎる状況も、人に相談することができずに、どんどん泥に飲み込まれた。やがて首まで泥につかって、身動きの出来ない状況に絶望して、全てを消してしまいたくなった。
死のうとしたんだろうか。それとも、心がすり切れて、ぼんやりして間違えたんだろうか。とにかく、『私』の最後の記憶は、吐くような気持ち悪さと安堵だった。
以下、この回のあらましです。
他領への旅の翌週。
ヘスターは、若様とロンが自分の前世の覚醒を危ぶんで密かに仕事の振り分けを調整していたと気付き、腹を立てる。
そんなこともあり、協会まで送迎するという若様の言葉を断ってリリとの面談に向かった。
リリから先週以上の質問攻めを受けたヘスターは、疲れて帰り道にまたたい焼きを買う。人にぶつかられて落としてしまったものの、中身が無事だったのを幸いとその場で食べたのだが、その後呼吸が出来なくなり、意識を失ってしまう。
混濁した意識の中で、ヘスターはまた前世を思い出した。しかし、それはとても辛いものだった。
成人を迎えたばかりの冬、街で会った男に騙され、誰にも助けを求められずに苦しみ、若くして死んでいった前世。
触れずにいた自分の死に関する記憶を、ヘスターは思い出してしまった。
・・・暗いところで終わっていて申し訳ありません。次回、次々回で復活、諸々進展する予定ですので、もうしばらくお付き合い下さいませ。




