転生者といっしゅんのもくげき
ブリュール領は、お隣とはいえ当然エセル領の外にある。
この遠出は私にとって人生最長距離で、領地の境の関所を越えるときなんて、もはや外国にいくような気分だった。前世では新幹線にも飛行機にも乗っていたことを考えると、今生の行動半径はとってもミニマムだ。
火車を乗り継げば3時間ほどでつくらしいけど、警備と荷物の関係で行程は馬車だった。高級クッション配備の領主一家の馬車がいくら広くて快適とはいえ、5時間もの間同じ面子、同じ姿勢で押し込められているのはとっても疲れることだ。向かいの2人の美貌から目を逸らしつつ、早く魔法世界からの転生者が転移魔法を持ち込んでくれないかな、と何度も考えた。
ようやくついた領主様のお城は、エセル領とは違って平地に立っていた。
「城の周りを囲む街全体が、防壁なんだ」
若様がそう説明してくれた。
「都を手本として作った都市らしい。うちとは、大分違うな」
そんな話を聞きながら、私は行ったこともないこの国の中心に思いを馳せた。
もちろんこれは、現実逃避。
だって、どんなに覚悟を決めても、不安と緊張が消えるわけじゃなかったんだ。
でも、ちゃんと心配しておいてよかったのかもしれない。
夜会は、聞かされていたよりずっとすごかったから。この前のお祭りの街のパーティなんて、ほんのお楽しみ会だったと思えてくるような豪華さ、きらびやかさ、格調の高さ。
規模が小さいとか言ったのは誰だ、と呻いた私は、悪くない。あんなことがあったらどうしよう、こんなだったらどうしよう、と散々不安なシミュレーションをした結果できた妙な心の準備のおかげで、ぎりぎり醜態をさらさずにすんだんだ…と思う。
「あちらが○○侯爵○○様」
「△△伯爵領~様」
「~侯爵夫人…様」
次々飛び出すビックネームに、私の頭はパンク寸前だった。
歩く貴族図鑑別名ロン・ケンダルと、下々の者は話しかけられるまで答えないというルールがあって、本当に良かった。
ただ、幸いだったのは、領主のブリュール候が気さくな方だったことだ。
エセル領の領主様よりも少しお年の彼は、本当に詐欺犯罪についての法制化に興味をもっているらしく、私に質問をしてきた。これが苦手な世間話だったら気絶していたかもしれないけど、仕事の話だったから、私もなんとかお返事することが出来た…と思う。
緊張したので詳しいことは覚えていないんだ。
ともかく、こけなかった。
どもらなかった。
特訓したお辞儀を、よろけずに出来た。
自分の振るまいがどうだったか、評価できるほどの知識が私にはない。言えるのは、ロンに駄目出しされなかった、ということだ。
夜会が終わるともう遅い時間だったので、私たちはそのままお城に泊まることになっていた。
部屋に戻ったと同時にその場にへたり込んだのは、勘弁して欲しい。
「まあまあ、本当にお疲れになったのですね」
私のために奥方様がつけてくださったベテラン侍女さんが、そのままドレスを脱がせたり髪をといたりと世話をしてくれて、肩をかりて熱いバスタブに入って、そこでようやく終わったんだと思えた。
「すみませんでした、こんな情けない有様で…」
「何をおっしゃいますか。震える小うさぎが魑魅魍魎の跋扈する舞台に出ていったのです、誠心誠意お世話をさせていただくのは当然ですわ」
小うさぎ…?ちみ?
駄目だ、頭が働かない。
そこへノックの音が響いたので、侍女さんが対応に出てくれる。
戻ってきた彼女は、きりりとした顔でこう言った。
「今夜ばかりは、たとえ公認の狼だろうと何者からも守らせていただきます」
またしても、よく意味が分からなかった。でも、優しく髪を乾かされているうちにどうでもいい気がしてくる。
もう口を開くことすら億劫で、私はすぐにベッドに上がった。
終わった安堵と疲れからくるだるさから、まぶたが下がる。
そのとき、気になることを一つ思い出した。
夜会に出席していた、エリザベス・ダドリー嬢のこと。
あの扇の件以来、彼女は私に接近しないという約束になっているけど、こういう公式な場所ではどうしても貴族の令嬢の立場が優先される。だから、久しぶりに私は彼女の顔を見た。
驚くことに、青ざめたエリザベス嬢の頬はこけて、もともと細かった身体はやつれて触れば折れそうだった。そして、そんな彼女を、若様は冷たく拒絶したんだ。
父親と共に挨拶にきたものの、自分に対しては笑顔もなく儀礼的な言葉のみ交わしてさっさと背中を向けた若様に、エリザベス嬢はショックで凍りついていた。この前は、曲がりなりにも笑顔を作っていたしダンスも踊ったのに。本気で好いているだろう相手からのこの仕打ちは、自分が原因の一端だと思うと見ていられないものだった。
別れ際、気になって振り返ったとき、エリザベス嬢の思い詰めたような目と目があった。
うつらうつらとしながら私は、意識が途絶えるまでずっと、まぶたの内側に張り付いたような彼女のその目と見つめあっていた。
翌日、私たちは無事にブリュール領を後にした。
馬車の中、いつも通り若様がしゃべってロンがたまに突っ込みながら時間が過ぎる。
「昨日のヘスターは本当にスミレの花のようだったな」
「スミレの花言葉には『小さな幸せ』というものがあるんだ」
「また私に幸せを見せてくれ」
若様は何度か私の昨日のドレスについてからかってきたので、馬車移動に疲れた私はちょっとうんざりしていた。だって、暇にあかせたタラシの妄言になんて付き合っていられない。
ロンの方はブリュール名物だという度数の高い酒を入手したらしくて、その瓶や説明を眺めるのに忙しそうだった。それを見て、もしかして昨日駄目出しをされなかったのもこの酒のせいでご機嫌だったからかもしれない、と思った。
そんなことを考えてぼんやりしていると、若様にどうかしたかと聞かれた。
「どうもいたしません」
答えた言葉に、偽りはなかった。でも、すぐに嘘になってしまった。
なぜって、若様が本当か、と言いながら私のおでこに手を伸ばしてきたんだ。
向かいの席から伸ばされた手を、私はうっかり避け損ねた。
私の前髪の下に、若様の長い指が滑り込んで、触れた。
瞬間、頬がかあっと熱くなった。同時に昨日エスコートされたとき、開いた背中に触れた手の熱さを思い出してしまって、私の脳は沸騰した。
あのときは、緊張してそれどころじゃなかった。若様の手を気にするというより、触れかけるたびにぎりぎり触れないくらい背筋を伸ばして姿勢を保つ方へ意識を集中していたから。でも、でもやっぱり、覚えていないわけではなくて、むしろ潜在意識には思い切り刻み込まれていたようで、おでこに触れた指先のせいでそれがありありと思い出されてしまった。
「ヘスター?大丈夫か」
「大丈夫ですから…」
やめて欲しい、そんな気遣わしげに名前を呼ぶのは。
お願いだから、じっと見つめないで欲しい。
心臓が、壊れてしまう。
たまらなくなって私はぎゅっと目を瞑った。
そうしたら、若様が息を吐く音がした。
「…そんなふうに、目を閉じるな。馬鹿だ、お前は」
「ば、馬鹿?」
私は唖然とした。
むしろ馬鹿は貴方の方でしょう、自分の顔面偏差値や声の響きを計算にいれずに、平気で子どもにするように私を扱う、無自覚タラシは。
よっぽどそう言ってやりたかったけど、言えば何を言っているんだこいつは、という目をされそうで、ぐっと飲み込んだ。代わりに、額から頬へと滑っていく若様の指先を忘れるためにも、マリエさんにこの前見せてもらった若様とロンの恋愛物語の挿絵を思い浮かべて、溜飲を下げることにする。思い出したのは、ドン、と壁際に若様が追い込まれて、ロンともう少しで唇が触れそうになっている、とっておきのシーンだ。たちの悪いタラシなんて、腐のつく女子たちの妄想の前にひれ伏すがいい。
「マーカス、ステイ」
「ああ…。…助かった」
そうこうするうち、ロンと若様の間で謎の暗号がやりとりされて、私の頬は解放された。
ほっとしてまぶたをもちあげ、そして私は刮目した。
急いで脳内のマリエさんに報告することリストを開く。
若様が、頬を赤らめている。
そしてなにより、注目すべきは、若様の手首。
骨張ったその手首を、なんとまあ、ロンが握っているんだ。馬車の中、2人にしか通じない暗号を交わし、そっと手を握る2人。ああ、マリエさんがどんなに喜ぶだろう…
可愛い友人の笑顔を思い浮かべながら、私はどきどきと胸が鳴るのを必死で隠した。
お休みの日はどうしても更新時間が遅くなりがちで、いつも申し訳ありません。
サブタイトルを「転生者はみた」とするべきか迷いました。




