転生者としごとはじめ
年明け、新年の挨拶もそこそこに書類を差し出すと、若様は眉を上げて、少し驚いたようだったした。
「年末年始ぐらいちゃんと休んでいいんだぞ」
今提出したのは、去年の最後の日に聞き取りした黒幕の特徴に関する報告書だ。忘れる前にまとめたかったから家で書き上げたけど、別に休み中かかったわけじゃない。
「休みました」
「本当か?」
「ええ、家族でお祝いをしました」
年末最後の1日には、うちも店を閉めて家族揃って夕食を囲んだんだ。普段飲まないお酒を飲んで、ご馳走を食べて。
父が腕を奮った料理は文句なしだったけど、酔ったミラ姉は、ご機嫌過ぎてどうしようもなく面倒臭かった。古今東西も今生も酔っぱらいって共通なんだなあと、思い出して私は遠い目になってしまった。
どう、面倒くさかったかというと。
ミラ姉はとにかくずっとこう言い続けた。
「ヘスター条例って、あんたの名前よね。すごいじゃない」
「だから、それはただの上司の策略だって」
「ねぇ、母さん。すごいじゃない?うちの子」
「聞いてんの?!」
母は母で笑いっぱなしだったし。頼みのモナ姉も同じくで、私の笑い上戸のルーツを感じた。
姉に絡まれてうんざりしながら好物の角煮をつついていると、父が言った。
「名前の残る仕事なんて、めったにできるもんじゃないぞ。誇っていい」
「…そう、思う?」
ああ、と請け合った父もだいぶ顔が赤い。きっと少し酔って口が軽くなっていたんだ。でも、父が毎日名もない人々に食事を作る自分の仕事に誇りを持っていることを、私は知っている。そんな父から誇っていいと言われると、じんわり胸の底が熱くなった。このふざけた条例の通称も、ほんのほんの少しは、良かったかなと思った。
「良いことがあったらしいな」
若様に微笑ましげにそう言われて、私ははっとした。
顔が緩んでいたみたいだ。急いですました顔を作ったのは、ロンのいる場所で例の条例について肯定的なことなんて言いたくなかったからだ。
そこで私は、ロンがいつも通り涼しい顔で立っているのをちらりと確認して話をそらした。
「ええ、何年ぶりかでご近所への挨拶回りにも行きましたし」
引きこもり初めてからは、これも私抜きで回ってもらっていた。
それが今年は家族揃って街を歩いて、ギャビさんにもちゃんと新年の挨拶ができた。本当に嬉しかったし、去年の初めには考えもしなかった新しい一年が始まるんだなあという実感がもてた。
そんなことを考えていると、今度は若様が急に顔をしかめた。
「近所、ということはあのギルにも会いに行ったのか」
「え?はい、それは」
ギルの家は近所だし、うちの食堂の取引相手でもあるから挨拶は欠かせない。
それなのに、若様はものすごく不機嫌そうに低い声でへえ、と言った。
私は、新年早々こっそりため息をついた。
困ったことだけど、どうも若様はギルのことが嫌いらしいんだ。ほとんど接点はないはずだし、思えば初対面からこうだったから、生理的に合わないんだろう。
ギルは悪いやつじゃない。一度お城にギルが来たときは口論になってしまったけど、その次の日だってあっちから挨拶してくれたし。
「あの、ご安心下さい。以前情報提供を受けた件でしたら、失踪人について進展がないことにも、特に批判や催促はされていません。したのは本当に、最近できたクレープ屋の話なんていう他愛もない話ぐらいで、…」
それも両親たちが新年の仕入れの話をしている間に、ちょこっとだ。
私の説明にも、若様の眉間の皺は緩まなかった。
どうしようかと思って若様の横のロンを見たけど、助けは諦めた。なぜかこちらもかすかに眉根を寄せていたからだ。これは、普段あまり表情を見せないロンの、かなり不機嫌なときの顔だ。
他に言うことも見つからず、かといって勝手に席に戻るわけにもいかなくて、訳の分からない沈黙の中、私は所在なく突っ立っていた。
若様とロンの顔にはここ半年でかなり慣れてしまったけど、やっぱり美形の不機嫌顔は壮絶に怖い。若様なんて、常日頃が賑やかで気さくな分、今みたいにすっと笑みを消すと、もともとの造作の良い目鼻が人間離れして、別人みたいに感じる。
相手は見慣れた若様で、可愛いピンクの美のお守りなんて持っている人で、背後の棚にはまたおかしな人形が増えている有様なのに。私は、居心地の悪さを通り越して背筋に寒気を感じ始めた。
そのとき、ノックの音が響いた。
2人が揃って扉を向く。視線を逃れたことにほっとして、私も開こうとする扉を振り返った。
「兄上、今いいでしょうか…あれ」
入ってきたのは、金茶の髪の若者だった。
「ああ、お前か。ヘスター、弟のカートだ。カート、こちら、ヘスター・グレン嬢」
私は急いでお辞儀をした。
若様の弟ということは、今年16才になるエセル家の次男様だ。
「お目にかかれて光栄です。治安対策補佐官のヘスター・グレンと申します」
「コンラード・エセルです。お噂はかねがね」
私は、笑顔が引きつらないように気をつけた。
噂というものには良い思い出がない。やっぱり、身の程知らずの庶民が兄をつけ回しているとか、そういう話だろうかと思ったんだ。
すると、彼はくすっと笑った。
「ライナスからよく手紙がくるんですよ」
「まあ…」
噂の発信源はライナス様か。私はほっとして頬を緩めた。
「ライナスときたら、そうとう貴女に懐いているんですね。あいつ、条例のことも自分の手柄のように自慢してきましたよ」
二つ年下だけど、やはり男の子だから、私よりもう視線が高い。見上げたコンラード様は、母親似の若様やライナス様と少し違って、美形は美形でも眉が太くきりっとしていて、甘さより男らしさを感じる顔つきだった。父親似なんだろう。
なんとなく微笑みを交わしていると、いつの間に立ちあがってきたのか、ずいっと若様の身体が視界を遮った。
「カート、それでお前、何の用なんだ」
コンラード様は若様の肩越しにちらっと私を見て、意味ありげに笑った。
「失礼しました。お話ししたいことがあったんです」
それから彼は、表情を改めた。
「この前、第二王子からエセル領の条例について聞かれたんですよ」
「そうか」
「そのうち、お呼びがかかるかもしれませんね。ああ、それと…」
2人はコンラード様が都で交流があるという第二王子や他の知人の動向についてしばらく話していた。
私は仕事に戻ったから、細かくは聞かなかったけど、仲の良い兄弟なんだなと思った。うちも結構姉妹の仲は良いと思うけど、男兄弟というのもまた趣が違って面白そうだ。そういえば、ロンには兄弟がいるんだろうか。何となく、一人っ子か…そうでなかったら我関せずの真ん中っ子というイメージだけど。
私がそんなことを考えながら休み明けの仕事準備をしていると、若様との話を終えたコンラード様が帰るところだった。
「年始は学校が休みなので、もうしばらく城にいるんです。またお話ししましょう」
去り際、にっと笑いかけられて、私はその悪戯っぽい笑顔に思わず笑ってしまった。
でも、すぐに若様にぐいっと腕を引かれた。
何事かとその顔を仰ぎ見れば、無言でじいっと緑の目に見下ろされる。
なんだか、すごく居心地が悪い。
コンラード様の登場で忘れていたけど、まださっきの不機嫌を引きずってるんだろうか。
「マーカス、時間だ」
ロンの言葉で若様の目が壁かけ時計に向かったので、私はほっと息を吐いた。
そうだ、そもそも挨拶もそこそこに報告書を渡したのは、彼等が全省合同の年始会議に行くからだった。
「…まあ、いい」
不機嫌さの残る声で言いながら机に戻ると、若様は私の渡した書類を掲げた。
「これは預かる。こちらで精査して、各関所や周辺の領地に伝達できると思う」
やった、と私は思った。
これで黒幕の特徴が関所に伝達されれば、少なくとも敵の動きを制限することができるはずだ。恐怖心を抑えて牢まで出かけていったかいがあった。
「よろしくお願いします」
うれしくて思わず微笑むと、若様の緑の目がきらっとひかって、そこにも笑みが浮かんだ。
ああ、なんだか機嫌が直ったみたいだ。
私はほっとして、そのきらきらが大放出になる前にと、急いでお辞儀をして席に戻った。




