転生者、ばればれちりちり
「落ち着けマーカス!殴り込みにでも行く気かっ」
「これが!落ち着いていられるかぁっ!」
「そこを落ち着くのが大人だろうが!!壁でも殴ってろ!!」
ばれた。
若様は怒りに怒って、エリザベス嬢に抗議の文書を送ると言いだした。
怒りに目をつり上げている美形の姿はものすごく恐ろしくて、私は不覚にも震え上がった。
ロンはそんな若様を宥めて、ダドリーの弱味が一つ握れたと言いつつも、私の耳を見ると目元を険しくした。
あの後どうしても血が止まらないことに困って、私はこっそりマリエさんに救急箱を借りようと思った。でも、そこで料理長やら他の使用人さんやらに見つかったものだから、大騒ぎになってしまった。結果私はあれよという間に医務室送りにされて、大げさな手当をされ、ことの顛末は当然のこととして若様たちへも報告されてしまったんだ。
ひとしきり怒り、壁を一発どごんと殴ったあと、まだ息の荒いまま若様が私を振り向いた。
そうして今度は痛みを堪えるように目を細めた。
「悪かった。私のせいで…」
そんな顔をされると、困る。
「マーカス様のせいではありません」
「いや、私のせいだ」
そりゃ、少しは面倒事にまきこんでくれたなって思っていたけど、別に若様が何かしたわけじゃないんだから。ここに残って働いているのは私の意志なんだから、若様のせいにする気はない。
「ですから、マーカス様は関係ありません」
きっぱり言ったら、若様がなぜかショックを受けてよろめいた。
「関係ない!?そ・そんな…そんなことはない!関係、ある!だから責任をとる!!」
何、この勢い。
手を握る勢いで近づいてきた若様に、私はちょっと、いやかなり、引いた。
若様はもっと、身長差と自分の声の大きさと顔面偏差値とを考えて行動するべきだと思う。
なんにしても、大げさすぎる。それに、若様のいう責任って、安全のためにまたお城に住み込めとか、送り迎えしようとか、そういうやつだから嫌だ。
「結構です」
「結構というのはとても良い考えだという意味だったな、よかった、それでは」
「違います、いりません」
何を一昔前の押し売りのようなことを言っているんだ。私の書いた詐欺事例集を悪用しないで欲しい。
「しかし…」
冷たい目で睨むと若様は少しばかりしゅんとしたものの、すぐにまた目に力を込めて私の顔をのぞき込んできた。
「私は本当にヘスターを守りたいんだ!」
「マーカス様…」
私は目の前の緑の目を見つめてしまった。それは、強い決意と、未だ残る怒りと、悲しみに揺れ動いていた。
その目を見ては、もう突っぱね続けることはできなかった。だって、この人はすごく強引だから、こうと決めたら結局私が何と言おうと実行するし。…それに、本当にすごく心配してくれているんだと分かったから。
私は、小さく息を吸い込んだ。
「…でしたら、なおさらエリザベス嬢を刺激するようなことはしないで下さい。あ、それから住み込みも送迎も結構です」
先手を打って断れば、彼はがばっと身を起こして何故だ!と叫んだ。やっぱりそんなこと考えてたんだ。
「ですから、エリザベス嬢にも他のお嬢さんにも、若様がここで動くことは逆効果だからです。それに、大して役にも立たない私が目障りだと思われるのは、当然です。私がここにいて当然だと、周りに認められるくらい頑張ればいいのだと、思いますし」
若様は眩しそうな顔をした。ロンにはそれはどうだろう、というように首を傾げられたけど。
「前向きになったのは結構だが…まあ、お前は思うようにすればいい。ただし、職場でのトラブルだ。エリザベス嬢にはこちらからからも抗議させてもらうし、今後お前との接触は禁じさせてもらう」
ロンなら、若様みたいな感情的なことはしないだろう。だから、私はこれに頷いた。
「それからもうひとつ、お前が嫌がると分かっていたから見送っていたが、詐欺に関する条例の通称を広める」
まさか。
「通称ヘスター条例ということで、早速使用を解禁してくる」
「嘘でしょ止めてくださいロン貴様」
「嘘なものか。お前が嫌がらせを受けるのは軽んじていい程度の人間だと思われているせいでもあるとたった今自分で言っただろう。お前を害するのはエセル領に損失を与えることだと分からせられるし、マーカス個人が動かない分、理想的な対策だと言える」
その氷の目が笑っていないのを見れば、ロンが本気だということが分かった。
こっちの方が、難敵だった。言質を取られているだけに、言い返す言葉が浮かばない。
「外、歩けませんよ…」
「それなら城に」
「いえ、結構です」
すかさず口を挟んできた若様に要りませんという意味で言えば、何故だ!とまた叫んだ。
過保護になった若様をかわしていたら、一週間は瞬く間に過ぎた。
若様はお城の中でまで私についてこようとした。
「エリザベス・ダドリーに遭遇したのは城の中だったろう」
「あれは中庭です。東の棟にはエセル家の関係者以外入れないでしょう」
「3階はまだしも1階は万が一ということもある。お前は何かあっても言わないしな」
「い・言いますし、とにかく一人で参ります」
側で聞いていたロンが、マーカス、と若様に何事か囁いた。
すると、若様はふむと頷いてこちらを見た。
「そうか、抱き上げて移動すれば一番安全だな…」
何を言ってくれたんだ、陰険男!
「よし、ヘスター」
「じ、自分で歩けます!さあ、若様参りましょう!ご機嫌ようロン貴様」
この手が有効だと気付いたロンは、たびたび若様にこういう進言をするようになり、若様は若様で身体が空く限り私を城の入り口から執務室まで送り迎えするようになってしまった。
通いの送迎を断固拒否したことへの無言の圧力か。
だんだん、若様に腕をとられることへの抵抗が薄らいできている気がする…
それでも、無駄に心臓が跳ねて血圧が上がることは変わらないから、ものすごく困る。
「私がまかりまちがって若様に熱をあげでもしたら、どうする気ですか」
若様が席を外した隙にロンを睨んでそう言ったら、やつはにやりと人の悪い笑いを浮かべた。
「お前が悩むだけだな」
腹が立つ。
あっさり言ってくれる。
「それを警戒していたのではありませんでしたか?」
私に若様のタダレタ学生時代を暴露して牽制してきたのは誰だ、と言外に言ってやったけど、ロンは涼しい顔で返してきた。
「マーカスが悪い女に籠絡されることを危惧していただけだ。お前では、あいつに自分から仕掛けることなどできないだろう」
「…分かりませんよ」
売り言葉に買い言葉で、私は言ってしまった。
そうしたら、この氷の悪魔はへえ、といっそう笑みを深めて、動いた。
「これで赤面している人間が?」
あっというまに顔を捕らえられて、鼻で笑われる。
久々の嫌がらせに全く対応できなかった。自分の不覚と奴の感じの悪さにむかっときて、顔を上げて視線を切り結んだのに、私はまた慌てて目を逸らすことになった。
その微笑を含んだ氷色の目があまりにきれいで、そこには嘲りなんて全く見えなかった気がしたから。
揶揄って嗤ってくれれば、いつものように『禿げろ銀髪』と呪ってやれたのに。
動揺して席に戻って、私は二、三度書き間違いをしてしまった。
この週の水曜はリリと新しい男の子が来たけど、リリは相変わらずだし男の子はいい子だしで、特に焦ることもなく終わった。
出るまで馬車で行け護衛をつけろと粘る人がいたけど、送迎はしない約束だと押し切った。
案の定、なんにもなかったし。ダドリー家には正式に文書が行っている。貴族にとってそういう取り決めはかなり効力が強いので、エリザベス嬢は私に近づけないことになっているし、近づけてもそもそも彼女はかよわい女性だ。人通りの多い街中でどうこうなるわけがないんだ。さらには、ロンがあのヘスター条例という通称と一緒に私の外見の情報も流したせいか、いつもなら足をかけられるような人混みでも何も起きなかった。ただ、駅員のおじさんに『ヘスター条例ちゃんこんにちは』とからかわれたくらいで。
私は黒猫屋と相談者の調整で疲れていたナンさんと一緒にたい焼きを食べて、やっぱり買い食いができるっていいなあと自由を噛みしめた。
それから、ロンに頼んでいた人相書きの質問リストをもらえたので、例の雑多なメモの整理を一旦中断してそっちを考えた。
ロンが聞き出してくれた人相書きのための質問は、正面から見た顔の特徴に限定されていた。
正面から見た人相を似顔絵にするための質問だから、当然とも言える。でも、これで駄目なら別の角度からも情報を集めるべきなんだ。上層部が『本当は別の黒幕なんていない』という説に傾いていたから、追加の情報収拾がおざなりになったんだろう。
目、鼻、口、眉、顎やほお骨なんかについては、さすが本職というべきか、事細かに質問してあった。
それから、髪型についても。
似顔絵に添えて伝達されることになっている背格好も、回答と一緒に質問が載っていた。
私はその質問をながめて、リストに載っていないことを一生懸命考えた。
まずは、最初に思いついた顔以外のほくろ。
それから、耳。横から見た耳の形って、指紋と同じくらい人によって差があるんだって聞いた気がする。
あとは、歩き方。
利き手、癖。
なんとなく、リリを思い浮かべながら考えていた。
いっつも私から少し顔を背けるようにして座っているリリ。リリの耳は、小さいだけじゃなくてとても薄くて、耳たぶも小さい。縦に長い感じが、真っ白い貝殻を思わせる。
それから、リリには話が途切れると足をぶらぶらさせる癖がある。母親に連れられて歩くときは、身体が触れないようになのか、少し不格好な手のつなぎ方をする。
その手は子どもなのに指が長くて、全体的にほっそりしている。
私は、手と指の形、と書いて、そこに爪、と付け加えた。
声も、なかなか変えにくいものかもしれない。
あとは、前世が影響しそうなところなんかもあれば、書いておきたい。
そこで思いついて、黒猫屋に空話をかけた。
「日本人がうっかり当たり前だと思ってやっていること?」
私の質問にうーんと唸った彼は、それでも面倒がらずに考えてくれた。
「あたり前にやっているって、習慣てことか…生活習慣、飲酒習慣、食習慣とか?…うーん、自分では分かんないし、むしろ周りに聞いてみた方がいいかもなぁ」
「そっか。仕事中に分かりそうな部分に、変わった癖がないか若様たちに聞いてみればいいよね」
やっぱり黒猫屋に相談して良かった。
私は、お礼を言って通話を切ろうとした。
そのとき、黒猫屋が言った。
「ただ、エセル領ってけっこう日本の習慣が浸透した場所だから気付かないってこともあるかも。俺、他から来た人間だろ?ここに来て普通にお辞儀があっておにぎりがあってってことに感動したもん」
そうだ。他所では目立つかもしれない日本人の習慣も、正座で説教というスタイルまで浸透しているエセル領では馴染んでしまう。
「日本出身の隠れ転生者にとっては転生者ってことを隠しやすい場所なんだ…」
「まあ、なぁ。黒幕の野郎も、きっとよそから来たんだろ。俺みたいに、おにぎり食べたいとかっていってさ、多分」
そんな素朴な願いと、自分の利益のために人を騙す詐欺師集団の黒幕というものは不似合いな気がした。でも、そうなのかもしれない。人間は、そんないびつな生き物なのかもしれない。
「…どんな人なんだろう」
見た目についてはずっと考えてきたけど、そいつが何を考えて感じているかなんて考えたこともなかった。おにぎりやおはぎに郷愁を感じたのかもしれない、黒幕。お年寄りを平気で陥れる、黒幕。なんだか、胸がちりちりした。
空話を置いた後も、私はしばらくそのことを考えていた。




