転生者ときょうかいしょくいん
「聞いてくださいよ、ナンさん。バーンの駅からここまで、20分ですよ?早足で5分のところを、4倍の20分!」
入るなり愚痴をこぼした私に、ナンさんはうんうんと頷いて聞いてくれた。目は若干面白そうに笑っていたけど。
「大変だったわねえ」
「本当ですよ」
かなり余裕をもって出発したはずなのに、協会についたのは約束の時間の直前だった。これにはさすがに若様も悪いと思ったのか、困った顔で頭を下げた。
「ぎりぎりになってしまい、申し訳ありません」
ナンさんは謝った若様よりさらに後ろへちらりと目をやると苦笑した。
「人気者は大変ですね」
ロビーのガラス戸の向こう、通りの向こう側に人垣が見える。すぐそこまでついてきていた女の子たちは、さすがに転生者協会の中までは入って来なかったものの、外から名残惜しそうにこちらを見ているんだ。これは下手をすると帰りは出待ちされているぞと気付くと共に、下手な動きはできないなと悟る。ため息なんてついてみろ、若様につっかかってでもみろ、闇討ち決定だ。
ぎぎぎとガラスに背をむけた私の背に、ナンさんが庇うように手を置いた。
ここでは落ち着かないでしょうから、といつぞやの部屋に通されて、すぐにナンさんは温かい紅茶を出してくれた。
それが心をほぐしてくれて、私はようやく息を吐き出すことが出来た。
「まずは、犯行グループ逮捕お疲れ様です」
「ナン女史にも協会にも多大なご支援をいただいたお陰です。感謝します」
そうだ、今日は愚痴をこぼしに来たんじゃない、感謝を伝えに来たんだ。
私は若様と一緒に頭を下げた。
「頭を上げてください。私たちがしたことなど、元々自分たちが定めた縛りをほんの僅かに緩めただけです」
そう何でもないことのように言うけど、定まったものを壊すって並大抵のことじゃあない。それを押し通してくれたのは、ナンさんだからだ。
「まだ黒幕は捕まえられていませんが、拠点も手下も潰しましたから、被害の拡大は防げると思います」
「そうですね。治安ナイト様の効果で領民の関心も高まりましたし」
ちらりとナンさんが私を見て笑った。
そうです、お陰でこちらは女の子の視線に焼き殺されそうです、と目で訴えれば、ナンさんも目線で労ってくれる。目をそらし続けてきた半年前の私には考えられなかった、アイコンタクトというやつだ。密かに喜んでいた私は、ただ一人気付かない張本人の言葉で突き落とされた。
「あれは、へスターの発案なのです」
…なぜ、それを貴方が得意げに言う。
私は親バカな親を友人に見られた子どものような恥ずかしさに縮こまった。
「まあ、自慢の補佐官ですわね」
「ええ、その通りです。ヘスターは我々の自慢です」
立場上ナンさんが乗るのは分かる。分かるけど、それをさらに若様が肯定するのは、いたたまれないんですけど。
「お噂では、ミセス・エセルもヘスターを大層気に入っていらっしゃるとか」
「母は可愛らしいものや小さいものが大好きなので、ヘスターを着飾らせるのが嬉しいのです」
「ふふ。確かに、ヘスターは小動物のようで可愛らしいですものね」
それ、もう補佐官と関係ないし。
しかも話しているあなた方、万人が認める美形とすらりとした知的美人じゃないですか。この2人の口で、このまま私の取るに足らない容姿の話が続けられるなんてなんの周知プレイだ。耐えられない。私は、口を挟む。
「あの、ナンさん。これ、少しですけど」
持ってきたクッキーをずいっと差し出す。
わざとらしいくらい唐突に話を変えた私に二人は目を見合わせたが、さすがナンさんはすぐに切り替えてくれた。
「まあ、ありがとう。もしかして、ヘスターの手作りなの?」
「ええ、ナンさんにはたくさんお世話になったから、感謝の気持ちなんです」
それからしばらく、お茶を飲みつつ事件のことやナンさんの関わりへの感謝を伝えた。
話せば話すほど、解決したのは彼女のおかげだと思えてきた。ナンさんが頑張ってくれなかったら、自警団との連携もチラシ作戦も実現しなかった。それに、私はお城をでられないままで空話を作りに行って道具係の手がかりをつかむこともなかったし、黒猫屋と話してライバル宅配業者の話を聞くこともなかっただろう。
そう言えば彼女は自分のしたことなど些細なことでしかないとまた否定した。そして自分がたとえ動かなくても、結局私たちの手で解決されただろうと言った。
でも、私はそうは思わない。ナンさんがしてくれたいくつもの支援のおかげで、解決は確実に早まった。それは、新たな被害者を減らしたってことだし、被害者の救済が…ギャビさんのところに時計が返るのが早まったってことだ。
だから、私はナンさんに感謝してもしきれない。
こちらの言葉が途切れたところで、ナンさんが話し出した。
「…へスターには前にした話だけれど、覚えているかしら。時代がかわり転生知識が巷に溢れるようになって、協会に所属するメリットが薄らいできているという話」
勿論覚えている。私は深く頷いた。
「はい。周囲からのプレッシャーや協会のルールといった重荷の方を大きく感じる転生者が増えていくかもしれないと」
私自身が重荷に感じて引きこもった身だから、余計記憶に焼き付いた。
「私は、今までたくさんの転生者を見てきました。多くは野心に燃えて、協会の援助を得て成功者になろうと目をぎらぎらさせていました。でも、へスターに会って、考えるようになったのです。私が見てきた、協会に直訴に来るタイプの転生者が全てではないのだと。彼らは主張が強いから目立つけれど、へスターのようにひっそりと困っている転生者が実はたくさんいるのではないかと。そういう目で見渡してみると、やはり見つかりました。それからは、野心にぎらついていると思っていた転生者の目にも、なんとか成功しなくてはという焦りや必死さがあったのではないかと思うようになりました」
ああ、そういえばナンさんは前に、都で一旗あげようとしてやってくる転生者に嫌気がさしていたと言ってたっけ。
「今私は、協会には、知識を生かした事業の援助より、やるべきことが他にあると思っています。過剰に膨らんだ周囲の期待や前世の人格との折り合いに悩む転生者のケアをすることこそ、今の協会には必要だと」
ナンさんは私を、次に若様を見た。
「そのために、力を貸してもらえないでしょうか」
ナンさんが、私の力を必要としている。たくさんたくさん助けてくれたナンさんが。それなら今度は、私が助けたい。
私は身を乗り出して口を開いた。
「ナンさんがそう言うなら私は」




