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幕間~協会職員の望み

通りに枯れ葉が舞い上がった。どこからはこばれてきたのだろう。

それをロビーのガラス越しに眺めながら、もう秋か、とナンは思った。


ナンがこのバーンの街にきて、半年が経った。エセル領は都からさほど離れてはいないが、都育ちのナンは自分がまさかこんなに長い間都を離れることになるとは、想像もしていなかった。

ナンの本籍は都にある転生者協会本部に置かれている。

代々転生者協会に勤める家柄に生まれ、父親も現在本部で幹部と言われる役職に就いているから、生まれたときから協会に勤めるのだと自然に思っていて、そしてそのまま勤めることになった。

都では、『あの幹部の娘さん』という見方をされたが、たいして気にならなかった。むしろ、それさえフルに使って仕事をしてきた。都に出てくる転生者には野望を抱いた若者が多く、業務は日常の面談や給付金の受け渡しよりも彼等の無理難題への対応の割合が大きく、多忙を極めた。次々に持ち込まれる要望を、その正当性に応じて、ときに丁重に断りときに協会の前例を踏み倒す勢いで通し、充実した生活を送っていると思っていた。

ところが、脇目もふらず仕事をして2年も経った頃、ナンは急に自分が疲れを感じていることに気付いた。

やる気が出ない。

毎朝、身体が重い。

これまで転生者のどんな要望にも何らかの回答を出そうと必死だったのに、なぜそこまでするのだろうと、自分の行動が不思議にさえ思える。

勿論、だからといって手を抜くことの出来る性分ではなかった。それに、父親や代々の先祖の名に泥を塗るわけにもいかないから、表向きはそれまで以上にばりばりと仕事をした。そのことが、家に帰ってため息をつく回数を増やしたけれど。

自分は一生、このよく分からない理由で、転生者たちのギラギラとした目を見ながら、無茶苦茶な要望を叶えようと働いていくのだろうか。

何か、自分が大きな機械の一部分になって回っているような絵が浮かんで、目眩がした。

野望を抱いた転生者たちの要望によって回され、世界に小さな転生○○屋を生み出していく機械。ぽこんぽこんと生み出すたびに、世界はまた豊かになるのかもしれないが、歯車である自分は一体、何なのだろう。焼けるような野望にさらされ、世間の誰に感謝をされるわけでもなく、やがては歯が欠けて交換されるのだろうか。いいや、自分はきっと、協会幹部の娘として、また新たな歯車を生み出すことになる。

目眩は、止まらない。仕事中はなんとか耐えているものの、一人になった途端にしゃがみ込むことが増えた。

そんなときに出会ったのがイグナスという若者だった。

彼は、ナンを『幹部の娘』とは呼ばなかった。幹部の娘なんだから、この要望をねじ込んでくれとも、融資額を融通してくれとも、言わなかった。

ナンを『猛犬』と失礼なあだ名で呼び始めたのも、イグナスだ。初めは心底腹を立てたものだが、それが浸透するにつれ、『幹部の娘』と呼ばれることが減っていったことに気付いた。失礼極まりないものであっても、このあだ名は自分の働きぶりだけを現しているのだ。そのことが、歯車のように思えた身をほんの少し温めてくれることにも、ナンは気付いた。

イグナスは、ナンの働きを猛犬と評しながらも、自身は大した要望を持ち込みはしなかった。ナンがしたのは、ほんのいくつかの情報提供と協会規則の確認くらい。彼はいつもロビーに陣取って、協会を訪れるたくさんの転生者としゃべっていた。

それから、しばらく経って、イグナスは都を離れると挨拶に来た。

都で作った人脈を使って、地方都市で黒猫屋という店を開くのだという。

それはよかった、騒がしい男が遠くに行って清々する、と思う反面、心の隅を風が吹き抜けていった。ナンは、忙しい日々に埋没しながら、その風を感じ続けた。

窓の破れが大きくなるように、風は強くなる。ナンの心は、吹きすさぶ北風に凍えるようになる。

冬が過ぎ、都に春が来ても、ナンの中の北風は弱まることがなかった。


「しばらく都を離れないか」

父親に言われたのは、そんな春も半ばを過ぎたころだった。

「何か、失態を犯しましたか」

仕事に支障を出したつもりはなかったので、ナンは声を固くした。都の本部を離れろという言葉は、出世コースを外れる意味合いをもつ。特に、都で採用されて順調に仕事のキャリアを重ねてきたナンには、地方の小さな協会支部へ行くことが想像もつかなかったのだ。

「いや、お前の仕事ぶりには非の打ち所がない。これは、父親としての言葉でもある」

父は、ナンの顔をじっと見つめた。冷たげに見られる薄い唇、細面の顔、自分とよく似た容貌をもつ父の顔を、ナンも見つめ返した。

「ナン、お前、何か辛いことがあるのじゃないか」

ナンは、答えなかった。父も、娘が答えないだろうことを予想していたようだった。さして反応を待たず、続けた。

「少し、別の土地へ行って、ゆっくりするといい。ちょうど南の方で、注視すべき事例があってな、その監督者として特例で送り込めば、短期間で都に戻せる。なに、ほんの数か月だ。一度地方の支部を見ておくのも勉強になるだろう」

父は、ナンの様子がおかしいことに気付いていたらしい。

ナンは、それが不服だった。人に不調を悟られるなど、失態だ。それを犯した自分も腹立たしいが、それを見抜いた父にも八つ当たりしたい気分だった。

だから、到底その提案を受け入れるような気にはなれなくて、断ろうとした。それに、ほんの数か月でも、都を離れれば仕事の勘が鈍る気がした。やる気が湧かなくても、目眩をさそうものでも、ナンにとって協会の仕事は自分と切り離せないものだった。

「そうそう、赴任先はエセル領、たしか、バーンという街だったな」

その地名を聞いたとき、ナンは不覚にも目を見開いてしまった。

エセル領の商業都市、バーン。

あの男、イグナスが店を開くと言っていた街の名前だ。

胸の中で吹いていたはずの北風が、早く行けとばかり身体を押し始める。

気付けば頷いており、そしてあれよという間に出発の日が来ていた。

北風に背を押され、ナンはエセル領へ来た。


ヘスター・グレンという転生者の要望に応じて黒猫屋へ連絡をとったのは、彼女の言葉を聞いて気に入ったこともあったが、もう一つにはもう一度イグナスと話をしたいというナン自身の望みでもあった。

久々に聞くイグナスの声に、ナンは声を震わせないよう必死だった。

彼が、『猛犬ナンの頼みなら』と引き受けてくれたときは、またしても心が震えた。

自分を覚えていてくれた。

自分の名前を呼んでくれた。

その上自分の頼みだから、というある意味での特別扱いには、たとえ単に過去の仕事上の恩を返すという話でも、喜びを感じずにはいられなかった。

けれど、同時に不安が湧いた。

ヘスター・グレンと黒猫屋のイグナスを引き合わせてしまったが、彼等は同じ世界を前世にもつ転生者だ。

転生者は引き合う。それが、惹かれ合う、という結果につながらないと、誰が言える。

そこで始めて、ナンは、自分の胸に風を吹かせたこれが、恋というものなのだと気付いた。

イグナスがヘスターに惹かれるのは嫌だ、とナンの女性としての心が言う。

でも、ナンの職業人としての頭は、この領内で起きている事件やヘスターが抱えていた葛藤が、捨て置けない大きな問題だと告げていた。

代々転生者協会に勤める家に生まれ、小さい頃から転生者の役に立つのだと思って生きてきたナンには、ヘスターのような力ない転生者の存在は放っておけないものだった。

これは私が守るべきものの一部。

これは、私がしたかった仕事。

転生○○屋を生み出す歯車としてではない、転生者協会の真の仕事だ。

そう思えば、嫉妬の心は収まっていった。

それに、ヘスターとイグナスの様子は徐々に兄弟のように見えてきて、これでますます心は落ち着いた。

ただ、相変わらず彼がナンへ向ける目は、『猛犬』を見るからかいと感謝の目でしかないのだが。

「やっぱり、あんたは頼りになる」

からかいに混ぜて言われた言葉が、また心を温めた。

これが、迷っていたナンの背を押したのかもしれない。

北風が、都から吹いてくる。

まだここに居ろと、吹いてくる。

それが本当は自分の欲求なのだと、すでにナンは知っている。

けれど、いいのだ。職業人としての自分も、女としての自分も、この街で成したいことがあるのだから。

「お父様ですか?私、帰るのを延期します。…勿論、仕事のためです」

空話ごしの父の声には、驚きと疑いがあった。

何をするんだと問われ、ナンは、薄い唇を三日月型に持ち上げて優雅に微笑んだ。

「…ええ、ちょっとした改革を」

次回から第二章に入ります。

更新は今週以内にしたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。

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