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転生者のにどめのしゅっきん

次の日の朝、私は喉の渇きで目を覚ました。

いつもより少し遅かったけど、今日は気にせず寝ていていいと若様に言われたのを思い出す。

「んん…」

伸びをして、ベットサイドの水を飲む。

それから、まだはっきりしない目をこすりながらカーテンを開けた。

日差しと一緒に、ガラス越しのほのかな冷気が入ってくる。もう、秋なんだ。

寝かせておいてくれたのだろう、今朝はマリエさんが来ていないから、自分で身支度を調えることにした。

顔を洗って、着替える。クローゼットには少なくない数の服が掛かっているけど、私は迷わずそのうちの一着を選んだ。他は皆、奥方様が送り込んでいらした服だからだ。

落ち着いた水色の丈の長いワンピースに着替えると、手早く髪を束ねた。洗ったばかりの顔に簡単に失礼にならない程度の化粧をして、一つ頬を叩いた。寝不足の上お酒を飲んだから、いつもより顔も頭もぼんやりしている。

そこまできて、マリエさんを呼ぼうかと思ったけど、やめた。朝食はとても食べられそうになかった。昨日夜遅くに飲んだり食べたりしたからだろう。

そうだ。

昨日で、私の仕事は終わったんだ。

春の始めに来たのに、気づけば夏になって、そしてもう、秋も半ばに差し掛かっている。

「…思ったより長かったな」

後は、事件の細かな後始末がいくらか残っているけど、それも私が関わる部分はほんの少しだ。

こんなに、名残惜しくなるとは思わなかった。奥方様もライナス様も、若様も、ロンさえも。

黒猫屋はともかく、もう彼らとは会えなくなるだろうけど、それでいいんだ。もともと違う世界の人々なんだから、出会って関われただけで、幸せだったんだ。

家の厨房に引きこもって年がら年中お皿を洗っていた私が、一時でも転生者として人の役にたてたこと。ギャビさんと前みたいに話せるようになったこと。人混みを、歩けるようになったこと。人と名残惜しささえ感じる関わりが出来たこと。

すごい、進歩だ。

きっと、良い変化だった。

だから、お礼を言ってさよならをしよう。

荷物はほとんどトランクの中だし、部屋の掃除もあらかたすんでいる。

すでに仕事もまとめ終わっているし、事件が終わった今、私がお城に保護される理由はない。事後処理は勿論お手伝いしに来たいけど、それだっていらないと言われればそうですか、と引き下がるしかないんだ。

だから、きちんと挨拶さえできれば、あとは満足だ。思い残すことはなくなる。

そう言い聞かせて、最後の挨拶とお礼のクッキー配りに回ることにした。

そうだ、料理長に、最初は若様に渡せと言われていたっけ。尊敬すべき仕事人が口をすっぱくして言っていたのだから、素直に聞くべきことなんだろう。それに、いつまでに出て行けばいいか、そのときに聞いてしまえばいい。

もう起きているかもしれない。一度執務室を伺おうと扉を開ければ、ちょうど若様が歩いてくるところだった。

「あ、おはようございますマーカス様」

なんだ、すでにきっちり上着まで着ているってことは、どこかで一働きしてきたってことだ。のんびり寝ていて悪かったなと思いながら見ていると、彼はますます足を速めて近づいてきた。

「へスター、困ったことになった」

「はい?」


「…つまり、黒幕は他にいたということですか?」

「そうだ」

若様は腕を組んで頷いた。

朝一番に、会うなり『困った』と騒ぎ出した彼は、とりあえず立ち話はなんだとあとから来たロンに宥められて、部屋の中で話を始めた。

それで話を聞いてみれば、昨日捕まえた男が、自分は一連の詐欺事件の発起人ではないと言いだしたらしい。

もう一つのアジトで捕まえた人間は皆、この男自体を知らなかったから、証明のしようがない。でも、この男の言うことが正しければ、一番捕まえなくてはならない黒幕は逃げおおせたことになる。

「本当なのでしょうか」

信じたくなくてそう聞いた私に、ロンが無表情のまま首を振った。

「嘘だとは言い切れない。店から馬車がなくなっているからな」

「おまけに、あの男、どんなに叩いてもろくに情報が出ないんだ。鼻水垂らして泣きながら、配達の真似をしただけだと言い張っている。あれが演技だとしたらかなりの役者だ」

それは、かなり真実みを帯びてきた。私を平気で殺そうとした男を泣くほど問い詰めるってどういうやり方だ、と少しぞっとしたけど、それで自白しないなら本当に知らない可能性が高い。

「似顔絵の連中は皆捕まえたから、黒幕がいるとしても、そいつはもう領外に逃げたかもしれない」

「昨日のうちに分かれば、関所を封鎖できたが」

「もし逃げていた場合、捜査はどうなりますか」

「近隣の領主に断りを入れて捜すことは出来るが、はっきりした手がかりもない以上大がかりな動きはとれないだろうな」

「全面解決はしないまま、継続事案扱いになる可能性が高い」

「…そうですか」

困った。

エセル領にとっても勿論大問題だけど、ヘスター・グレンにとっても、これはちょっとした困り事だった。自分の身の振り方が、分からなくなってしまった。

作ってしまったクッキーと荷造り済みのトランクを思うと、自然に遠い目になる。

ロンの目が、さっきからじろじろと空の棚や机の上を眺めている気がする。

「私、今日で仕事納めのつもりでいました…」

若様が、机に手をついて立ちあがりかけた。

「やっぱり!困る、なんでまた」

「え、『やっぱり』なんですか?」

「今朝マリエに聞き出した。お前の部屋が妙にきれいだと」

もしかして、昨日言ってた『勝手に調べる』って、すでに実行されているんだろうか。私はちょっとぎょっとしたけど、話を戻すことを優先した。

「…私の役割は、詐欺の主犯を捕らえることだったでしょう?私の保護ももう不要になりましたし」

もともと、私がお城に住み込むことになったのは警備隊長のダドリー伯爵から保護されてのことだった。主犯格が捕まったことで、さすがのダドリー伯爵も私の暗躍説を取り消したはずだ。

そう伝えれば、若様は困ったように眉を下げた。

「それはそうだが…捕まえた後も、続けてくれるものだと思っていた」

何その、傷付いた子どもみたいな、捨てられた子犬みたいな顔は。黒幕も捕まっていないうちに転生知識持ちの私が辞めると言ったからか。だからってそんなふうに眉を下げないでよ、ねえ。

罪悪感が疼いて、私は急いで訂正していた。

「え、あの、まだ捜査が続くようで、それで私にできるお仕事があるようでしたら、働かせていただきたいと思いますけれど」

私の言葉が終わる前に、ぱっと若様の顔が輝いた。

「そうか!それはよかった」

しっぽが出そう。

その顔に、私も思わず微笑んでしまう。仕事を続けることをこんなに喜んでくれるなんて、社会人冥利につきる。

「それなら、もうしばらく通わせていただきますね」

「え!?通い?」

「え?」

だって、ダドリー対策はいらなくなったんだから、住み込みの理由がないじゃない。何を驚いているんだ、と若様を見つめれば、彼はあわあわとしゃべり出した。もう完全に立ちあがっている。

仕事を続けてほしい、できれば今まで通り住み込みにしてほしい。そう言われて真っ先に浮かんだのは、ロンの顔だった。私に残業必至の仕事を言い渡す時の、妙にいい笑顔だ。

「残業でしたら、通いでもちゃんとしますけれど」

横目でロンの涼しい顔を見ながら答えると、若様はまたしどろもどろで続けた。

「いや、そうじゃ…まあそれもあるといえばあるが…」

まあ、基本がレディファーストの若様としては、夜道を歩いて帰ることになると残業させにくいのかもしれないけど。

そう分析して、若様の言葉がまとまるのを待つ。

「ええと、その…そうだ、ライナスに泣かれる」

「ライナス様…」

あの可愛い天使がくしゃりと顔を歪めて泣く姿が浮かんで、私の胸はチクリと傷んだ。

前世から含めて末っ子だった私は、今では彼を弟のように思っている。構ってほしいと寄ってくる、それでいて私を守ろうとしてくれる、意地悪も悪戯もするけど可愛い弟だ。

昨日も、若様達がすぐに駆け付けてくれたのは、ライナス様が必死に連絡をとってくれたおかげだ。帰ってきてからまだ顔を合わせてないけど、ちゃんとお礼を言わないと。

私が辞めても、彼が夕食を一人で食べなくていいようにと願っていた。私は会えなくなる覚悟だったから通いでも会えれば嬉しいけど、やっぱり寂しがらせてしまうだろうか。

「…申し訳ないことをしました。居なくなることが分かっていながら、近づきすぎてしまって」

「いや、それは謝るようなことじゃない。ただ、出来れば、このままいて欲しい、と…」

ライナスが、と緑の目を彷徨わせながら呟くから、私は少し笑ってしまった。

危ない。いて欲しい、というのが若様本人の望みなら、思わず頷いてしまったかもしれない。それだけ、この人に引き留められるのは嬉しかった。

でも、そうでなくて、よかった。だって、事件が全面解決しなかったと分かったこの場面で浮かれるなんて、治安対策補佐官失格だ。

さあどう告げたものかと巡らせた視界に、紙の包みが映った。

「あの」

声を出せば、緑と青の二対の目がこちらを向く。

ふいに、呼べば届く距離にいるのだ、という実感が沸き上がった。

まだしばらくは、この距離で一緒に働ける。

この人たちの仲間でいられるんだ。

まずは、一緒にお茶を飲んで。それから、今日も深夜までこき使われよう。

ふわふわと胸に沸き上がる温かいものに、私の頬は緩む。自分のものとは思えないような、明るい声が出た。

「クッキーがあるのですけれど、召し上がりませんか?」


数日後、私はお城を見上げた。

「おはようございます」

「おはよう。お嬢さん、どちらへ?」

「治安対策補佐官、ヘスター・グレンです。仕事に参ります」

にっこり笑った門番さんは、私を通してくれた。

会釈を返して、広い玄関ロビーを歩く。

記念すべき私の二度目の『出勤』は、今度こそ笑顔で達成できた。


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