転生者とクッキーとおちゃ
その数日後、私は半休をもらって厨房にいた。
似顔絵捜査に情報が入ったとかで、ロンと若様はあちこち駆け回っていた。治安ナイト様効果で関心が高まったせいか、ここのところ似顔絵についてもちらほら情報が寄せられていて、今度の通報は期待できそうだと、揃って出て行ったのだ。
2人は私に言いつける用事を考える暇もなかったようだ。そのおかげで休むことができたとも言えるし、のんびり執務室で待つのが落ち着かないから敢えて休みをとったとも言える。
クッキーを作ろうと思うんだ。
余計なことを考えないには、単純作業で手を動かし続けるに限るから。皿洗いが第一希望だけど、他の使用人の仕事を奪うのはいけないことだとマリエさんやハンナさんに言われたことがあるので、これは断念。
それで、この前チラシの修正作業に使わせてもらった作業小屋に古い料理用ストーブがあるのを見たときから、密かに狙っていたクッキー作りを第二希望にしてみた。でも、ハンナさんにいざ貸してほしいとお願いしたら、それなら厨房を使えばいいと言われてしまった。そんな訳で私は、もっとささやかに人目につかずにやるつもりが、厨房の隅で生地を混ぜている。
ちなみに材料はまた、黒猫屋の注文宅配だ。お取り寄せ中心だった彼の店も、今後この方面にも事業を拡大していこうと打倒ライバル企業を掲げて頑張っているので、私としても是非協力したい。というか、ものすごく便利だ。
「何を作っているの?」
覗きにきたマリエさんに聞かれた。
「クッキーなの」
「色々変わった材料ね。あ!もしかして、前世のレシピとか?」
来た。
「まさか。そんなことが出来たら、私は今頃転生パティシエになってます」
わざとらしく睨んでやれば、マリエさんもそれはそうかと笑った。引き際があっさりしていて、ありがたい。
そう、私が今作っているのは転生知識なんて全く関係ない、ギャビさん直伝のレシピだ。
変わった材料なのは、お城で普段作られているようなバターたっぷりの豊潤サクサクなものじゃないからだ。バターの量が庶民的な分、砕いた木の実でザクザクの歯ごたえを、たくさん入れたスパイスで独特の風味を出したギャビさんのクッキーは、勝手につまみ食いしたロンと若様にも好評だった。別にあの二人が気に入っていたからという訳じゃあないけど、貴族の舌にも合うなら人に送っても大丈夫かな、と思ったんだ。
そう、このクッキーはいつもお世話になっている人たちに渡すためのものだ。貴族やそれに仕える裕福さと後ろ立てをもつ人たちに、私が感謝を返せる形が思いつかずに悩んだ挙げ句『若様が気に入ってらしたから』と最も感謝をすべき人の名前を免罪符にしたのは、本末転倒かもしれない。でも、まあいいんだ。だってあのおおらかな上司は、味しか気にしないだろうから。だから、私はできるだけレシピ通り美味しくということだけを心掛けて、丁寧に作っている。
ころころと手で丸めて、少しつぶすのがギャビさん流だ。型抜きも好きだけど、これもすごく楽しい。
「器用なものね。本当にパティシエになっても良かったんじゃない?」
どんどんできていく成型ずみの生地を見て、マリエさんが感心して言う。
うん、我ながら、綺麗なものだ。目分量で丸めた割にはどれも同じ大きさだし、形も揃っている。でも。
「甘い甘い。職人としてやっていくには、手先の器用さだけじゃ、ね」
要は、舌とセンスだと思う。そして私には、残念ながら両方ともかけていた。
器用に生地を丸められても、野菜を切れても、肝心の味を決められないのだ。だから、分量がはっきり決まっているお菓子なら美味しく作れるものの、それ以外となると雑な味になってしまう。実家の食堂で私に賄い係が回って来なかったのがその証拠だ。まあまあのものは作れるけど、それ以上ではない。そして、家庭料理の上を目指さないといけない職人としては、それじゃあ駄目なんだ。
オーブンに天板を押し込み、蓋を閉じる。後は待つだけだ。
「さっきの話だけど」
鍋つかみを外していると、マリエさんが話しかけてきた。
「うん」
「へスターにセンスと舌がなくて、良かったわ」
「うん…ん?」
なんかさらっと酷いことを言われた気がする。
「一応食堂の娘だから、あるべきだったんだけど」
モナ姉はうまいし、料理の出来る旦那さん候補を確保済みだけど、やっぱり自分もそのセンスが欲しかったなと思ったことは数え切れない。
「でも、もしあったら、ここにはいなかったかも知れないでしょう?」
ああ、そうか。
ほっこりと、胸の中に暖かいものが湧いてきた。
彼女は、私に会えたことを喜んでくれているんだ。
「そうだね。私も、マリエさんに会えて、良かった」
そう伝えれば、彼女は笑顔をはじけさせて仕事に戻っていった。
うん、会えてよかった。少し趣味はあれだけど、こんないい子と友だちになれた私は幸せだ。マリエさんとは、ここを離れても友だちを続けてもらいたいなあと後ろ姿の消えて行った先を眺める。
「なかなかいい香りだなあ」
「料理長さん」
話しかけてくれたどっしりした体型のおじさんは、このお城の料理長だ。
厨房を借りることになってハンナさんに連れられて挨拶をしにきたとき、いつものご飯への感動を伝えたら彼はとても喜んでくれた。そしてこの時間なら大丈夫だと快くオーブンを貸してくれている。しかもさっきから、下働きの見習いさんに混ざって野菜を切ったり鍋を洗ったりしている。
お城の料理長なんてすごい腕の持ち主だろうに、何にも偉ぶったところがなくて、本当にすごい人ってこうなんだなと私は密かに感動していた。思えばこのお城の人たちは、奥方様を始めとして皆そうだ。皆、一流の力をもっているだろうに、偉ぶったり驕り高ぶったりしない。こういう人達に会えたことも、ここへ来てよかったことの一つだと思う。
「へえ、ハッカクまで入れたのか」
「私の知り合いのおばあちゃんのレシピなんです」
そろそろ時間だったので天板をそっと取り出して、焼き具合を確認する。うん、大体いい色か。
「どうでしょう」
一応料理長にも聞いてみると、良さそうだなと言ってもらえた。
ほっとして、オーブンからクッキーを天板ごと下ろす。次の天板を入れると、またオーブンの蓋を閉じた。
クッキーは冷めるまでは崩れやすいし、焼きたてより、冷めてからのほうが美味しい。でも、このホカホカ状態はこのときしか食べられないから、それはそれで好きだ。
「お一つ、味見していただけませんか?」
私が言うと、料理長は目に見えて狼狽えた。
「いやいやそれはまずいだろ。若様より先に食べたなんて知れたら、大変だ」
「そうですか?」
別に若様だけに渡す予定じゃあないんだけど、まあ、料理長が嫌なら仕方ない。
私は、自分で熱々のクッキーを一つ、囓った。
まだ熱いから、ポリンというあのいい音はしない。そのかわり、口に入れる前からふわっとスパイスの甘い香りがした。噛みしめれば、ナッツの旨みが口に広がる。うん、おいしい。
満足した私は、次の天板が仕上がってあら熱がとれるまで、周りの片付けをした。灰や火の始末がないのは、謎の石のお陰だ。異世界転生者の知識って全く仕組みは分からないけど、本当にありがたい。
そのうち次のクッキーも焼き上がってきたので、謎の石を保管場所に返したり、天板を片付けたりした。その間料理長は、何度も私に念を押した。曰く、クッキーは必ず若様に一番先に渡すようにと。やっぱり、部下として直属の上司を最優先にすることって、大事なんだろうか。それとも、身分的な問題か。
「いいな、忘れるな」
「分かりました。心配しなくても大丈夫です」
なんだか信用ならないものを見る目をされたけど、私はそんなに忘れっぽく見えるんだろうか。
料理長の言葉もあるし、ラッピングもあるし。とりあえず私は、できあがったクッキーを一旦部屋に持ちかえることにした。
ロンの見積よりも少し長めに残業をすれば、やりかけの仕事や今までの仕事の資料をまとめる時間ができる。そうして少しずつすすめてきた身辺整理も、ぽっかり空いた昨日1日のおかげできれいに片付いた。ついでに借りていた部屋もきれいに掃除できたので、私はかなり満足だ。元日本人として、やっぱり『立つ鳥跡を濁さず』の精神は大事にしたい。
今、若様とロンは、そろって警備隊との情報交換会に出ている。
昨日の似顔絵の一件から、2人は深夜まで戻らなかった。それで朝一の会議に出ているので、捜査に進展があったのかなかったのか、私には全く分からない。
そんなわけで、私は朝からじりじりしながら待っているんだ。
会議はすぐお向かいの棟で行われているけど、私は隊長のタガード伯に嫌われているので、出るわけにはいかない。ナンさんにもらった協会のお墨付きは彼に対しても有効なはずだけど、だからといってわざわざ姿を現して会議を難航させたくないからだ。
廊下の方から話し声と足音が近づいてきて、私は立ちあがった。若様はおしゃべりだから、誰かと一緒だとどこにいるかすぐ分かる。
「お帰りなさいませ」
扉をこちらから開けたものだから、少し驚いた顔をされた。
「ただいま。あ、悪いな」
「頼む」
脱いだ上着を、立ちあがったついでに2人分受け取る。いつもはしないことだけど、さっさと落ち着いてもらって話を聞きたいので、受け取ると言うより奪うようにして入り口近くのハンガーに掛けた。合理主義者の彼等は、最初こそ自室で身支度を調えてから出かけていたけど、そのうち面倒に思ったようで、執務室にハンガーとコートかけを持ち込んでしまった。その一角で適当に上着の皺を伸ばして、私は壁際のお茶セットの方へ向かう。
涼しくなってきたので熱いお茶がいい。少し眠そうな2人にはカフェインのあるものがいいだろうと、紅茶にする。茶葉の好みなんかは分からないけどハンナさんが準備してくれたものだから大丈夫だ。先に用意しておいたティーポットに文字通りの『魔法』瓶から湯を注いで、時間きっかりでカップに注ぐ。カップはこれまた謎の機能で温まっているから、便利なことだ。三人分注いで、勝手に応接セットの定位置に並べた。
この私の、さあ話せというアピールに、若様は吹き出し、ロンは呆れたように首を振った。
「昨日の件は、残念ながら別人だった」
「それは…お疲れ様でした」
私は、がっかりした空気を出さないように気をつけながら言葉を選んだ。正直、丸一日帰って来なかったし若様は明るいし、今度こそ当たりだったんだろうと思っていたから、かなりの肩すかしだ。でも、実際動き回った人たちこそ報われない。
私の隠そうとした落胆を見透かしたのか、若様が軽く苦笑して続けた。
「そのかわりではないか、今日の会議で先週見つかった被害者の調査結果が大体出そろったぞ」
「本当ですか」
私は身を乗り出した。
未だに、犯人が使っていたリストの出所は分かっていない。被害者が使っていた店やら何やら、いろいろなものを調べたのだけど、この街に住んでいるということ以外に重なるところはなかったのだ。
だから新しい情報がヒントになるかもしれないと、一縷の望みをかけていた。
なぜなら、直近の事件は一週間前と新しいものだから。
私は、ロンが机を滑らせてきた資料をめくる。事件の概要、空話の内容、被害者の家族構成、使っている店、紙は細かい字でびっしりと埋まっている。でも。
「…共通点は、ないようですね」
無言で資料を渡してきたロンの態度で悟って伺えば、2人は頷いて肯定した。
「宅配業者はどうでした?」
私は一番気になっていたところを聞いた。つい一週間前のことだし、例の都のポストまで宅配した人間に話を聞けば、何か分かるかもしれないと期待して。
でも、若様の首は、横に振られた。
「おかしなことに、誰も見ていないし配達した覚えはないと言うんだ」
「そんな。業者には、あの住所への宅配はしないように話してあるのですよね?」
ロンが頷く。
「もう二週間以上前に通達済みだ」
元々個人が遠距離の荷を出すのは目立つし、それも注意喚起されているんだから、本当は見逃すなんてありえないんだ。
「ミスを犯した間抜けが、処罰を恐れて黙っているのだろう」
ロンの手厳しい物言いも、非難する気になれない。
「まあ、宅配業者は山ほど従業員を抱えているからな。もし交代の関係で出払っていたのなら、今後名乗り出るかもしれないが」
「はい…」
楽観主義の若様のフォローに、私は納得できないまま相づちを打った。
確かにこちらの宅配業者というのは、事業所に行って出さなくてもその辺で宅配中の人間を見つけて渡しても良いし、担当地域が毎日同じわけでもない。その上人数が多いから、事業所の人間も荷物を誰が受け取ってどういう経路で運ばれたか、把握しきれないんだろう。
でも、ほんの一週間前なのに。しかも、呼びかけも進んで、詐欺についてかなり周知されてきたのに。なんで気付かず運んじゃったんだ、と本当はいいたいけど、せめて情報だけでも欲しいのに。
私のそんな気持ちを払拭するように、若様がもう一度明るい声で言った。
「今日から、警備の第一隊が直接宅配員一人ひとりに当たることになったぞ」
「あの使えない髭の直属部隊の仕事では、期待は出来ないな」
「落ち着け、ロン。腹を立てても焦っても、何も変わらない。…ああそれから、例の空話屋にも一人貼り付いたままだ」
若様に窘められたロンは、軽く肩をすくめてから口を添えた。
「…宅配業者はともかく、こちらは期待できるだろう」
私は、深く息を吐いて頷いた。
ロンと一緒に、私の気持ちも窘められた。
うまくいかなかったからと言って、嘆いてもしかたない。最善を狙って動いてもいつも上手くいくわけじゃないのは、経験済みじゃあないか。
それに、後退したわけじゃあない。空話屋の張り込みに動きがあれば、事態は確実に動くはずだ。下っ端すら捕まらない状況も、もうすぐ終わるだろう。
「似顔絵の方も、成果こそまだないが、関所の出入りはできていないはずだし、領民の監視の目が厳しくなっている分、犯人が身動きしにくくなっているのは確かなはずだ」
そうだ、今回空振りだっただけで、勿論似顔絵になっていない犯人もいるかもしれないけど、確実に動きは抑えている。関所でも空話屋でも、網は張っている。
もう少し。もう少しで、何かがつかめる。
私が気持ちを落ち着けて目を上げると、若様が物言いたげにこちらを見ていた。
「何でしょう」
「いや、何か口寂しいと思ってな」
「ああ、失礼しました。チョコレートがあるのを忘れていました」
「チョコレート…」
「ええ、ハンナさんが用意してくれた…え?お食べになりませんか」
若様が、急にしおれた声を出したので私はびっくりした。さっきまで、捜査のあれだけの進展のなさにも鷹揚に構えて全くがっかり感を見せなかったのに。
「なんというか、他のものが食べたい気分だなあと」
信じられない。お城の高級チョコレートは、舌の上で滑らかにとろけてコクも香りも最高なのに。そんな贅沢を言うなら、勝手にすればいいんだ。
「でしたら、若様のあの微妙なお味の飴がまだ半分以上残っていますが」
「いや、うん。いいんだ…」
ロンがぽん、と若様の肩を叩いた。憐れみ半分、呆れ半分のその目に、私はますますわけが分からなくなった。あの飴は確かに美味しくないけど、それに2人ともさぞお疲れだろうけど、私は何もしてないはずだ。
結局、金の髪まで心なしかしょんぼりしぼませて片手で額を押さえた若様があんまり哀れをさそうものだったので、私はチョコレートを出してやることにした。
入れ直したお茶を飲んで少し浮上した若様を見ながら、私は、美形ってずるいと再度思った。




