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転生者とごみ

それから数日間の記憶は、薄い。

ただ、次々言いつけられる用事と印刷所とのやりとり等に忙殺されながらも、『ロンめ禿げろ』と脳内で呟いていたのだけは確かだ。

捜査の方は、前に出た目撃情報をもとに被害者の家の近くで再度聞き込みをしているらしいけど、進展はないらしい。苛々したロンが私にちょっかいをかけて気分転換をしようとするので、二重に遺憾だ。これでもこちらは吹っ切れたあの日から、少しずつ顔を上げよう人の目を見ようと思っているのに、変なちょっかいのおかげで赤面癖が治らないじゃあないか。ロンめ禿げろ。

ただ、待ちに待った条例だけは予定通りに成立した。詐欺に該当する犯罪が、ようやくこれで取り締まれるようになったんだ。

そうして、この日。

私はようやくできあがったチラシを抱えて、意気揚々と執務室に戻った。

自警団の人たちに頼んで店に貼ってもらったり、公共の施設やギルド窓口なんかにも貼らせてもらう予定の、あれだ。文面の段階から何度も若様やロンに相談して、印刷所との色決めや紙決めなんかの打合せは、全部私が自分でやった。初めて任せてもらえた、外との仕事だ。ロンにこき使われてやたらと忙しい中だったけど、ものすごく思い入れがある。

部屋に入るなり完成したチラシを掲げて見せた私は、きっと得意満面だったと思う。

でも。

「これは、使えなくなった」

「え」

今、なんて言った?

若様の言葉に、私は愕然とした。

それから、顔を上げて2人の表情を確認した。2人とも、少し眉根を寄せて難しい顔をしている。聞き間違いでは、なかった。私は悟った。

「今朝、父に呼ばれて言われた。ダドリー伯から、チラシの掲示を止めるように正式に申し入れがあったそうだ」

「何故ですか?!」

反射的に聞いた私に、若様は申し訳なさそうに眉を下げた。

「起案書に載せた文言をやり玉にあげられた。わざわざ公文書で一般市民に無差別に『詐欺』という言葉を広めるのは警備隊として困ると、そういうことだ」

すでに詐欺被害がこれだけ出てきて、市民も詐欺という言葉を認識しだしているのに?転生者協会も詐欺について公表する許可を出しているのに?公文書で『詐欺』と書こうと『人を騙してお金を奪う』と書こうと、何の違いがある?

「難癖だ」

ロンが腕組みしたまま吐き捨てた。

「しかも、わざわざ印刷が終わるこの段階になって言ってくるのは、明らかに嫌がらせだ」

そうだ、印刷前なら文面を変更するなり色々やりようがあったかもしれないけど、すでにチラシは印刷済みで、代金も支払った後だ。

「しかし、難癖であろうとなんであろうと、ダドリーが現状国から指名された警備の長であることに代わりはない。領内の犯罪や治安の問題に関して、奴の意見をないがしろにするわけにはいかないんだ」

つまり領主様も若様も、その申し入れを受け入れたということか。

頭の中が真っ白だ。なんとか出てきたのは、今後への疑問だった。

「どうしたら…」

若様がため息をついた。

「どうもしようがないな。残念だが、当分貼り紙は無しで呼びかけるしかないだろう」

若様のため息が止まらない。彼も、経費のことも、奴がこうして表立って邪魔をしてきたことも、頭が痛いのだろう。

でも、でも、でも、私の作ったこのチラシは?

私は、手元のチラシに目をおろした。

「では、これは、どうなるのですか…?」

「残念だが、捨てるしかないな」

『捨てる』の一言に、貧血を起こしたように頭がくらくらする。いくらかかった?どれだけ時間をかけた?それが全部、髭男の言葉ひとつで、ゴミになる。

「腹立たしいが…まあ、無しでもなんとかなる」

そう言う声と、ひときわ深いため息。

私はさっきと同じくらいの衝撃を受けた。これ以上残っていないと思っていた頭の血がさあっと引いていく。とっさに罵りそうになるのをぐっと唇を噛んで堪える。

「……棄ててきます」

呼び止められた気もしたけど、振り替える余裕はなかった。涙が溢れ出る前に、急いで二人の前から立ち去りたかった。

大量の紙が重い。さっき執務室に運んだときは、これほど重く感じなかったのに。

肩がもげそうに思うのは、この紙が全てゴミになってしまったから。

何十万もかかったゴミだ。5日かかったゴミだ。私が作ったものだ。

それを、髭男がゴミにした。それでしようがないと、領主様と若様が決めた。

勢いのままずんずんと廊下を進んで、いつもの裏庭への掃き出し窓から外へ出る。

そのまま裏庭の焼却炉に行って燃やしてしまおうとして、炎を見たら結局ためらってしまった。これだけの手とお金をかけたものを、簡単に投げ込む気になれなかった。

私は、焼却炉の側の塀にもたれて、ずるずるとその場に座り込んだ。


無駄だった。

頑張ったのに。予算も使ったのに。

情けなさで、涙が出る。

苦労したチラシを捨てなきゃいけなくなったことももちろんだけど、若様の言葉も私の胸を苛んでいる。

だって彼は、『無しでもなんとかなる』と言ったのだ。それはもちろん、もうチラシが使えなくなったから出た言葉だろうけど、それでも私は悔しかった。

がっかりされるのは、悲しい。でも、初めからたいして期待されてなかったのかもしれないと思うのも、ものすごくショックだった。張り切っていたのは、私だけなのか。そのあげく、妨害にあってチラシは駄目になって、結局低い期待に添った形になったのか。そう思うと、よけい悔しいし、虚しいし、やるせない。

若様には、期待されたいと思っていた自分に気付く。

私を何もできない人間じゃないと言った人、仲間だと言った人だから。確かに、若様が少しでも私に期待してくれたとしたらそれは転生者としての知識面であって、こういう方面ではないだろう。でも、頑張った裏には認められたい思いもあったし、成功させてよくやったと言われたかった。

夏の庭、日陰とはいえ暑いはずなのに、指先が冷たくて仕方なかった。

涙は雨のようにぽたりぽたりと顎から伝いおちる。

抱えた膝をその滴で濡らしながら、私はチラシの束を撫でていた。

どれくらいそうしていたのだろうか。

ふいに、はあと、頭の上からため息が降ってきた。いつの間にか来ていたのは、顔を見たくない相手だった。

お前があんなに雑用を言いつけていなければ、もしかしたらチラシの文言を精査して詐欺という言葉を入れなかったかもしれない、なんて可能性でしかない八つ当たりが浮かんでは消えていく。そんなことをしたって、あの髭男は妨害のための妨害をしているのだから、別の難癖をつけてくるだけなのに。

私は口をきかなかったけど、ロンはしばらくすると勝手にしゃべり出した。

「お前、前世で働いたことなかっただろう」

「…し、つれいな。ありますよ」

ずずっと鼻をすする音がしてしまった。でも、これでも前世ではあんたより年上だったんだ。バイト経験くらいある。

「自分で考えて責任を負う気でやる仕事ということだ」

決めつける口振りに腹がたった。だから、答えないでそっぽを向いた。

「仕事をしていれば、自分の努力が形にならないことくらいざらにある。頑張ればいつでもうまくいくわけじゃない」

「そんなこと」

わかっている。でもそう言えなかったのは、ついさっきまさに頑張ったのに、と思っていた自分を思い出したからだ。

図星だ。悔しいけどどうしようもないことなんて、自分でも分かっている。頑張ったのにと拗ねていても、何にもならないことも。でも泣いてる人間に追い討ちをかけるか、普通。同じ中身でも、もう少し優しく言ってくれてもよくないか。恨めしく思うその気持ちもまた、甘ったれではあって、だから余計に涙が出る。

そんな私を、ロンはふんと鼻で笑った。

「未熟な奴が勢いだけでつっ走ると厄介だから、くじけてくれてちょうどいい。お前のチラシがなければないで、俺は別の手を考えるだけだ」

そう言い捨てて、奴は去っていった。

何をしに来たんだ。わざわざ嫌味を言いに来たのか。根性悪め、二十歳までにつるっつるに禿げてしまえ。私はその後ろ姿を睨み付けた。

未熟、勢いだけ。

ロンの言葉がぐさぐさ刺さっている。でも、お前なんかこのままくじけていろ、というのは本気で腹が立った。

くじけたままでなんて、いてやるものか。

ここでくじけて閉じこもったら多分、また引きこもることになる気がする。せっかく家を出て脱引きこもりが進んだのに。せっかく仲間と言ってくれる人ができたのに。せっかく、ギャビさんが褒めてくれたのに。

突っ走って迷惑かけてやる。

認めさせてやる。

マーカス・エセルに、いつか期待させて、その期待に応えてやる。

ロン・ケンダルに、私のチラシの穴埋めなんてさせてやらない。

そうだ、そもそもチラシを作ったのは、詐欺にあう人を減らすため、被害にあった人に名乗り出てもらうためだ。だから、せっかく完成したけど、このチラシが使えない以上、他の手を考えることになるのは当然だ。でも、だったらロンになんて任せないで私が自分でやりたい。

これをゴミにするなんて、本当にもったいないし悔しいけど。

せっかく、きれいなのに、ごめんね。

私は傍らの紙束をそっと撫でた。

美しく印字された真っ白な紙は、背景にごく薄い水色でエセル家の紋章が入っている。文末にはきちんと領主様のお名前と、治安対策課という文字。

指先が、いつの間にか熱を帯びている。

「ゴミだなんて…もったいないよね」

汗をかいた私の指先に、チラシが一枚、はり付いてきた。

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