転生者はたたみがほしい
「自分の行動の後先を、もう少し考えろ」
若様の声が、低い。
「はい」
「どれだけの人間が心配して、どれだけの騒ぎになるか、考えなかったのか」
感情をストレートに表現する彼は、怒りも分かりやすく出すので、父以外の男の人自体に慣れていない私には、その低い声が結構怖い。
「申し訳ございません」
騒ぎにしたのは若様なのに、とは言えないので、頭を下げて謝る。
それにしても、椅子文化が主流のこの国で、説教のときは膝詰めでという古風かつ純和風な文化を広めた転生者は一体誰だったのだろう。余計なことをしてくれたものだ。きっとその転生者は叱る側だったのだろうけど、椅子の上に正座させられている私は今、とても微妙な気分だ。どうせやるなら畳文化も普及させるくらい徹底して欲しかった。
いつになく怒りの長引いた若様の前に割って入ってくれたのは、ライナス様だった。
「兄上、それくらいにして下さい。ヘスターを連れ出したのは僕です」
椅子+座高の私と同じくらいの背しかないのに、細い背中で守ろうとしてくれるとか・・・やられてしまう。
「ライナス様・・・」
安心しろとでも言うように目を合わされて、きゅんとくる。
つい昨日まではいじめられたり無視されたり散々だったけど、誤解が解けた彼はとても紳士だった。私が転びかければ『ヘスターはドジだな』と言ってそっぽを向きながら手を差しだしてくるし、花畑では綺麗なものを見せてくれたことにお礼を言えば『大したことじゃない』と言って顔を真っ赤にする。態度はやや尊大だけど、そこもまたツンだと思うと、なで回したくなる。
「第一、兄上にも責任があるではないですか」
「どういう意味だ?」
お兄ちゃん子のライナスから受けた咎めるような視線に、若様は驚いたようだった。私だって驚いた。
「いくら静養とはいえ、あんな人気のない場所に女性を一人置いていったのですから。とにかく、ヘスターはもう休ませるべきです。お説教は僕が後で伺います。・・・行こう、ヘスター」
若様があっけにとられている間に、ライナス様は私の手を引いて歩き出してしまう。
「あ、え、あ、すみません、失礼します、本当にすみません」
私は一応上司様のご機嫌を損ねないようにと、振り返りながらぺこぺこと謝罪と退出の挨拶を繰り返した。
もちろんライナス様は男の子とはいえ、まだ子どもの力だから、頑張れば踏みとどまることも可能かもしれない。だけど、大好きなお兄ちゃんに言い返してまで一生懸命自分を庇ってくれたのだ、そんな子どもの気持ちをむげにはできない。その上それが、可愛い天使のような少年なんだ。愛くるしい顔で誘われると、思わず頷いてしまいたくなるのは私だけじゃないはず。
ライナス様は静養中だということに配慮してくれたのか、まだ柔らかい手で私の指先を握ったまま、私を部屋まで送り届けてくれた。
お礼を行って扉を開けた私は、そこで固まった。
「ヘスター?」
部屋を間違えたと、一瞬思った。でも、振り返った廊下の景色を見ても、やっぱりここが朝まで自分が使っていた部屋のはずだった。
私の部屋は、徹底的に模様替えされていたのだ。
「・・・お前がベッドしか使っていないと聞いたからだ」
いつの間にか現れた若様が、後ろから言った。
あのとき、私の荷物が棚に全く置かれていないことに気付いてしまった若様は、マリエさんに私が食事以外では机にも触らないように生活していると聞いてしまったらしい。それで彼はいつも通りの即決即実行で、私を外に出している間に模様替えをしたのだ。
高級感の溢れる家具たちは、ベッド以外全て入れ替えられて、少し小ぶりで素朴なものになった。ご丁寧に、カーテンもベットカバーも少しお手頃品に変わっているようで、言うならば5つ星ホテル品質からちょっと気の利いたペンション品質に変わったという感じだ。
「わざわざ、揃えてくださったのですか・・・?」
それはそれでまた申し訳ない。
「いや、使用人用の部屋の備品や物置に元々あった物だから、気にすることは何もない」
そうなのか。それなら、模様替え費用とか、気にしなくてもいいのかな。素直に、可愛い部屋と、気楽に使える家具を喜んでもいいのかな。これは、正直、かなり嬉しい。
「ありがとうございます・・・!」
自然に緩んできた口元から、するりと言葉が出る。
「ああ」
若様はまだ少し面白くなさそうな声だった。
そうか、私がいない間に模様替えを済ませて、喜ぶだろうと急いで呼びに行ったら当の本人がいなかったのか。もしかしたら、裏庭でも一番外れに私を置いてきたのも、そもそも城の外で静養しろと言ったのも、模様替えをしている様子が分からないようにだったのかもしれない。忙しい中それだけのことをしてくれたのにあの仕打ちじゃあ、それは、腹もたつだろう。私はようやく、さっきから怒っていた彼の気持ちを理解できた。
「あの、本当に、ごめんなさい・・・」
上目遣いに伺うと、若様は少し目を伏せ浮かない顔をしていた。
その表情が気になって目を離せないでいると、私の視線に気付いたのか緑の目がちらりとこちらを向く。傷付いたような、拗ねているような色が、長いまつげの下で揺れて、それからすうっと引いていく。
彼は少しの間黙り込んで、それから深く息を吐いた。
「もう、いい。・・・それより、気に入ったか」
「はい、とっても!」
お陰でようやく、トランクの中身を出すことができる。質素な木製の写真たてや手作りの小物入れなんかは、今までの優雅な家具には釣り合わなすぎて置けなかったのだ。
そう言うと、若様はようやくいつものようにいい笑顔になった。
「それでは、この模様替えの説明をしよう」
え。
「まず戸棚はだな、いくつか候補があったんだが、お前の背の高さからいってあまり大き過ぎない方が使いやすいだろうと思ったので・・・」
生き生きと話し出した若様は、そのままタンスや机やカーテンや、つまり部屋中の全ての家具について説明をしようとし、やや引きつった顔のライナス様が止めるまでそれは続いた。
やっぱり若様は残念な男だった。ようやく一人になった部屋の中で、私は、しみじみその事実を噛みしめた。
その残念は、翌日まで続いた。
「マーカス様が、貴方が来ていないかとすごい勢いで空話してきたのです」
自分がやったわけでもないのに、なぜだろう、この恥ずかしさは。
まるでちょっと寄り道して返ったら過保護な親に知り合い中に電話をかけられてしまった子どものような、そんな情けなくも恥ずかしい状況に、私はなすすべもなく頭を下げる。
「本当に、お騒がせして申し訳ありませんでした・・・」
私がライナス様と遊んで帰ったことは、ヘスター裏庭失踪事件と名付けられてお城中に知れ渡っていた。そのため昨日の夜からずっと、ハンナさんやマリエさんや、ともかく会う人ごとにこうして頭を下げていたのだけど、翌日になってわざわざナン女史まで来てくれたのだ。協会への仕事上の定期連絡は空話ですむけど、私個人の転生者面談はそういうわけにはいかないというので、それにかこつけての登城である。
私と彼女は、私が借りている部屋ニューバージョンにて、2人きりで話をすることになった。
可愛い籐製のクッション付きの椅子に座って、木綿のクロスがかかった小さなテーブルを挟んで向かい合う。
「静養を言い渡される程、調子が悪かったそうですね。何があったのです」
話しなさい、といつもの口調で言われて、私は困った。
不調の自覚はなかったから、何を話せばいいのか分からなかったのだ。でも、心配事や最近あった変わったことを全部言えとナン女史に命じられ、私は気付けば最近あった色々や、それで前世の記憶にアプローチしているということを説明してしまっていた。
「・・・それで、少し疲れていたのだと思いますが、もう大丈夫です」
話を聞き終えると、ナン女史は声を和らげた。
「今回の被害者は、あなたにとってそれだけ大事な人なのね」
こんな声も出るんだ、という労るような声だった。彼女は話の間中口を挟まずずっと相づちを打って聞いてくれたが、ギャビさんの話を重く受け止めていたらしい。
「そう・・・だと思います。うちには、祖母は居なかったので、小さい頃私は彼女をおばあちゃんと呼んでいました」
「そう。大事な人が、被害を受けてショックだったのでしょう。でも、それで貴方が気に病みすぎて倒れるようなことは、誰も望んでいないと思いますよ」
気に病んでいるつもりは、ない。ただ、自分にできることはこれしかなかったから、必死でやっているだけだ。だって、それしか私にはないのだから。
そんなことを考えてしまって頷けずにいると、ナン女史がふうと息を吐いた。
「転生者が皆、あなたのようだったらね」
彼女は、ぽつりと呟いた。
「私ね、親戚のつてで協会に就職したのよ。それで、都に集まってくる起業家志願の転生者の対応をしていたの。でも、都で来る日も来る日も彼等の世話をするうちに、いろんなことにいやけがさしていたの」
あなたのことも、と言われて、顔を上げると、彼女が笑って私を見ていたので驚いた。
「どうせ領主様や若様に取り入って、名声目当てに法改正などと言い出したのだろうと思っていたわ。わざわざ三原則を犯してまで、何を考えているのだろうって。私がこれまで見てきた転生者は、そういうタイプだったから」
彼女の最初の態度には、そんな理由があったのか。
「あなたは、今、自分以外の人のために前世を探っているのね」
私は首を横に振った。だって、今自分のしていることが純粋にギャビさんのためだけではないことを自覚していたから。この行動には、罪悪感から自分が楽になるためや、犯人扱いから解放されるためや、そんないろいろなものがまとわりついている。
「いいのよ、何一つ打算や保身のない人など居ないのだから。ただ、私が言いたいのは、・・・そうね」
彼女は言いよどんだ。
「・・・あなたを、誤解してすまなかったということ。それから、私は、あなたに協力するつもりだということよ」
私は驚いた。
「だから、一人で頑張らなくてはと思いつめるのは、やめなさいね」
気恥ずかしげに微笑んだナン女史は、もうぜんぜん能面のように見えなかった。
「ありがとうございます・・・」
ナン女史は、私に協力すると言ってくれた。困ったことや悩むことがあれば、すぐに相談するようにとも言ってくれた。嫌われていると思っていたのに。
私は、嬉しくなって、彼女に微笑みかけた。ナンさんのきれいな紅茶色の瞳が、温かに微笑み返してくれた。
それから彼女は私に、転生者協会に伝わる通説を教えてくれた。
「あまり知られていないことだけど、転生者というのは、ひかれあうものらしいと昔から言われているわ。多分、無意識のうちに、前世育った場所や味覚に近いものを探し求めるのじゃないかと、言われているの」
ひかれあう、と呟いた私に、彼女は頷いた。
「あなたはもともとエセル領で生まれたんだったわね?」
「はい」
そう、とナンはうなずいた。
「じゃあ、運がよかったのかもしれないわ。あの便利屋の男なんかは都から移り住んだらしいし、他にも転生者には転居を繰り返す人が多いから」
考えたこともなかったけど、この街のどこかに、私の前世が懐かしむ何かがあるのだろうか。国中に当たり前にあると思っていた、おはぎや、やきそばパンや、まさかの膝詰め説教スタイルか、そんな山ほどのものの中に、この土地を特別な物にしている何かがあるのだろうか。そして、私や黒猫屋と同じ星、同じ時代の記憶をもつ誰かが、他にも移り住んできているのだろうか。
「だから、思い詰めなくても大丈夫よ」
思い詰めてなんてないと、私が口を開く前に、彼女は首を左右に振った。
「ヘスター、あなた分かってないのね」
これでも昨日一日で、顔色がかなり良くなったなと思っていたのに。でも、ナンさんのなでるような優しい視線は気持ちがよかったから、私は黙って彼女を見つめた。
「とにかく、あなたや便利屋を不当に逮捕だとか尋問だとかさせないから、大丈夫。そんなことは、転生者協会が許さないわ」




