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転生者とあんうん

翌日からロンが出張から戻ったこともあり、若様はちゃんと起きて執務室に現れた。私はほっとしたと同時に、若様とロンの関係性を勘ぐって少し脳みそを無駄づかいした。

その間に、若様は時間通りに反対側の棟に行って文官たちと協議をして、昼頃に戻ってきた。

「この調子なら来月には領内での条例施行ができそうだ」

「国内の法制化はその後になるだろうが、ひとまず取り締まるための手段ができるな」

機嫌良く若様が言うと、ロンも付け足した。

「うまくすると、これで領内の詐欺事件は一掃できるかもしれない」

私は、よく分からなかったので尋ねた。

「なぜですか?」

「それはだな」

2人のうち口数の多い方、若様が説明してくれる。こういうことを厭わないのは、おしゃべりな上司で助かる点だ。

「誰もわざわざ、取り締まりの厳しい場所で稼ごうとは思わないからだ。まあ、国単位で見れば解決にはならないが」

なるほど。確かに、近所で唯一セコムに入っている家にわざわざ泥棒は入らないだろう。そして、エセル家は全国総セコム化を目指すべく、法整備の準備をしているということか。

「とにかく、順調ということですね」

私は単純にそこを喜ぶことにした。

「もう少ししたら一度家に帰ることもできるでしょうか」

ここに来てから一月、まだ家には帰っていない。警備隊から私が危険人物もしくは重要参考人と目されている間は、家族に接触しない方がいいと言われていたからだ。最初に若様からそう聞かされて、家族に迷惑をかけるよりはと納得したのだけど、そろそろ状況も変わったのじゃあないかと私は期待したのだ。

ところが。

私の言葉を聞いた二人の反応は鈍かった。返事がないことをいぶかしんで少し目をあげると、ロンはいつも通り感情を読みにくい無表情だったけど、基本正直な若様は、明らかに困った顔をしていた。

あ、これは、答えにくいことを聞いてしまったらしいと私は気付いた。つまり、私が家に帰るのはまだ無理なんだ。

私はそう悟って、目を伏せた。

「そのうち、な」

若様の声はさりげなさを装うように、無駄に明るかった。だから、私も、明るく返す。

「そうですね、総長」

「三人しかいないのに総長はちょっとな」

「では保留で」

どうでもいいやり取りでお茶を濁して、そのまま自分の仕事に戻る。

その日は、いつになく時間が経つのが遅かった。最近好んで使っているペンの先が何度も紙に引っかかって、仕方なく鉛筆に持ち替えた。紙が湿っているのか、鉛筆も上手く滑らず、はかどらなかった。

恒例の夕食を終えて部屋に戻ると、久しぶりにため息が漏れた。

窓辺によっても、今夜は黒い雲に遮られて月が見えない。夕食時に領主様が、明日から長い雨になると話していたのを思い出す。

今年は、梅雨が早そうだ。


急報が届いたのは、その3日後のことだった。

朝から降り続いた雨の中もたらされたのは、街の駐在所からのものだった。それは若様と同じオレオレ詐欺にあったらしい人間がいるという報告だった。

法整備が間に合わないうちの被害報告に若様は渋い顔をした。

「被害者は」

「70代の老女です」

ああ。私は思わず典型的、と呟いてしまった。

オレオレ詐欺の被害者は、家族から離れて住む老年世代に多いのだった。

「街の住人か」

「はい。独り暮らしのため、誰にも相談せずに金を送ってしまい、後から離れて住む孫と連絡をとって、初めて騙されたことに気付いたのだそうです」

まるで私が書いたオレオレ詐欺の具体例1そのままの状況に、ため息をつきそうになる。

若様も同じ気持ちなのだろう、悔しそうに机を軽く叩いた。

これは、出張になりそうだ。私は使っていた筆記具を少しずつしまい始めた。若様やロンはとてもフットワークが軽いので、彼等の身支度はものすごく早いのだ。一緒に出かけるとなると、部屋に戻って鞄と帽子をとって、と私だけどうしても時間がかかるので、待たせないためには少しでも動き出しを早くするしかない。

そう考えて書きかけの紙を机にしまおうとしたとき、伝令が言った。

「その、被害者のギャビという老女ですが」

どきん、と心臓が跳ねた。

今、なんて言った?

「被害者の足が悪いため、駐在まで警備隊が出向いて状況を確認するというのですが、どうなさいますか」

「場所は」

知ってる。でも、違うと思いたい。

「二番街です」

近いな、と若様が呟いた。

私は、この上もなく遠いと思った。

「我々も行こう」

耳鳴りがした。

若様とロンがさっと机を片付け出すのを聞きながら、私の手は無意味に震えるだけで、全く言うことを聞かなかった。

「ヘスター、お前も準備をしてこい」

若様が私に声をかけたのが分かった。

動け、動けと念じながら、どうにか顔を動かしたが、ぎぎぎと音がしそうだった。はいと答えたつもりの声が、自分の耳にすら聞こえてこず、私はせめて立ちあがろうとして机の上の紙を床にばらまいた。

「あ・・・」

「何をやっているんだ、お前は」

私はそれを拾おうとして、床にしゃがみ込んだ。

指が震えて、紙が上手く拾えない。ようやく触った紙が滑って遠ざかっていく。馬鹿みたいだ、私。何をしているんだろう、と焦れば焦るほど指の震えは大きくなる。

そんなことを繰り返している私を見て、どう思ったのか。

「・・・分かった。今日は待っていろ」

若様がため息混じりに言った。

「・・・お前がそういうなら、俺は何も言わないが」

ロンの声は明らかに不服がっていた。

行きますと、言うべきだった。

私もついていきますと。

でも、私のカラカラに乾いた唇は引きつるばかりで、そんな無様な顔をさらすこともできずに私は俯いて紙を拾い続けた。

そうして集めているうちに、二人の影が動いた。足音が遠ざかり、そして、ばたんと扉が閉まる音がした。

私は顔を上げて、閉まったばかりの扉を見つめた。分厚い扉は遠ざかる二人の足音を遮って、私にはその一枚の木の板が、石の壁のように見えた。

しばらくそうして座り込んでいたのだと、思う。

固い木の床に押しつけた足に痺れを感じて、私は身じろぎした。

もう、追いつけない。

今さら扉を見たって、遅い。

私はそこから目を逸らし、重たい身体をデスクに向けて動かした。

デスクの天板に額を押し付けると、ひんやりした冷たさが肌に伝わって、少し頭が冷えた。

虚しさと情けなさは、募る一方だ。

馬車での出張も平気、もう廊下の人払いはいらないだなんて、大見得を切ったばかりだというのに。

今さら、部屋から出ることさえできないだなんて。

若様たちは、2番街という地元も地元の地名を聞いて、私が怖じ気づいたと思っただろうか。何にしても、若様にもロンにも、絶対呆れられた。2人は私に失望したかもしれない。

頭の熱を接したところから机に移しながら、ぐちゃぐちゃの頭を整理する。

・・・どうして、口も聞けない状態になったの?

・・・若様とこの街を歩くのはこれが初めてじゃないでしょ?前は嫌々でも、俯いてでも、出来たのに。

自問自答して追い詰められて、私ははあ、と息を吐いた。

仕事なのだ、行かなくちゃいけなかった。それに、詐欺にまだまだ疎い若様たちだけでは重要な情報を見逃す可能性もある。それは分かっていた。

でも、被害者の名前を聞いて、体が固まったのだ。

被害者は、2番街に住む、ギャビという名の70代の老女。

その人を、私は知っている。

私は、ギャビさんが怖い。

そう頭の中で認めると、今度は震えていた身体から全ての力が抜けた。頭も腕も底なし沼にはまってしまったようにどんどん重くなって、自分では動かせなくなっていく。頭の中身がどろどろと溶け出して、もう脳みそも目玉も全て一緒くたにコールタールになってしまったような気がした。

もう動けない。

怖い。

何もできない。

怖い。

どうしていつも。

怖い。

私は、こうなの?


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