転生者のへいおん
翌日。
「上司様」
若様は私の呼び掛けから数秒して、ようやく顔を上げたようだった。
「もしかして、それは私のことか?」
はい、そうです。
「若様では困る場面があると分かりましたので」
昨日のことだと思い当たったのか、若様はああと呟いた。
「だが、上司様は妙だな」
うん、私もなんとなく変だなとは思っていた。
「そうですか。では保留に致しまして、若様」
「なんだ」
「廊下の件、お気遣いありがとうございました」
若様は上体を背もたれに倒して足を組んだ。
「ロンに聞いたんだな。別に礼を言われることではない。部下の能力を引き出すのも上司の仕事だ」
騎士学校ではそう教わるのかもしれないし、若様にとっては特別なことではないのかもしれない。でも、私としてはお礼と、気づいたことを伝えたかったのだ。
「それでも、多くの方にご協力頂いたことを思うと、やはり若様初め皆様に感謝致します」
若様が笑った。
「伝えておこう。ロンにもな」
「ケンダル様に?」
私はロンの名に顔をしかめてしまった。
ふっと若様の笑い声がした。この笑い方のときは、多分苦笑だ。
「あいつ、やっぱり自分がしたことは言わなかったのか。こうした方がいいだろうなと言ったのは私だが、実際メイドたちに人払いの時間を伝えていたのはあいつだからな」
三人一緒に動くときにロンが先に玄関に向かうのも、私が歩きやすいように廊下の通行整備をするためだったという。
私は驚いて目を瞬かせた。
あの、素っ気ないロン・ケンダルが?たとえ若様の命令だとしても、それこそついこの前まで私を害虫として氷の目で見ていたのに?
「信じられないという顔だな。まあ、あいつは理解されようとしないからな」
「ええ・・・正直なところ、とても驚きました」
だって、昨日も言うだけいったら用はないみたいな態度だったし、自分が何かしたなんて一言もいわなかったし。これは、ロン・ケンダルは想像以上に若様に忠実、ととればいいのか、それともロン・ケンダルって意外と親切、ととればいいのか。簡単には決着がつきそうにない難題だ。
私はとりあえずこの問題を棚上げすることにした。
「それで、若様・・・もケンダル様も、この廊下の交通規制は、もう終わりにしてくださって大丈夫です」
「そうか?まだお前が顔を合わせたことのないメイドもいると思うぞ」
「ほんの短い時間ですから、もう大丈夫です」
「分かった。では、ひとまず止める」
「はい。本当に御配慮ありがとうございました。上様」
「上様は、ないな」
ないか。
このところ、いろんなことが調子よく回っている。
もう馬車で酔うこともないし、お城の廊下で人とすれ違うことにも慣れてきた。
今日は廊下で会ったメイドさんに、挨拶をすることもできた。
若様とロンのいる執務室で仕事をすることへの違和感も少しずつ減ってきた。この原因の一つはやはり、ロンが警戒を解いたと告げたことだ。
2人の美男子が優雅にナイフを使うところや、若様がさりげなく紳士的に振る舞うのを見ているとやっぱり緊張するし、若様なんかは本当にあんなベタな詐欺にひっかかった人と同一人物なんだろうかと疑いたくなる。でも、すぐにロンはぞんざいな物言いで私の苛立ちを煽り、若様は若様で、そんな疑いを深めるまもなくまたバカ様なことをしてくれるのだ。
この前若様は、なんだか趣味の悪いハンカチーフを持っているなと見ていたら、得意げに言った。
「これはつい先日、市で異国からきたという商人から買ったものだ。持っているだけで運気が上がる特別な品らしい」
また胡散臭いものをと思ったけど、まあ、安ければプラシーボ効果に期待ということで口を出すまいと考え直して、私は聞いてみた。
「ちなみにおいくらでした?」
「ん?一万だ」
どうして常日頃高級品に囲まれて生活しているのに、こんな安物でぼったくられるんだろう。
私は心底呆れた。
「品のわりに高すぎます。千出さずに買えますよ」
「これは、東方の神に使える巫女が織った特別な布なのだ。めったに出回らない品だから高価なのだ」
「そう言って買わされたわけですね」
なんて良いカモ。しかもきんきらの目立つカモだ。
「多分、今日行っても同じ品が何枚も売ってると思いますよ」
詐欺師だけでなく他国からの悪徳商人にとってもこの国はカモが沢山いる格好の狩り場なのかもしれない、と私は思った。
こういう人を決断力のある馬鹿と言うんだろうか。または、怖い物知らずの間抜け。
私が犬の年を聞けば、自分の年を答える。執務室で昼食を食べていれば、間違って人の茶を飲む。
このお城では夕食以外は各自の都合にあわせて食事をとることにしているらしく、出かけていないときの若様は執務室で昼食をとる。私やロンもそれにならって若様と共に執務室で食事をするのだが、ソファのあるテーブルにメイドさんが三人分の食事を広げてくれると、テーブルはちょうど満杯、という感じになる。もう少し狭ければそれを理由に私は自分のデスクで食べますといえるのだけど。
「隊長、それは私のお茶です」
この日も私のお茶を飲もうとした若様を、急いで制する必要があった。彼は食べながらもロンといろいろ話をするので、よく見ないで向かいの私のお茶を奪おうとするのだ。その点私は俯いて豪華な昼食を味わうことに集中しているから、若様の略奪行為を鋭く指摘することができる。
「ああ、そうか。すまない」
若様はまだしっくりくる呼び名が見つからないらしい。この隊長呼びも、後から却下された。
「それは警備隊の長と同じだ」
正直、私は若様と呼ぶのでいい。




