転生者はわかりわかられ
若様と、彼に命じられたライナス様によって緑の一団が駆除されると、私はようやくつま先立ちから解放された。
安堵の息を漏らすと、体中からどっと力が抜けた。
「ライナス」
ああもう、ちょっと落ち着かせて欲しいのに。
若様の厳しい声が聞こえて、こっちはまだ片付いていないんだったと気付かされる。
「どういうことか説明しろ」
「・・・」
ライナス様は黙っている。それはそうだろう、平民相手とはいえ、城で働く人間に虫をけしかけた現場を見られたんだから、説明しようがないよね。それに若様は多分、相手の身分が下なら虐げてもいいという考え方なら、なおさら怒りそうだ。
「お前、まさかヘスターに虫をけしかけたのか」
若様の声が一段と低くなる。こんな声が出るのかという聞いたことのない声だったので、私も一緒にびびってしまう。前世も今も女兄弟しかいない上、父親もそう恐ろしいタイプではなかったから、私は男の人の怒鳴り声というのをあまり聞いたことがない。
直接怒られているライナス様はなおさら怖いよね、と思ってそっと伺えば、やっぱりふっくらとした頬が青ざめて唇が震えていた。
「・・・」
答えられないライナス様に、若様はため息をついた。
「もしそんなことをしたというなら、お前にはがっかりだ」
その瞬間、ライナス様は捨てられた子犬のような顔をした。すごく傷ついて、でも信じられなくて、まだ飼い主が大好きな子犬。これは、ライナス様が私にしたことのせいで言われた言葉なわけで、それは私が悪いわけではない。ないんだけど、それでも自分が関係することだと思うと、なんだかすごく居たたまれない。
「若様!」
金の頭が二つとも振り向いた。
あ、そういえば二人とも若様でしたね。
「ええと・・・マーカス様、少しよろしいでしょうか」
私が言い直すと、若様・・・マーカス様は、厳しい表情のまま応じた。
「なんだ」
まだ若干声が低くて、それが私への怒りではなくてもやっぱり怖かった。
私は、声が震えないように慎重に口を開いた。
「あの・・・私とライナス様がぶつかって、アレを落としたというのは、確かにとても残念な事故でした」
「ヘスター?」
若様の声は、はっきりと何を言っているんだお前はという不信を伝えている。
そうだよね、普通に考えて良家のお坊ちゃんが青虫持って歩かないし、ライナス様もあのとき大笑いしてたしね。でも、敢えて押し通させてもらいたい。
だから私はもう一度声を張り上げた。
「でも、もう片付けていただきましたし、事故ですから。まあ、お屋敷に虫を持ち込むことに関してはお叱りになるにしても、それで終わりになさいませんか」
事故を強調する私の目を、若様はじっと見ていた。
うっかり合った目をそらさないように、根性でキープする。
きれいな青い目が私の真意を見透かそうとしてくるのが、途方もなく気まずい。真顔で居続けるのは、無理だ。それで、私はほんの少し作り笑いを浮かべてみた。
すると、若様はため息をついた。
「分かった。・・・ライナス」
まだ声は低かったけど、少しだけ角が取れた気がして、私は期待を込めて続く言葉を待った。
はい、と緊張した声で答えた弟に若様は、ごいんと音が響くようなげんこつを落とした。
「城内に虫を持ち込んだ無作法をこれで反省しろ」
それから若様はもと来た方向へ去っていった。
結局、何をしに来たのだろうあの人は。もしかして若様のことだから、この騒ぎで当初の目的を忘れて部屋に戻ってしまったのかもしれない。
そんなことを考えながら私がその後ろ姿を見送っていると、おい、と声がかけられた。
振り返ると、青い目に睨み付けられていた。
「なんのつもりだ、カラス女」
私は、一つ呼吸をした。
落ち着こう。もう一勝負しなくちゃいけないようだ。
私には前世も含めて、今まで側に子どもがいた経験がない。だから、ライナス様との関係をどうしたらいいのか分からないし、こういう悪口にはいちいちどきっとして、涙が溢れそうになってしまう。
でも。
さすがに、ライナス様が私に意地悪をしてきたわけは分かった。
ライナス様は若様が大好きなのだ。
大好きなお兄ちゃんがやっと都の騎士学校から帰ってきたのに、どこの馬の骨とも分からない女を側において何か忙しそうにしていて、自分を構ってくれない。私に怒りの矛先が向いたのは、私が庶民だからとか、容姿がどうだとかじゃなくて、お兄ちゃんをとられたくないとか、そういう理由だったんじゃないだろうか。
あのとき、若様にがっかりされて傷付いたライナス様の顔を見たとき、そう思った。
人に落胆されるのって、すごく辛いことだ。そして、相手が好きな人ならなおさらだ。私が思わず口を出してしまったのは、期待に応えられないでがっかりされてきた自分の顔を見ているように思えたから。
「・・・差し出がましいことをして、申し訳ございません」
謝った私に、ライナス様は目を見開いた。そして怒りのためか、顔を真っ赤にした。
「・・・ああそうだ!お前が勝手にしたことだ。誰もそんなこと、頼んでいない!」
「はい」
私が勝手にしたことだ。それは私も分かっている。
がっかりされて傷付いたライナス様を見て、勝手に自分も傷付いたような気分になって、それで口を出したのだから。
でも、私が肯定したことで、ライナス様は怒りのやり場を失ったようだった。
彼は戸惑ったようになんで、と小さく呟くと、そのままきびすを返してどこかへ行ってしまった。
・・・第三試合、終了。
私ははあ、ともう一度息を吐いた。これからさらに黒猫屋に行って会議だなんて、信じられない。信じたくない。
会議では、黒猫屋になんだか疲れているなと指摘されてしまった。頭の回転もいつも以上に遅くて、迷惑をかけてしまったと思う。加えて出かけるのが遅くなったこともあって、城に着いたのはもう夕方だった。
これから急いでまた夕食に出るための支度を整えて、と考えて少し気鬱になっていたら、顔見知りのメイドさんが、今日は奥方様の都合で夕食は各自取ることになったと伝えてくれた。部屋に運んでくれるというので、ありがたくお願いする。
今日の報告をしに執務室へ向かうと、若様は居なくて、代わりにロンの銀髪が見えた。
自分の手元に置いたスタンドだけつけているので、部屋の中は薄暗い。
「ただ今戻りました」
私が言うと、ロンは書類から目を上げずに、頭だけで頷いた。
相変わらず、感じが良くない。でも忙しそうなのも確かだし、さっさと終わらせて立ち去ろうと、私は黙って手を動かした。
若様に報告するつもりだったことは、とりあえず文書を机に置いておくことにして・・・
そんなことを考えていると、おい、と声をかけられた。
「お前、ライナス様をかばったらしいな」
私は、驚いて顔を上げた。ロンがこちらを見ているのが、そこだけスタンドに照らされて見えた。
昼の件を知っていたことにも、それから仕事中にこんな話をしてきたことにも、びっくりした。
「・・・プライドを傷つけてますます怒らせてしまったようですけれど。というか、誰に聞いたのですか」
「マーカスしかいないだろう」
あー、そうなの。でもそれなら。
「若様、分かってらしたのですね」
私が嘘をついたことを。
ロンが呆れたように目をすがめた。
「お前、あいつをなんだと思っているんだ。さすがにマーカスでも、お前の嘘くらい分かる」
何かまた失礼なことを言われた。
「それに、『誰もいない手筈になっている場所を通っていった』お前が、時間になっても来ないと御者から連絡を受けたのだ。何かあったことくらい察している」
どうやら、若様はあのとき偶然通りかかったわけじゃなかったらしい。それにこの言い方では、あの時間帯あの界隈に人通りが無かったのも、若様の手回しだったということになる。私は驚いて口が開いてしまった。
鈍感な人だと思っていたのに。強引な人だと思っていたのに。
「もしかして、ずっとそうだったのですか」
気付いて聞けば、ロンは頷いた。
「そろそろお前に言ってもいいと思ったのでな」
「・・・どういう心境の変化ですか」
ロンは真顔だった。
「俺の心境など関係ない。お前が警戒対象から外れただけだ」
訳が分からない。
「マーカスに取り入ろうという女なら、ライナス様の仕打ちを訴えるのはやつに近づく絶好のチャンスだ。お前はそれをずっとしなかったし、今日も結局ライナスをかばう方を選んだ」
つまり、いまだに私を悪い虫として見ていたわけだ。だからお前のために若様が手回ししているぞ、とは言う気がなかったと。やっぱりと思うけど、それでも腹はたつ。
「それで、一応信用していただけたということですか」
「お前の対人能力を見て、疑うだけ無駄なのはほとんど分かっていたがな」
悪かったね、引きこもりで。
私はため息をついた。何か言うべきなのかな、と思ってロンの方を見れば、やつはもう書類にかがみ込んでいた。
「・・・お先に失礼します」
私は何となく鼻じらんで、部屋を出た。
ロンが部屋を暗くしていたのは、ヘスターが話しやすいようにかもしれません。




