転生者、どうやらもとどおり
水曜、今週も協会のお手伝いに行く。
面談が終わると、迎えの馬車を待った。
今日はナンさんに用があるというので若様が来てくれることになっている。マーカス・タラシ・エセル様と二人きりで馬車というのが困るけど、用事だから、我が儘は言えない。
待っている間、ナンさんと話をした。
「今回の計画、本部が全体の計画として取り上げてくれることになったわ」
得意気に唇の端をあげたナンさんは可愛い。陶器のような頬に珍しく赤みがさしているところなんか、いつも彼女のことを色気がない可愛いげがないとからかっている黒猫屋に是非とも見せたいくらいだ。
「すごい!」
「ヘスターたちのおかげよ。実はね、ガイルの実家の強力な支援もあったのよ、これには」
「ガイルが」
ガイルは、私のところに少し前まで面談に来ていた転生者の少年だ。
「彼、貴方と話してから家族との関係がかなり落ち着いたらしいの。それで彼の両親が、この活動をぜひ支援したいって言ってくれたのよ」
それは本部を納得させるだけの経済的なバックアップだったらしい。予算がなければ思うように動けないのは、私も若様のところで経験済みだから、これがかなり重要な後押しになったんだと分かった。
ただ資金面と上の説得が解決しても、面談の適任がどこの支部でも見つかるかという問題はあるという。
「これが残る難題ね」
ナンさんは少し表情を引き締めて言った。
そうだ、全国展開するなら、予算もいるけど、人材も必要だもんね。あっちもこっちも同じような問題を抱えているんだ。
それでも私は、自分の関わった計画が本決まりになってすごく嬉しかったし、改めてナンさんのことを尊敬した。だって彼女は、何もないところから自分の熱意と計画だけで一つのシステムを作って、それを国全体の計画として採用させたんだ。こんなすごいことって、ない。
ナンさんのパワーがすごい。いろんなものを味方につけて実現を可能にしていく能力がすごい。そんな人と仕事をさせてもらっていることに、背筋がぞくぞくするような興奮を感じた。
「それでは猛犬ナンの新たな猛犬伝説とヘスターの凱旋、ついでに我が黒猫屋の新戦略成功に乾杯!」
「「乾杯!」」
遅れて面談を終えた黒猫屋も一緒にささやかな乾杯を交わす。
「人を犬扱いしないでくれる?」
「いやいや、犬って可愛いじゃん…って痛いんだけど?!」
「しかし店名にクロネコヤ…を選んでおいて筋肉男子配達員を売りにするのは、ちょっと節操なしじゃない?」
ナンさんが黒猫屋のカップを通り越して額にゴツンと杯をぶつけるのを笑ったり、黒猫屋の新戦略が前世の青縞のユニホームのお兄さん的だというのをはやしたりしていると、とうとう若様が来てしまった。
私がコートを着たりなんだりしている間に若様は、この前下りた指紋分析知識活用についての許可申請の話をナンさんとしていた。
そして、馬車に乗り込む段になる。
あれ以来二人きりになるのは初めてだ。若様が本格的に警備隊の稽古の指揮をとり始めて朝からいなかったり、私の勤務時間後間髪入れずにライナス様が迎えに来たりで、気付けばマーカス·タラシ·エセル呼ばわりのまま二日間が過ぎてしまった。
うつむいてついていくと、若様が馬車の手前でくるりと振り返った。
「ヘスター」
私は、うっと詰まった。
若様は、私に手を差し出していた。
実は、馬車に乗るのに手を貸されるのは久々だ。
なぜなら、私は引きこもり時代にはこの習慣を無視していたし、例の服毒以降はあちらから距離をとってくれていたから。
このタイミングで差し出されたということはつまり、これはそれだけの意味をもつ手なんだ。
私がタラシよばわりしたから、若様はずっと拗ねている。昨日今日の仕事は全部ロン経由で渡されたし、今も若様の形のいい唇は不満げに尖り、緑の目が少し不機嫌そうにすがめられ、私の出方をじっと観察している。
これは、仲直りのために差し出された手だ。
そして、お前からとれと差し出された手だ。許可なく触れるなと言ったのは私で、それならお前から動けとばかり、若様はこっちを見ている。
自分にはもったいない、と避ければ、仲直りを拒否したことになる。
ものすごくしゃくだけど、私は、仲違いしていたいわけではない。あれだけ自分から避けようとしていたくせに、自分でもどうかと思うけど、昨日今日と会話もない状態は正直かなり堪えた。
この前みたいにキスをするわけでもないし…大人になれヘスター・グレン。
「…どうも、ありがとうございます」
私は人生二回分の大人げを振り絞って、ため息をかみ殺して小声で告げる。そして、若様の手にそっと指をのせた。剣だこのある固い指に、触れたところからびりりと痺が走る。
これでいいんでしょ、となかば睨むように若様の顔を見て、私は目を見開いた。
ひゅう、と見送りに出ていた黒猫屋が口笛を吹いた。
「甘酸っぱいねぇ♪」
…反則だ。
そんな、輝くような笑顔になるなんて。自分で仕掛けておいて、そんなほっとした顔をするなんて。
私は大急ぎで馬車に飛び乗り、若様の手から離れた。




