転生者、どうようをかくす
珍しくロンも遅かったので、軽く仕事を片付けてからブランチを食べながら会議になった。
あんまり近くに寄るのは心臓の問題上よろしくなかったけど、断ってせっかく機嫌の良さそうな若様と喧嘩になりたくはない。だから、長椅子の隅っこ、若様が視界に入りにくい角度を選んで座って、大人しく食べた。
それでもひしひし感じる強い存在感とよく通る声に、執務室に来る前に心頭滅却しておいて良かった、と密かに思う。料理長に不審がられながら厨房で無理矢理皿洗いをさせてもらったかいあって、何とか顔面も脈拍も正常範囲だ。今のところ。
「昨夜、ブリュール候から連絡が入った。あの盗賊が私たちを襲ってきた理由が分かったぞ」
若様がカボチャのおやきを片手に言った。
警備隊の格好をしていたからじゃなかったのか、と考えながら、私は茄子のおやきを口に運んだ。
「ジョーの仕業だ。あいつ、盗賊にあの毒を売って、残りが馬車にあると嘘をついたんだ」
「万が一を考えて、追っ手の俺たちに盗賊をぶつけたということか」
ロンのおやきは野沢菜っぽい。あとで食べよう。
「鉢合わせするところまでは計算していないだろうが、うまいこと言って馬車を荒らさせれば混乱するからな」
そこで出会っちゃうのは、若様の犯罪運のなさというのか悪運の強さというのか。結果的には盗賊を捕らえたことでブリューム領に借りを残さずに済んだし、馬車を荒らされる前だったから指紋も取れた。盗賊と一緒にいたクレアさんも保護できたんだから、運は強いのかもしれない。
森をさ迷っていたクレアさんは盗賊が馬車を探す途中で偶然捕まったところだったんだ。
「クレアに関しては、本当にあの家から連れ出してやろうという気持ちも半分あったのかもしれないな」
ロンがため息をついた。
クレアさんは今、火車で三駅の町にある病院に入院している。
依存症状の長期的な治療にはお城の医務室では難しくて、信用のおける病院へ依頼したんだ。この街の病院だと知った顔に会って良くない噂が広まりかねない、というのが表向きの理由、もう一つは、クレアが今の自分を家族に知られることを本気で恐れたからだ。ジョーじゃなくても、クレアの家族との関係は心配になるところだった。
私はちょうど一つ目のおやきを食べ終えて、口を挟んだ。
「昨日も、まだ家族には会えないと言われました」
家族は、娘が犯罪に巻き込まれていたと知ってさすがに心配し出して、自分たちの関心の薄さを反省してもいるようだけど。
「まあ、家族だけが人の繋がりではない」
ロンがやけに熱のこもった声で言った。
「そうですね。私も、そう思います」
私を助けてくれたのも、家族じゃなくて、奥方様やマリエさんや、若様たちだった。家族が支えになればそれはいいけど、状況や内容的に無理なときは、他の人間が支えたっていいはずだ。
「ヘスターは今日、見舞に行くのか?」
若様に話しかけられるだけでどきっとするの、いい加減なんとかならないか。密かに深呼吸しつつ、答える。
「はい。散歩の付き添いくらいしか出来ませんが、昨日約束しましたから」
毒を身体から抜くため運動も必要だというリリの指示で、クレアさんは、投薬や食事の管理と平行して軽い散歩も始めている。今回のことは、転生知識の悪用による犯罪だから、極秘裏に処理したい協会側の意向もあって、クレアさん達被害者の今後のケアは転生者協会が責任をもってバックアップするという。
でも、私はクレアさんに、助けると言った。エセル領に連れ帰ったら助けたことになる訳じゃない。だから私も、立ち直るまで寄り添うつもりだ。
そう改めて決意を固めていると、おい、と若様に声を掛けられた。うっかり直視した顔は、怪訝な表情だけど美…止めよう止めよう止めよう。
「待て。昨日誰もお前を送った人間がいないのに約束したとはどういうわけだ?」
若様はどうやら私の交通手段が気になって、昨日の警備隊の動静を思い起こして居たようだ。
「それは仕事後に一人で行ったからです」
疑問を解消してあげた私に、彼は声色を変えた。
「は?!一人でか!?」
「そうなのです。聞いてください、私、おかげさまで火車に乗れたのです」
火車は、例のたい焼き以来乗っていなかった。
でも、仕事のあとにお城の馬車を出してもらうわけにはいかないし、三駅分歩くのでは夜になってしまう。自力で行くには乗るしかない、と思って使用人用の通用口から出てとにかく駅まで行ってみた。そしたら、ちゃんと乗れたんだ。画期的な回復だ。
「信じられん!お前は本当に!」
噴火寸前の若様が怒鳴った。
私は驚いた。だって機嫌も良かったはずだ。何か不味かったのか。
「え。私、何か致しましたか…?」
「何か致しましたかじゃない!」
怒った若様の顔なんて、ますます見れない。こういうときの調整役のロンに目で訴えれば、ため息をつかれた。
「いいか、ヘスター。お前が狙われたことは公にしていないが、貴族社会ではみな知っている。つまり、エセル家に関わって危険な目にあわされたお前が無防備な状態で野放しになっていることは、エセル家の恥になる」
「の、野放し…」
「おまけにお前はついこの前も、城の門前で大騒ぎしたばかりだ。領民も皆、お前が治安ナイトの片腕で、敵に狙われうる場所だと認識した。それが護衛もなしにふらふらして何かあれば、マーカス・エセルは何をしていたと思うだろう」
頭から血が引いていく音がする。
ショックだった。
あのことはもう終わったつもりでいたから、自分がそんな状況になっているなんて、思ってもみなかった。私の個人的な行動で若様や領主様に迷惑をかけるなんて。
「すみませんでした…深く考えずに」
私は心底反省して頭を下げた。でも私の視線を受けた若様は、髪をかきみだして違うと切り捨てた。
「そんなことはどうでもいい」
若様は吐き捨てた。どうでもいいって…そんなに怒っているくせに。
「どうとでもする。だが、お前の安全は何か起きてからじゃどうにもならない」
私は、言葉を失った。
若様の目に強い光が宿っている。
きれいで、若木のような生命力に溢れた緑の目に。
「言ったはずだ。お前が心配で、」
ストップ。
「大事なんだ」
私は急いで目を瞑った。それから、握りしめた自分の両手を見つめて息を吐いた。
「…その危機意識を…」
自分の買い物に発揮すれば良いのに。こんなところで使わないで、露店商からいらない置物を買わされないように使えばいいんだ。土偶や女神の祈りつきハンカチや健康にいい飴や、それからなんだっけ、ほら、怪しい石とか。
「何?」
「いえ何も」
「分かっているのか、ヘスター?」
だから、そんな優しい声をここで無駄遣いしないでよ。
覗き込むように上体を折り曲げた若様から距離を取るべく、背筋を正すふりで座り直す。そうしてから頭を下げた。
「ご心配お掛け致しまして、誠に申し訳ございません。今後は何事も周囲に与える影響というものを深く考えた上で行動したいと思います。単独での行動につきましては一層の注意を払い、ご相談申し上げますので、今回はご容赦下さいませ」
すらすら口上のようにまくし立てると、二人ともびっくりしたように無言になった。
今のうちにと私は話題を振る。
「そういえば指紋について、進展はありましたか」
違う話をふると、思い切り不審な顔をしつつも若様が答えてくれた。
「…しーもんは、」
「し、も、んです」
「し·もんは、犯罪に悪用される可能性が低いということで、おそらく許可がおりるだろうとナン女史から言われた。ジョーを捕まえるためと密かに伝えてもらってあるから、協会本部も最短で決済を出すはずだ」
「それは朗報ですね」
「ああ。大体、5日ほどでと言っていたから、早ければ明日には決済がおりるな」
「…それに合わせて手配書や各地への連絡が出来るよう、すでに準備済みだ」
それからロンと若様の間で、偉い相手への連絡の内容について細かい話が始まったので、私は昼食の片付けに行くことにした。
カートを押していくと、珍しいことにロンが扉を抑えてくれた。
昼食の片付けついでにまた皿洗いをさせてもらう。
でも、それもすぐに終わってしまって、私は、とぼとぼ執務室に戻った。
まだ部屋に入りたくないなあと思っていたら、思わず牛歩戦術をとっていた。前世は国会議員がやっているこれを、所詮ほんの少しの時間稼ぎにしかならないのに、何の意味があるんだろうと懐疑的に見ていたのに、まさか生まれ変わって自分がやることになるとは。
じりじり床とにらめっこしていると、廊下に音が漏れていることに気付いた。よく見れば、執務室の扉に本の少し隙間が空いていた。ロンが急いで閉め損ねたんだろうか。
閉めないと、と思いつつ、入る気になれずにまだのろのろ進む私の耳に、中の会話が聞こえてきた。
「そう言えば、お前、さっきはよく流したな」
「何のことだ」
「ヘスター・グレン」
どきっとする。
居ないところで自分の名前を呼ばれるのは、心臓に悪い。聞きたくないのに、聞かずにもいられない気分で、私は扉の側に立ち止まった。
「さっき、明らかに無理矢理話を変えただろう」
若様がため息をつくのが分かった。
「…仕方ない。自業自得だからな」
「なんだそれは」
「ヘスターから距離をとられ出したのは、盗賊の件のあとからだ。つまりは、あのとき私が怒りのままに腕に触れたせいだということだろう」
私は仰天した。
違う。
若様は、大間違いをしている。
でも廊下で首をふる私の否定が伝わるはずもなく、若様は話し続ける。
「昨日も、話しかけるたびにびくびくされた。悲しいが、仕方ない。あれで恐怖心が再燃して私と距離をとりたがっているなら、私が出来ることは、その距離を守ってやることしかないからな」
「ふうん」
ロンが自分で振った話題だというのに興味なさそうに呟く。
私は気配にさとい二人に気づかれないように、そうっとその場を離れた。
若様は、間違っている。
距離をとろうとしているのも、さっき心配だと言われて事務的に突き放したのも事実だけど、理由が違う。
私は、自分の気持ちを抑えるため、ことさらに距離を取ろうとしていただけだ。怖いだなんて、若様に関してはもう滅多に感じない。
それなのに、あの人ときたら、自分のせいだと勘違いしたまま律儀に私の作った距離を保っている。
バカだ、と言いたいけど、それをいったら私もバカだ。
会話が途切れるのは、また粗悪品をつかまされたとかそういう話しづらい類いの話だからだと思って、若様に避けているのを気付かれているのも気を遣われているのも、知らなかった。
知ってしまった以上、勘違いしていてもらえば好都合だとは、思えない。
若様が私を気遣って自分を責めていると分かって、私はどうすればいいのか。
行き場がなく一階まで下りて、裏庭の戸口を出る。
そこでしゃがみこんで途方にくれていると、ぬっと頭上に影がさした。
「おい、聞こえただろう」
「っ!…ロンっ様…」
聞こえただろうって、まさか。
涼しい顔のまま、つまらなそうにロンは言った。
「だから、さっき廊下に居ただろうが。お前がマーカスを避ける心理に興味はないが、仕事中に空気が悪いのは迷惑だ」
特にマーカスは落ち込むと仕事の効率が下がる質だからな、と付け加えたのはいつもの現実的なロンらしい一言だ。でも、こんなお節介、らしくないだろうに。
いや、案外この冷たげなロン·ケンダルという人は、身近な人間の機微には敏感かもしれない。ただ、優しい言葉としては示さないだけで。今回のおせっかいも、私にとっては全くもって優しくない。
「でも、長期的に見ると、この方が、色々とですね」
もごもご主張した私に彼は面倒臭そうに眉根を寄せた。
「だから、お前の内情に興味はない。ただ、先程の話の逸らし方と、俺が扉を開けたときの距離感を見るに、マーカスを避ける理由は恐怖心ではないだろう」
…!
かっと顔が熱くなった。
嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ、と繰り返す。明言されてはいないけど、もしかしなくても気付かれた、だなんてそんな。
酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせて私は喘いだ。吸い込んだ冷たい空気が肺を満たしていくのに、身体は反比例するように熱い。
ロンは、私の顔色なんて気にもならないというように、淡々と言う。
「それなら、早急に改善しろ。『周囲に与える影響というものを深く考えて』行動すると言ったな?」
この男、この場面で私がさっき口上に使った言葉をまるまる引用した。馬鹿にするようなそれに、頭に集まった血が怒りでさらに燃え上がる。
「なんだ」
睨みあげた私を、何処までも温度のない目が無表情に見返す。
それで、気付いた。ロンにとっては確かに他人事だと。ただ仕事上邪魔になる問題を排除しているだけだから、私がいくら熱くなっても所詮一人相撲だ。
「…分かりましたよ。避けないように、努力すれば良いんでしょう…?!」
私の顔は多分真っ赤、睨んだところでまぬけでしかないけど、ロンめはげて銀髪河童になれ貴様と、念を込めて再度ぎっと睨む。
でも奴は、髪の毛どころか眉毛一本動かさずにこう返してきた。
「努力すれば良いというのは学生までだな。大人なんだ、結果を示せ」
河童河童河童銀河童!




