転生者、どぎもをぬかれる
「治安ナイトの帰還だぞ!」
「きゃー!こっち向いてー‼」
「お帰りなさい若様ぁ」
指紋の採取や後始末等諸々済ませ、2日ぶりに戻った城下は、お祭り騒ぎだった。
まさに凱旋。
馬上からにっこり笑顔を振り撒く若様に、さらに歓声が上がる。
いつもなら、うわあとか、これだからタラシはとか言いたくなるところだけど、今日は大人しく前を向いておく。なぜならこれは、領主様の作戦なんだそうだから。
出発のときに私がダドリー派と派手に言い合って注目を集めてしまったことは、すぐに領主様の耳にも入った。それで、揉み消せないならこれを気に一気に若様への支持を盛り上げて、警備隊内の不和を不安視する声よりマーカス·エセルのもとに一本化すべきという声を大きくしてしまえということになったらしい。
「応援ありがとう!私たちは無事に悪者を廃し、盗賊を退治することに成功した」
おお、と上がる声には、領主様の準備したサクラも混ざっているんだろうか。
本当は囚われのクレアを助け出したことが一番の目的だったけど、ここで注目されると彼女が辛くなるからと、演説の焦点をずらしたのはロンの案だ。
「犯人は、無垢な若者に薬と称して毒物を売り付けた。私たちはこの悪を許さない!そして、なにも知らずに命の危険にさらされた被害者を、決して見捨てない!このエセル領は、悪になど屈しない!私がこの街を、皆を、悪から、守ってみせる!」
詳しい説明にはなってないのに、若様が拳を握って振り絞った声には、説得力があった。
顔がいいから。声も、いいから。でも、何よりこの人の場合は、本心から言っているからなんだって、今なら分かる。
根っからの治安ナイト様なんだよなあ、と私は馬車の中からそれを見つめた。
騒ぎの余波は、他にも訪れた。
黒猫屋から騒動を聞いたナンさんなんてお城で待ちかまえていたし、リリからは空話が来て、あのしびれ薬について、そんな使い方は許していないというきついお叱りを受けた。夕方には定休日でもないのにモナ姉とミラ姉まで揃ってお城に押しかけてきた。
そんな中、ギルも尋ねてきた。
私はちょうど姉たちを門まで送ったところだった。というか、ギルは姉たちが来たことを知っていて待っていたんだろう。
「どうしたの?」
「話がある」
ギルは姉たちがこちらを振り返っているのを気にするようにちらりと見た。それから、構わないと決めたのか、今度はまっすぐに私を見た。
「結婚前提に、付き合わないか」
は。
私は、固まった。
だって、信じられない単語が聞こえた気がしたから。
ついでに門番のおじさんだろうか、背後でがらんと何かを倒したような音もした。
言葉の出ない私に、ギルはさらにこう言った。
「俺は、お前が転生者じゃなくてもいい。知識も前世もいらない。お前がいいだけだ」
「え…?ギル?」
びっくりした。
今度こそ、聞き間違いじゃなさそうだと分かって、かあっと血が上ってきた。私、告白されているらしい。しかも、結婚したいらしい。それを、ギルが言っていて。ここは、他にも人がいるお城の正門前で。
「おい、逃げるなよ」
その声に縫い止められて、立ち止まる。
無意識にじりじり後ずさっていたんだ。
「突然だと思うかもしれないけど、俺は本気だ。ずっと、考えてた。それで、この前、お前が城の前で第一隊とやりあってたって聞いて、このままこの仕事を続けさせたくないって思った」
その言葉が、ほんの少し私の頭を冷やした。
ギルも、あの件を聞いて心配しているんだ。だから、突然こんなことを言いだしたんだ。
私は、ようやく声を出せるようになった。
「…心配しなくても私、大丈夫だよ」
でも、ギルは首を横に振る。
「お前がそうでも、俺が大丈夫じゃないんだ。お前が八百屋はきついなら、しなくていいから。ただ、俺の側で安全にしててくれればいいから」
「ギル」
真剣な目に見つめられる。
「結婚したい。ヘスター。お前のこと、ずっと大事にする」
心臓が止まるかと思った。
こんなことを言われたのは、二つの人生通して初めてで、頭にたらいががあんと降ってきたような衝撃だった。
だけど、衝撃のあとに頭に浮かんだのはついさっきまで一緒にいたクレアの顔だった。
「…ごめんなさい。ギルのこと、家族と同じくらい大事だけど、ごめん、今は結婚とか、考えられない」
ギルは、息を吐き出した。ずきりと胸が痛んだ。
「きっとこんないい話は、この先二度とないと思う。でも…その、なんというか私、今が、大切なの」
前は転生者だってことが嫌で仕方なかった。仕事も嫌々始めたし、その後も期間限定で終わらないとと思っていた。ギルは、幼なじみだから、私が転生者であることで苦しんできたのも、早く家族に迷惑かけずにすむ道を探さないとと悩んでいたのも知っている。だから、転生者の部分はいらないから仕事を辞めてお嫁にこいと言ってくれたんだ。
でも、私はこの半年で少し変わった。今は仕事がとても大事だし、あれだけ嫌でたまらなかった転生者としての自分も、今は自分の一部として認めている。
「だから…転生者として出会った人たちや今の仕事を全部捨てて、ギルの奥さんとしてだけ生きることを、想像できない」
少なくとも、今は。
言い終えて私は、俯くことしかできなかった。心配してくれる幼なじみに、こんな答えしか返せないことが申し訳なかった。
「そうか」
ギルがため息をついた。
「お前、変わったんだな」
「うん…ごめん」
「いや。お前にとっちゃ、いい変化だろ」
「うん…」
顔上げろよ、と言われて、恐る恐るギルを見ると、ギルは思いの外静かな目で私を見下ろしていた。
「まあ、気にすんな。ふられんの、初めてだから今ちょっとうまいこと言えないけど」
「もてるもんね」
学生のころ、硬派なギルにはぼっちだった私でも分かるほどファンがいた。そう思い出して言ったら、睨まれた。
「ちげーよ。告るのが初めてだからだ」
あ、そういうことか。
「重ね重ね…ごめんなさい」
しどろもどろに謝ると、またため息をつかせてしまった。
「あんま謝るな。別にまだ諦めるって決めてねえし」
え。
固まった私を睨むように見ながらギルは言った。
「もう一度今のお前を見て、それでまた告るかは俺の自由だろ。また断るかはお前の自由だけど、どうせ今まで意識すらしてなかったんだろ。なら、次はそういう目で俺を見た上で答えてほしい」
私は、うなずいた。うなずくので、本当に精一杯だったんだ。
このときになってようやく、結婚は人助けじゃなくて、ギルには私が好きとか女の子だとかそういう気持ちもあるんだって気付いた。そうなったらもう、どうしたってギルの顔が見られなくて、私はとにかく挨拶だけしてお城へ逃げ込んだ。
私もいつか、結婚するのか。今まで、とにかく独り立ちしよう、というところまでしか考えていなかった。でも、考えてみれば引きこもりも卒業したし、新たに出てきたトラウマともなんとか折り合いがついてきた。17才と言ったら成人して一人前という年で、この辺は都市部だから20で行き遅れとはいわれないけど、もう結婚している同級生もいる。
結婚か。
どんな人と。やっぱり、優しい人がいい。それから、今言うなら、仕事をさせてくれる人。顔は、好みを言うなら厳つくない方がいい。
いやいや、そんな高望みが出来る分際か、と自分に突っ込む。たった今だって、高望みしてもったいない話を断ってしまった。
ギルは、本当にいいやつだ。ぶっきらぼうだけど意外と面倒見が良いから、皆に慕われている。仕事も真面目にやるし、お酒や賭け事で失敗した話も聞かない。引きこもり中も、普通に話しかけてくれた。というか、あの陰鬱な状況を家族の次によく知っているのに、どうして好きだなんて言ってくれたんだろう。そんな奇特な人間、他にいないんじゃないか。
本当に良かったのか、二度とない機会だったんじゃないのか、ともう一人の自分が騒ぎ出す。
ふらふら歩いていた私は、前から来た人にぶつかりそうになった。
衝突しないで済んだのは、相手が素早く避けてくれたからだ。
「あ、申し訳ありません」
若様だ。
そういえば、警備隊の詰め所へねぎらいに行くと言っていたんだった。
「どうした?顔が赤いぞ。早く休めと言っただろう」
自分の方が疲れているだろうに、部下の顔色まで気にしてくれるこの人は、やっぱり優しい。
「家族や知人が来ていたので」
「ああ、姉達が来たと言っていたな。他にも誰か来たのか?」
「ええ、…」
ギルが、と言いかけて、言えずに俯いてしまった。
「おい、おかしいぞ。何かあったのか」
「その、特には…」
特にも何も人生最大級に重要な出来事があったけど、さすがに言えない。プロポーズされていたなんて。
でも、心配のスイッチが入ったらしい若様は、引く気がない。言えというけど言えないし、玄関ホールの隅で押し問答になる。
「そこまで隠すほどのことがあったのか!?」
まずい。そろそろ気の短い若様の別のスイッチが入りそうで私はあせった。
そこへ、門の方から誰かが若様の側に寄ってきた。
「若様ちょっと」
その人は何事か耳打ちしてまたすっと去っていく。
途端に若様の目が般若のようにつり上がった。
「…あの男に、求婚されたのか」
声が、低い。
そうか、あんな場所だったから、いろんな人に目撃されていたんだ。それも当たり前のように若様に報告する身内たちに。
恥ずかしすぎでしょ。ああ、あいつ大した顔もしてない癖に勘違いして優良物件振っちゃったよ、とかそこまで自分の力に自信でももってんのか、とか思われてるんだろうな。それよりギルは、そういう視線も物ともせずに言ってくれたんだ。それなのに私は断っちゃって、どんなにギルを傷つけたんだろう。
私は今さら気付いてしまった事実に、目眩がしてきた。
「断ったんだな?」
私の反応がないことに苛立ちを増した超低音ボイスに、ぎょっとして飛び上がる。
「あ、え、はい。断りました、はい」
若様に目を据えたまま、かくかくと首振り人形みたいに頷く。
すると、若様は、ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らした。
面白くなさそうに。
その顔を見て、少しほっとする。
もったいない、嫁に行けば良かったのにと言われなくて安心した。仕事はもうお前がいなくてもやれるからさっさと結婚するべきだなんて言われたら、きっと立ち直れなかった。
姉たちはもしかしたら残念がって言うかもしれないけど、この人だけには、言われたくなかった。
…
「どうした。行くぞ」
はっとした。
自覚するなヘスター。
「は、はい!今…」
駄目だ、ヘスター。
でも自覚って言葉が出る時点で、もう手遅れじゃないか。
それでも、駄目だ。
駄目だ、私。
駄目な私。
わかっているはずだ。すむ世界が違う人だ。誰もが憧れるスターだ。あんなきらきらした人だ。
苦しいだけだって、わかっているのに。




