転生者、もろもろいそぐ
関所の人間は、その馬車の2人連れを夫婦だと思ったらしい。奥さんの具合が悪いというので急いで通したと証言した。
空話を切った若様は苦虫をかみつぶしたような顔だった。
「当初の通達と馬車の色だけでなく人数も違ったから、無警戒で通したんだ」
「馬鹿が!色は変わる可能性もあると言ってあったはずだ。ダドリーもダドリーだ、最初の手配書をどう通達したんだ」
ロンが吐き捨てるように毒づいた。最初から自分たちが全て主導できていればというもどかしさが見える。私も同感だった。思わず唇を噛んでしまう。
切替えが早かったのはやっぱり若様だった。
「そう言うな。関所の人間も皆、こういう事態に慣れていないんだ。覚えていただけでも幸運だ」
珍しく若様にたしなめられたロンが、はあと息を吐いた。
「抜けた先が不幸中の幸いか」
馬車が通ったのは、ブリュール領への関所だった。いくつかあるお隣の中で、最も長く境界を接しているブリュール領は、エセル領との親交が深く領主様も理解のある方だ。ほんの少し前にも私たちは、領主様のパーティに出席したばかりだ。
若様は彼のもとへすぐに連絡を入れ、捜査の許可を得た。
「とにかく、今すぐ関所まで追う。ロン、第二隊から腕のたつのを10人集めろ」
「もう連絡した。表で合流できる」
「分かった。後のことは移動しながらだ」
2人はすでに話ながら身支度を調えて、腰には剣を提げている。
私も出遅れるわけにはいかない。慌ててその背中に声をかけた。
「私も連れて行って下さい!」
若様は立ち止まらずに顔だけ振り返った。
「何があるか分からないし、同行は男ばかりだ。お前は残れ」
「何があるか分からないからこそ、その場で見て取れることがあるかもしれませんから。それに私もう、警備隊の詰所にも行けましたし大丈夫です」
ここで行かずにいて万一クレアを救えなかったら、私はあのとき行っていればもしかしたらと一生後悔する。
階段を下りる若様を必死で追いかける。
「長旅になるし、宿の保証もないんだ」
「構いません」
「馬に乗れないだろう」
ああ、なんで足の長さがこんなに違うんだ。小走りでついていくのも、限界。でも諦められない。
思い切れ。
ぐいっと力を込めた。
「では火車と徒歩でついて行きますから許可だけ下さい」
若様が、立ち止まった。
不敬にも腕を掴んで引き留めた私の、指をじっと見る。
私は、手が震えないように、一層強く袖を握った。
「お願いです」
若様の沈黙は一瞬だった。
私の必死さを見て取ったのか強情さに折れることを選んだのか、若様は空いた手で髪をかき乱してロンと視線を交わした。
少し先で立ち止まっていたロンが、頷いて動いた。
「後発の馬車に乗せるよう伝えておく」
若様がその背中に呼びかける。
「シールズがいい。後発はあいつに任せろ」
それは馬車に乗せてくれるってこと?ついていっていいってこと?
「5分で出発だ」
若様が言った。私に、言った。
「はい!」
返事をしつつ、再び猛スピードで歩き出した若様を追って正面玄関を出る。
「もともと荷物用の馬車だからな。狭くても我慢しろよ」
「はい!」
城の前の石畳に、ロンを中心にずらりと警備隊の人が集まっていた。すでに武器も携帯して、それぞれ馬を引いている。一人が若様の方へ立派な芦毛の馬を引いてくる。
「帰りは被害者を乗せることになるぞ」
見つけるのが当然なんだという顔でそう言って、若様は差し出された手綱を手に取ると、颯爽と馬にまたがった。
「じゃあな。気をつけて追ってこい」
馬上から笑ってそう言うと、すぐに馬の腹を蹴る。
若様の芦毛とロンの黒馬が、瞬く間に小さく遠くなった。
見送っていると、横から声をかけられた。
「ヘスター嬢」
ぱっと振り向くと、赤茶の髪をした優しげな人が立っていた。
「俺は警備第二隊のシールズといいます」
見れば、彼も警備隊の制服を着ている。軍人ぽくない体格と顔つきのせいで、ぱっと見では気付かなかった。私は急いで頭を下げた。
「ヘスター・グレンです。よろしくお願いします」
「さあ、我々も参りましょう」
そっとかけられた声に、私は頷いて馬車に乗り込んだ。
馬車は幌のかかったごく小さなもので、居住性は皆無だけど、これを二頭立てで引くならかなりスピードを出せそうだった。
これなら、そこまで遅れることなく追いつけるかもしれないと、私は思った。
ところが、動き出したと思うと、馬車はすぐに止まってしまった。
「おどき下さい」
シールズさんの固い声がして、荷台の幌の隙間からのぞくと、何人もの脚が見えた。
誰だろう、と耳をすませると、ねちっこいしゃべり方をする男の声が聞こえてきた。
「どういう了見で警備隊のお前がついていくんだ」
「お前の上司は誰だ。ダドリー様だろう」
「いつの間に、第2隊はマーカス・エセルの私物になった」
ああ、もしかして、これがこの前聞いたダドリー派なんだろうか。若様本人には言えないからって、こうしてこっそり第2隊の脚をひっぱって邪魔をしているのか。
「伯が謹慎中の今、緊急時にマーカス様に従うのは当然のことです」
シールズさんのもっともな言葉にも、彼らは動こうとしない。
こうしている間にも、ジョーとクレアはどんどん遠ざかっているのに。なんとかしないと。
私は、わざと音をたてて馬車から降りた。
「おや、これはこれは、高名な『ヘスター嬢』ではないですか」
すぐに声がかかるなら話が早い、望み通りだ。怯えるな。背筋を伸ばせ。顔を上げろ。優雅な振る舞いは、相手を威圧する武器にもなる。
「こんなところでどうなさいましたかぁ?」
慌てて口を開く必要はない。相手の言葉をよく聞き、表情をよく見ろ。奥方様たちにたたき込まれた言葉を思い出して、私はなんとかまっすぐに立つことができた。
「お初にお目にかかります、治安対策補佐官のヘスター・グレンと申します。…あなた方はどちら様でしょうか」
役職で名乗った私に名乗り返さないのなら、その相手は身分以前の無礼者ということだ。決して卑屈になってへりくだることはない、とおっしゃっていたはず。
「私たちは、職務で動いています。そこをおどき下さい」
努めて淡々と、事実だけを伝える。無礼者達は、にやにやと笑っておどき下さい、と口真似してからかってきた。
「職務ねえ。若様のご機嫌をとって人の仕事に首を突っ込むことを、職務というんですかねえ?」
「転生者だなんだっていっても、実体は若い娘だもんなあ。どうせあの条例だって本当は別の奴が考えたんだろ。一体どうやって取り入ったんだか」
機嫌なんて、損ねたことはあっても取ったことなんてないし、この貧相な身でどうやって取り入るっていうんだ。
呆れかえって答えあぐねていると、シールズさんが私の前に立った。
「あまりに失礼ではありませんか。我々第2隊へ不満があるなら、正式に隊へ話して下さい。ヘスター嬢は関係ありません」
「あるだろう。そもそもこのお嬢さんがしゃしゃり出てこなければ、ダドリー伯が謹慎なんてすることもなかったんだ」
逆恨みだ。でも、彼等がそれを信じている以上、ここで逆恨みだと叫んでも意味はない。
私は、冷静に言葉を選んだ。
「…そのお話しは、必要ならば戻ってから伺います。急いでいるのです。今は行かせてください」
「聞いたか?まるで俺達が邪魔でもしているような言い方だぞ」
「俺たちはここが気に入っただけですがぁ?」
下品に笑って言った男に、目の前が真っ赤になった。
こんな馬鹿げた、子どものような言い分で邪魔をされるのか。
これが、領民の命を守る警備隊のやることか。
怒りが、わずかに残っていた恐れも忘れさせた。
こんなやつらは、怖くない。尽くした礼儀も果たした説明も、自分の属する組織の正義さえも無視するような相手の、何が私を損ねる。
こんなやつらに、邪魔はさせない。
気付くと私はぐっと前に出て、彼らを睨み付けていた。
「一人の、女の子の命が、かかっているんです!私たちは、領民の救出にいくんです!」
至近距離で見据えて言い放った。
「邪魔です。どいて下さい。退かないなら、どかすまでです」
「なんだと…?」
殴るなら殴れ、そうしたらそれを盾に門番を呼んでもいい。これで動かないなら、力づくで押しのけてやる。言葉が通じない相手にこれ以上構ってられない。
手を上げかけたのは、私もあっちも同時だったかもしれない。私は突き飛ばそうと決めて力をためて、目の前の相手が大きな手を振り上げるのを見た。
でもその直前、のんきな声が割って入った。
「あーあー。派手にやってるなあ」
この声は。
「誰だ、お前は。引っ込んでろっ」
目の前の一人が叫ぶ。私は、振り返らずにそいつを見据えた目の端で、声の主を見つけた。黒髪の下のやんちゃげな顔にやれやれと言いたそうな苦笑をのせて、歩いてくる。
「誰って、俺なら黒猫屋のイグナスって者だけど。この子に用があって来たんだよ」
そう言うと、黒猫屋は私に近づいてきて、紙包みを差しだした。
「…何?これ」
「リリ・マーシャルからお前に届け物だよ。使えるかもしれないから届けろって、俺はただ働きだぜ」
肩をすくめた黒猫屋はいつも通りで、身体に籠っていた力が抜けてしまう。
でも、彼等はそうではなかったようだ。
「用が済んだならさっさと行け!」
いらいらと怒鳴りつけた男達をちらりと見て、黒猫屋は呆れたようにため息をついた。
「俺が離れて、それでそっからどうする気。あんたら、何にも見えてないんだな。周り、見ろよ」
見回せば、私たちの周りにはずらりと人垣が出来ていた。
私は驚いた。確かにお城の正門前の目立つ場所だけど、いつの間にかこんなにたくさんの人の注目を集めていたんだ。
どこかへ向かう途中の人、仕事途中に店から出てきたようなエプロン姿。学校帰りの子ども。不安げな顔、怒ったように眉を寄せる顔、睨み付けるような目。
大勢の人に見られていると意識したとたん、情けない私の足は条件反射のように震えだした。
黒猫屋が、淡々と続ける。
「領民救いに行くって言ってるヘスター・グレンと、その邪魔しているあんたらと、皆どっちに味方してるか分かんない?」
彼の言葉が呼び水になったように、それまでしんと静まりかえっていた人たちが口を開き出す。
「治安ナイト様の邪魔してるって時点で許せない」
「あんな娘っこ相手に大の男が三人で馬鹿げた意地悪して、恥ずかしくないのか」
「領民より自分たちの立場が大事なんかよ」
「あいつら、ほんとに警備隊かよ」
聞こえてきた言葉に、怯みかけた心がさっと冷静さを取り戻した。
周りの目が敵じゃなかったとかそういう問題じゃないし、震えている場合でもないと気付いたからだ。これは駄目だ。これ以上いくと、この三人だけじゃなくて隊全体への不信感につながりかねない。それは、エセル領にとって良くないことだ。
私はさっと目の前の三人に目を戻した。
「話は後日正式にお願いします。どいてくれますよね」
もごもごと言うばかりで動かない彼等に舌打ちしたい気持ちを抑えて、黒猫屋に向き直る。
「黒猫屋、いろいろありがと。急いでるんだけど、この後任せていい?」
「仕方ないか。妹分の頼みだし、乗りかかった船だしな」
言うが早いか男達の肩を抱いてなんだかんだ宥めつつ道の傍へ寄せてくれる。それに合わせるように、人垣も割れた。
城からまっすぐに伸びる坂道の先までが、一直線に開けて見えた。
私は馬車に飛び乗った。
「シールズさん、出して下さい」
後のことは、黒猫屋を信じよう。彼ならうまいこと観衆を宥めてはけさせてくれるはず。それより後の警備隊全体のことは、…ロン様々に任せよう。
「頑張れよー、嬢ちゃん」
「そっちの兄ちゃんもしっかりな!」
「ちゃんと治安ナイト様のお役にたちなさいよ!」
かけられる声に、何て言ったらいいのか分からなくて、私は荷台の上から大きく頷き返した。
とにかく今は、前へ。
ようやく走り出した馬車の中で、私は両手を合わせた。




