転生者も、ちはあらそえない
私はさっそくリリに連絡をとった。
空話に出たお母さんに転生者協会のヘスターと名乗って、リリに代わってもらう。
短いやりとりのあと、リリは自分の家にもってきて欲しいと私に告げた。
「道具も必要だし、私は子どもだから」
もうすぐ夜になろうかという時間だ。
窓の外に広がる空が橙から紫へ移ろっていくのを目の端に捉えながら、私はすぐに了承した。
それから、ごねる若様を目立ちすぎるからと残して、ロンと2人で馬車に乗った。
初めて見るリリの家は、商店外の外れにこぢんまりと建っていた。うちと同じように店舗の二階が住居になった、この辺りでは典型的な作りだ。
すでに店の明かりは落とされていて、薬屋マーシャル、という控えめな看板の字は持ってきたランプでようやく確認できるくらいだった。ロンは、その隣のペンキがあせた焦げ茶のドアを叩いた。
先に連絡をしていたからだろう、すぐに階段を下りる音がして、扉が開かれた。
「リリ・マーシャルさんに、我々の捜査に協力していただきたいのです」
「はい、それは先程伺いました。でも、一体娘が何を…」
ロンの説明に戸惑いを隠せないマーシャル夫人と、そんな母をそっと見つめるリリ。
「現在捜査中の犯罪に使われた毒の分析です」
「毒、ですか」
夫人は斜め後ろに佇んでいた娘をちらりと見下ろした。自分の腰程までしかない、小さな娘を。
「…私には、エルドラの薬師の記憶があるの」
白い顔の中の小さな口が、淡々と告げる。
母親は目を見開いて一瞬息を飲んだ。
「そう、そうなの…」
親子の間に微妙な沈黙が生まれかけたとき、ロンが役人めかした声を挙げた。
「急を要しますので、早速かかっていただきたい。機密事項につき、席を外していただいても?」
はっとしたように、マーシャルさんはうなずいて、二階に上がっていった。
リリの紅茶の色の目が、その後ろ姿をじっと見送った。
「リリ…」
リリはこの前、私にエルドラの薬師だった前世を明かしたあと、それを頑なに隠していた理由も話してくれていた。
リリが転生者だと分かってすぐに、リリの両親は離婚している。
自分が変わったせいだと、リリは言った。親が離婚したのは自分のせいだと思っているんだ。
転生者だと分かった娘を金の成る木のような目でみるようになった父親と、この子は普通の娘だ、と言い張った母親が喧嘩をして別れることになったから。勿論両親が離婚したのはそれ以前にも不和があったからだろうけど、引き金を引いたのは自分だとリリは思ったんだ。
だから、普通の娘だと自分を庇った母親に対して、リリは言えなかった。自分が、貴方よりも多くの薬の知識をもっているんだとは。今まで通り幼い娘として愛そうとしてくれる母に、これ以上違いを見せることを恐れた。母に嫌われたくないと。
それをリリは、明かした。
「リリ…」
ごめんと言いそうになるのを、ぐっと堪える。
私が関わらなければ、これから先もリリは前世を隠して生きていったのかもしれない。迷ったり苦しんだりながらも、そのうち隠し通すなかでの幸せを見つけたのかもしれない。ただ、私達はもう関わってしまったし、毒が悪事に使われたと察したリリは、前世の薬師としての自負にかけて、見過ごさないことを選んだ。その決断に対して、私が謝るべきじゃない。
「…これで、壊れるなら、遅かれ早かれそうなっていたってことだわ」
ぽつりと言ったリリの声は、ひどく大人びていたけど、それでもその肩はやっぱり7才の子どものもので、私は胸をつかれた。
大丈夫だなんて、無責任なことはまだ言えない。でも、どうなったとしても、この先のリリを支えよう、と思った。
リリの分析は早かった。
最速と自負しただけのことはある。それから一時間後には、主成分から細かな混ぜ物の種類に割合、それが与える影響も対処方も全てが明らかになっていた。
「毒の主成分は、ニカモドの葉。それにカグの木の根とコゲラワの卵からとる成分が副成分。身体に入れると、短期的には気分の高揚、食欲の減退、攻撃性上昇、異様な発汗、血圧の上昇などが起きる。長期的には栄養失調や意識障害、呼吸困難で死に至る。治療は禁断症状と戦いつつ、毒抜きの服薬と体内洗浄、症状の度合いによっては食事管理や呼吸器系の治療」
死という言葉が、耳にべたりと貼り付いた。
そんなときにロンがよし、と呟いたので、振り返ると、私の視線に気付いた彼は端的に説明した。
「コゲラワは輸入品目の1つだ」
やった、と私も手を叩いた。
輸入薬剤が入っていれば、無許可の人間がそれを売った罪で犯人を罰することができる。それに、認可のある薬師から買ったはずだから、入手経路が明らかになるかもしれない。
「割合は」
「そう多くない。全体の20分の1」
「一度にどのくらい使わせたのかは分からないか」
「致死量以下とは言える。あと、体に入れた総量なら症状から大まかな予想を立てられる」
発熱、発汗、食欲、貧血具合など、こまごまとしたやりとりをした後、リリの出した答えを聞いて、ロンは計算に沈んだ。
それから、首を横に振った。
「…拡散状況を考えるに、流通した毒物を作るために必要なコゲラワの必要量は500ミリリットル。この国の公認薬師の店なら一度に手に入れられる量だ」
「毒なのに?」
「コゲラワ自体は毒じゃないからよ。使用法によっては毒になるけど、それは知られていなくて、鎮痛剤に使われる一般的な薬としてみんな気軽に買っていくわ」
そうか。毒にしてしまう人間がいなければ、ちゃんとした薬でもあるんだ。
「これでは、取引の記録を追うのは難しい」
ロンがかすかに眉間にしわを寄せた。
「そうでもないわ」
リリはすっと唇を弧にした。
「カグの木は自生種だけど、素人が精製するのは難しいから、必ずどこかで買ったはず。そして、カグの木の根は麻酔として名前こそメジャーだけど、この辺では麻酔に使えるもっといい薬がとれるから、一般の薬師はめったに売らない」
「入手先が絞られる上、珍しいものを買った客なら店も覚えている可能性が高いか」
ロンの言葉に頷いてから、リリは少しためらうように視線を彷徨わせた。それから、私の目を見て深呼吸すると、妙にはっきりと言った。
「母を呼んでもいい?」
リリのこの要望にロンは、事件について話さないならとうなずいた。
「なあに?リリ」
2階から降りてきたレアさんは、ぎこちなく微笑んだ。この短いとも長いともいえる時間、彼女は何を考えていたんだろう、と私は胸が痛くなった。
でもリリは、その強ばった顔には触れず、淡々と尋ねた。
「母さん。この辺りでカグの木の根をまだ売っている店、知ってる?」
途端にレアさんの表情が引き締まった。
「バーンの街の中でいいの?」
すかさずロンが口を挟む。
「できるなら城下とバーン近郊も頼みます」
レアさんは、ロンとリリそれぞれへうなずいて見せると、カウンターの奥からノートを出してきた。
「地図はお持ちですか」
ロンが胸元から出した地図に、印をつけていく。
「自分が精製していない素材については、扱っている同業者をひととおり調べてあります」
「助かります。これは、どの範囲まで網羅したと考えていいですか」
「大体…」
真剣に地図を見つめるレアさんの顔を見て、私は数日前のリリを思い出した。
エルドラの薬師の自負から私に前世を明かしたあのときの顔は、目や髪の色を差し引いても、今のレアさんにそっくりだった。
城に着くと、若様が車止めに仁王立ちで待っていた。
「おかえり!」
「ただいま戻りました…あ、すみません」
若様は馬車に駆け寄って、飛びおりた私に気づくと慌てて1歩下がってくれた。
でも、続いておりてきたロンに目を止めるや、指を差して声を上げた。
「…なんで、ロンが中にいるんだ?!」
何を言っているんだ。
「なんでと言われましても。寒いでしょう」
「こんな夜更けに、狭いのに…平気なのか?」
ちらりとロンを確認すると、呆れたように目を細めている。
「…はい、まあ」
なんたって、ロンは馬車の中で石像のように固まってくれている。全く平気と言えば嘘になるけど、その厚意には平気なふりで応えたい。だから、言った。
「ロン様ですし」
それなのに、これを聞いた若様は分かりやすく機嫌を損ねた。
「へ・へへへヘスター?!お前っ!おい、ロン!」
私はびっくりした。若様なら、順調にトラウマを克服していると喜んでくれるかと思っていたから。
顔を赤くしたり青くしたりしてわなわな震えている若様に私が困っていると、ロンがバカ様め、とため息をついた。
「…お前が気にすることではない。荷物を置いてこい」
これはバカ様なのか。いつものバカ様発動なら、気にしなくてもいいのか。
とりあえずこの場はロンに任せて、私は後ろ髪を引かれながらも部屋に向かうことにした。




