20 獄卒
「そこまでにしときなさい」
その声は頭上の暗雲にも似た、冷たいものだった。
赤い砂の粒子が巻きあがる旋風の中央で、清廉な鈴の音を鳴らし、黒銀の髪を細くなびかせている。
鑑は幽玄とした動きで、黒い傘を岩肌に突き立てた。
風が凪ぐ。紫織も、陸も、烈でさえ。だれも動けない。
「おまえ。今までどこ行って……」
「ちょっと野暮用に、ね。これ持ってて」
黒傘が、鑑から紫織にではなく陸へ預けられる。
その細い指先が、赤黒く染まっていた。――闇穴道の砂か、はたまた血なのか。鑑を窺おうとした瞬間、陸の肌が粟立った。
がらんどうの眸。なんの感情も覗かせず、静かに閑かにありのままを映している。
その揺らぎのない深い眼差しに、命が飲みこまれてしまうのではないか。
そんな烈に感じたのとは桁違いの恐怖に、陸は立ちすくんだ。
「また罪深い人間……じゃないな。おまえさん一体何者だい?」
屠るだけの慰み者の前に入った邪魔に、烈は朱眼の底を熱く濁らせた。
黒傘と木刀が、手汗でずり落ちる。それを陸はうまく掴めない。
妖魔という強靱な生命には、わからないのだろうか? 砂漠の渇きにも似た、鑑の底なしの空虚さが。者を物とも見なさない、空洞の眼の恐ろしさを。
「謎とは謎のままとぞよき。--美しき世界に、あなたのような匹夫はいらないわ。とく失せなさない」
烈の殺気を、鑑は口許だけの薄い笑みで受けた。
「はっ。よーくわかった。おまえさんから挽肉にしてほしいってことかい」
獲物を前に、烈は残忍な妖魔の嗜好に身を委ねた。
突如現れた鑑に対する疑問など、もはや些末なこと。
鑑を細切れにすべく、烈はネコそのものの流麗な勢いで突貫する。
「さがってなさい」
「ぬおっ?!」「きゃっ!?」
「――よそ見してんじゃないよ!」
鑑に突き飛ばされて、陸と紫織は尻餅をつく。
その間に、烈は放たれた弓矢のような疾さで鑑の前におどり出た。
振りかぶった烈の腕が、勢いのまま振り下ろされる。
たったそれだけの動作。それだけで人を殺すには十分すぎる一撃だった。烈の指先には、刃物のように鋭利な人外の牙爪がある。
その凶撃は地面をバターのように滑らかに引き裂き、あたかも重機で抉ったような大きな爪痕を岩場に残す。
だが、そこに鑑の亡骸はない。白い少女は五体変わらず、悠然と地に足を降ろしている。――妖しい紅玉の眸を持つ彼女は、烈と同じく人間ではないのだから。
「――爪に“鬼火”も宿しきれない。火車としては童もいいところね。避けるまでもなかったか」
鑑が動いたようには、陸には見えなかった。
地面が動いたのではないかと錯覚するほど、鑑は無造作に烈の背面を取っていた。
「――くっ?!」
烈は球が弾かれたように跳びはね、鑑との間合いを仕切り直した。
低いうなり声を上げ、烈はその場から動かない。動けない。
獣のように這った姿勢のまま、未知の戦力を推し量るように鑑を睨んでいる。
「来ないのかしら? 格下が相手の出方を待つなんて、下の下の手よ」
「――ちっ。まぐれで避けた奴が調子に乗るなっ!」
躊躇う理性よりも、妖魔としての矜持に、烈は弾けた。
烈風。赤い影が一陣の烈風となって駆けぬける。
烈の踏みこみは、陸の動体視力では捉えきれない魔速だった。
瞬時に烈と鑑の距離がゼロへと埋まり、今度こそ反応さえ許さず鑑を細切れにする――
「死ねっ!」
――はずであった。
その返答は、肉を裂く柔い音ではなく、鋼がぶつかるような拒絶の音。
鼓膜をひっかくような女の叫声ではなく、驚愕する男の野太い声だった。
「なっ?!」
「ほら。避けるまでもない」
艶のある涼やかな声は、今や殺意の冷たさしかない。
烈の牙爪を阻んだもの。それは、鑑の周囲を駆け巡る幾筋もの光の曲線だった。
光の線が複雑怪奇に合わさり、曼荼羅を、魔法陣を、護法の障壁を形成して、鑑を守護している。絢爛たる七色の光は、万華鏡のように美しいものに陸には見えた。
「―――、かさねあて。」
「あがっ!!」
硬直する烈に、鑑は腰を沈めて鳩尾へ掌底を繰り出した。
河原で陸の腹を貫いたものの比ではなかろう衝撃。烈の身体はエビ折りになって、川面を跳ねる飛び石のように無様に岩場を転がっていく。
「ぐっ。ちくしょうっ!」
烈は大地に爪を突き立て、跳ねあがる。
咳きこみ、吐血。構わず疾駆する。
効いている。赤い妖猫の動きは、陸の眼の端で捉えられる程度に鈍っていた。
しかし今度の烈の動きは、直進ではなかった。
ジグザグに。不規則に。変則的に。
しなやかな足を用いて、鑑をかく乱しながら距離を詰める。
亡霊じみた奇怪な動きから繰り出される、鑑の死角を狙った魔速の一撃。
それを――
「――畜生はあなたも同じ。芸がなくてよ」
失望か。低く囁いて、鑑は七色の光をまとった手で烈を払った。
軽くいなしただけで、烈の身体がワイヤーに吊されたように宙へ舞う。
格が違った。妖魔の烈をまるで赤子扱い。戦いにすらなっていない。
「……やっぱ鑑ってマジで強え」
これでは陸が加勢しようにも、邪魔にしかならない。
鑑が髪をひるがえし、烈の攻撃をまたも光の壁ではじき返す。黒銀の長髪が、鮮やかなものに陸の眼に映った。殺し合いなのも忘れ、その美しさに見とれた。
「ちょ、ちょっと陸くん。あの子一体誰なの? わたしもう何が何だかわかんないよ~」
紫織は頬をつねり、水蜜桃のように淡く腫れさせている。いっそ夢だと疑ったほうが、納得できるのだろう。
「――あり? 姉ちゃん、知らないのか?」
「うん? もしかしておじいちゃんのお弟子さん?」
「いや……まあ心配すんな。ちょっと物騒なヤツだけど、すっげえ頼りになる味方だよ」
陸は血で赤黒く染まった学生服をさすった後、黒い傘を振って苦笑してみせた。
奇妙な信頼がある陸の予想どおり、決着はすぐについた。
鑑が低く屈んだ。陸がそう思ったとき、彼女の姿はもうそこになかった。
時間が抜け落ちたような速さで、鑑は馳せていた。
紅白が交差する。転瞬。赤猫の妖魔は、ボーリングのピンのように蹴散らされていた。
◆◇◆
「はぁ、はぁ。く、そっ……。生身の人間がどうやってここにって思ったけど、とんでもねぇバケモノに力借りやがって。おい、おまえ。そこのガキから一体何を代償に、こんな茶番を引き受けたんだい?」
烈は力なく耳としっぽを垂れ下げて、鑑へ脅えをなしていた。
十本の牙爪はすべて根元からへし折れ、喀血に藍の着物を汚し、満身創痍の体だった。
「母の乳も恋しいような童がよう喚く。蛙のような啼き声も飽いたわ。いい加減潰れてもらおうかしら」
鑑の眸から色が消えていく。赤々と透明に澄み渡る。
その中心で瞳孔が、暗闇の中のケモノのソレのように、炯と光った。
あの、河原でのなんの躊躇もない鑑だ。否、それ以上の異状だった。
「お、おい。鑑? もういいんじゃねえか?」
「―――」
陸の震える声に、鑑の動きが止まった。周囲を守護する、七色の光の紋様はまだ兇悪な光を放っている。
「そいつ殺しちまう、のか……?」
「……あら。殺さないでいいの?」
怨みを晴らさないでいいのかと、妙なものを見るように首を傾げられる。
その仕草には、陸の知っている鑑がまだ残っていた。
陸は喉を鳴らし、静かに首を振った。
横にではなく、縦に。
「……だめだ。殺すのは、だめだ」
烈のことを憎んでいる。許すつもりもない。当たり前だ。
復讐はよくないことだときれい事を言えるほど、腹の底も冷えていない。
でも、鑑に殺させるのはなにか違うと、陸は思った。
そして最も怒っていい紫織が、一番それを望んでいないはずなのだ。
「そうだよ、もう十分だよ。女の子がそんな恐いことしちゃめっだよ」
ほら。ならこの辺で矛を納めるべきだ。
もう十分、烈は懲らしめた。
「――まったく。ぱーばっかり、ね」
陸と紫織をゆっくり見渡し、鑑はため息を隠そうともせずに大きく吐いた。
華麗に指鳴らしをして、鑑は万華鏡の光線を粒子にして霧散させる。
「この子たちに感謝なさい。火車の妖」
「くそっ。ふざけるなっ! なんでおまえほどの奴が人間なんかの言うこと聞くんだ。人間の味方なんてして、こんなの完全に俺たちのあり方から反するぞ」
「――そのとおりね。けど、青人草を護るのも私の役目だもの。……さあ。巻いて逃げるしっぽのある内に、失せるといいわ」
鑑が烈に向ける声色は、自分らに対するものとは違うことに陸は気づいた。
粛々と、高みから見下すような温かみのない声なのだ。
「――青人草を護る? あんたまさか、その穢れの少なさ……!」
「――」
失言に、鑑がかすかに口唇を噛んだのを、反撃の機会を狙っていた烈は見逃さなかった。
「へえ、やっぱりそうか。あんた、同族の面汚しだったのか。そのうえ、地獄との盟約を破りやがったんだな」
「……ぬ?」
「常に中立であるべきあんたらがここにいる――それが何を意味するか知らないはずなかろうに……。そんなガキどもにどんな情があるっていうんだい」
烈の鑑の呼び方が“おまえ”から“あんた”に変わっていた。
その理由はわからなかったが、烈が水を得た魚のように活力を取り戻し、反対に鑑は怯んでいるように陸には感じた。
「阿呆だねぇ。けど、今のご時世に、わざわざ直接人間に手を貸すやつが残っていたなんて、完全に盲点だったよ」
「……よく喋るのね。そんなに舌を抜れるのがお望みかしら?」
「はっ。“閻魔大王 (えんまだいおう)”でもないやつがほざくな。おまえが人からも妖からも外れた“御先”なら、俺にもまだ手はある」
烈は血だらけの手を気にせず、盛大に岩肌を叩きつけた。
岩盤に亀裂が奔り、亀裂がミミズ腫れのように盛りあがり、砂塵が舞いあがる。
「――っ?!」
視界が赤い砂煙で塞がれる中、陸は聞いた。遠雷のように重い唸り声を。血をも凍りつかせる獣の咆哮を。生き物を貪り喰らうような、そんな不気味な怪物の声を。
ぞわりっと、産毛が逆立つ。
こんなおぞましい声を出せる生物を陸は知らない。生物として存在していいはずがない。砂埃が叫声によって吹き払われる。そしてその無骨な巨躯が露わになった。
「あわわ。おっきい~」
紫織の驚きではぬるい。その背丈は陸の倍以上、四メートルは優に超えている。
砂埃が晴れた先にいたのは、大岩のような二人の巨兵だった。
否。二人と表現するには誤りがある。ひとりは首から上が猛牛のそれ、もうひとりは竜馬の頭を持っていたのだから。
半人半獣のカイブツ。
戦国武将のような黒塗りの鎧を身にまとい、空気が歪むような闘気を放っている。
大きな口から草食獣らしからぬ鋭利な乱杭歯が覗き、よだれがこぼれ落ちる。
鏡のように光る大きな眼が、ギョロリと動いて陸たちを見下ろす。その白目は飢えたように血走っていた。
「な、なんなんだ、こいつら? なに食ったらこんなにでかくなるんだよ」
正真正銘のカイブツを前に、陸は瘧のように身体を震わせた。
小山のように隆起する猛々しい筋骨は、牛や馬のように草を食べてついたものとは到底思えない。身体にまとわりついてくる生ぬるい息には、生肉のイヤな臭いがした。
「そんなの、君たちに決まってるでしょう」
「なっ!? それって!」
「――ぬかったわ。“牛頭”と “馬頭”。地獄の獄卒長たち“口寄”できるなんて、“座位”はかなりのぼんち、ね」
巨躯の影に隠れて薄笑いを浮かべる烈を、鑑は忌々しげに睨んだ。
「地獄への侵略者だ。捻り潰してやれ」
「「GRAAAAAAAA―――!!」
二体の巨人が、鼓膜を破るような叫び声をあげる。
怒濤の進撃。あたかも巨大な岩石が転がってくるような錯覚。
牛頭と馬頭は、佩刀した肉厚な大剣を抜き放ち、力のまま振り下ろしてきた。
本話の奇蹟
土生金 鏡返しの呪 体現式
周囲に護法の障壁を生み出す呪
攻撃を反射、無効、軽減する。
体術・透勁 使用者・鑑 肉体干渉系 気合声『重打』
威力・武力×1、5倍。 防御無視 消費胆力5
二打打ちとも呼ばれる体術が原型。
手打ちで相手の身体を押さえるように掌底を出し、そのまま突き入れることで、相手の筋肉の弾性および呪力の展性を封じて内部から破壊する。
火生土 口寄の呪。 使用者・烈 体現式
地獄の住人を召喚する呪。
良家の若い息子だからできるようだ。
本人の実力だけでは、牛頭馬頭クラスの妖魔は呼べない。
鑑VS烈
地形効果 黄泉路・荒れ地 鑑・苦手 烈・得意
勝敗 鑑勝利
○鑑
職業 ???
クラス ???
種族 ???
属性 月
性格 奔放(魅力++、呪力+)
ステータス ※飢餓状態
体力 51(+3) 武力 57
速力 71 技量 69
知力 85 魅力 97(+5)
胆力 76 呪力 82
装備
防具 黒のワンピース 体力+2 魅力+3
装飾 鈴の髪留め 体力+1 魅力+2 特殊技能??
使用特殊技能
神性(低) 魔性(上) 傾国(上) 魔眼(中) 四魂相応(上) 体術(上)
魔法技能
魔導式変現法(上)
鬼道系練度・漆 神道系練度・陸 陰陽道系練度・伍
○烈
職業 地獄の見習い同心 レベル12
クラス 闇の眷属・妖、魔
種族 火車猫・低級
属性 火
性格 高慢(速力++、知力+)
ステータス
体力 67(+2) 武力 43(+5)
速力 52 技量 12
知力 33 魅力 63
胆力 48 呪力 45
装備
武具 牙爪・火 武力+5
防具 藍の着物 体力+2
使用特殊技能
魔性(下) 肉体強化(下) 死の門番(下)魔眼(低)
魔法技能
魔導型変現法(低) 鬼道系練度初 神道系練度× 陰陽道系練度-




