21 口結
「「「GRAAAAAAAA―――!!」」
牛頭と馬頭は腰に佩刀した太刀を抜き放つや振り下ろしてきた。建設現場から鉄骨が崩れ落ちてくるような光景であった。
「避けて!」
「くっ」「きゃっ」
跳躍。陸は身体を固まらせた紫織に体当たりするや、肩で担ぎ上げて身体を滑らせた。
轟音。陸の背後にあった大岩が、氷でも砕くようにあっさりと砕け散る。
陸の肝が縮みあがる。こんなの木刀で防ぐとかどうとかの問題ではない。触れた瞬間、ポテトサラダのジャガイモみたいに、全身押しつぶされている。
「痛ぅ……」
じくりと、陸の頬が熱を持つ。跳ねた石つぶてに、顔の左の肌を薄く切ったらしい。
乾いた笑みが出そうになるのを、紫織の重みに食いしばる。牛頭と馬頭は巻きおこった砂塵に右往左往して、追撃はない。獣の頭の通りさほど頭が良くないらしいことが、一縷の望みか。
「――しまっ?!」
もうもうと、砂煙が立ちこめて、鑑の姿が見えない。
まさか今ので――陸がすくんだ直後、ひと塊の砂埃が眼の前でふくれあがる。
「無事? ……のようね」
「ううぅ。陸くん、抱っこするならお姫様抱っこにしてよぅ。こんな荷物みたいな……」
煙の中より姿を現した鑑がジト眼になる。存外のんきに陸にほおずりする紫織の脇の下と膝の裏に腕を通す。
「じゃあ、お望みどおり」
「――ぴゃッ?! 初めてのお姫さま抱っこが女の子はもっといや~!」
「遊んでねえで。あのウマウシお化け、また暴れ出したぞ!」
「いったん退くわよ!」
「「GRUUUU――――!!!」」
牛頭と馬頭は、人外の膂力に任せて大剣を振り回しはじめた。
剣圧で砂煙を吹き晴らし、あわよくば相手を挽肉に変えようというのである。
まだ狙いが甘いうちに、陸たちは牛頭と馬頭から離れた。
「あぁもう。なにやってるんだ、てめえら。あっちだよ、あっち」
溝や凹凸の多い岩場を懸命に逃げる。その背後で、烈の苛立たしげな声がした。
地鳴り。牛頭と馬頭が烈を肩に乗せて、陸たちを追う。
巨躯が砂煙を置き去りにする。徐々に死神の足音が大きくなる。このままでは敵の急追をかわしきれない。後ろの様子を見た紫織が、悲壮な顔で口を開く。
「――ダメ。このままじゃ追いつかれちゃう。わたしを置いて逃げて」
「「ばっかじゃねえの(ぱーじゃないの)。なにバカ(莫迦)なこと言ってるんだよ(のよ)」
「ひゃう?! じゃ、じゃあわたしも走るから――」
「「ああもう、姉ちゃん(少女)は黙ってろ(て)」」
見事に重なる声。陸と鑑の剣幕に、紫織は黒目をさらに大きくする。
「ほんとは岩陰にいたときから、足痛えんだろ。ガマンばっかしやがって、オレが気づかないとでも思ったのか」
「そんな擦り傷だらけでよくもまあ……。もっと恥辱的な抱えかたするわよ」
「ごめんなちゃい。あぅ……。ちたきゃんじゃった」
ふたりの怒気に、しゅんと、紫織は木に抱きつくコアラのように鑑にしがみついた。
「妖魔が三体。さて、どうしようかしら、ね……」
「どうするって……あんなででっけえヤツ、逃げてやり過ごすしかねえだろ?」
二体のバケモノは、それこそ小山が動いているようだ。
行く手を遮る岩も、地面のくぼみも関係なく、ばく進してくる。
それなのに、鑑は夏休みの宿題をどれからしようか程度の気だるげな口調だった。
紫織を抱きかかえておきながら、全力の陸に合わせているようでもある。
「あら。あんなの図体がでかいだけの、木偶人形よ」
「あのウマウシお化け、倒せるのか?」
すまし顔の鑑に、陸は短く確認する。
「あんなお粗末な“口寄”、還すのぐらい造作もないわ。――でもわたしが牛頭と馬頭相手してるうちに、火車は少女さらう気なんでしょう、ね」
素直に口を閉じてお餅のように膨れている紫織の頬を突っついて、鑑は問題点を述べる。
さすがの鑑も、陸と紫織を庇いながら妖魔三体を一気に引き受けられないのだ。
「ぬぅ、卑怯な。あのクソ猫野郎、絶対泣かせてやる」
「そ。ならそれできまり、ね」
陸は悔しげに、いっそう虎鉄丸と黒傘を振って駆ける。
そんな陸を見てとり、鑑は妖艶と反撃の詞を唄った。
◆◇◆
「―――、やまかがち。」
だんと、舞踏のような、軽い足の踏み鳴らし。
鑑は紫織を下ろすや、自分の右手の薬指を噛みはがすと、口に含めて二度、三度噛んで、岩の転がる地面へ吐き捨てた。
陸がおどろく間もなく、落ちた爪から青白い光が噴き出した。
魔力の象徴とも言われる爪を触媒に、奇跡が起こったのだ。
眼を焼き焦がすほどの蒼い光が白熱し、光の縄が地を踊った。
「「GUOOOOOO――――!」」
陸にはそれが、何匹もの白いヘビのように見えた。
がっしりと、馬頭の足首に光るものがくいこんで、隣の牛頭もろとも締めあげた。
頭から転倒。岩盤の崩落が起こったように大地が揺れる。
その合間に、鑑は陸の顔にごく自然な動作で触れた。
指を曲げて、陸の頬傷と剥いだ爪先を擦り合わせている。
労るような、侵すような、試すような。陸はその行為の意味を取りかねた。
「な、なにを?」
「いいから目、つぶりなさい」
抵抗を許さないひやりとする表情に、陸は言われるがまま眼を閉じた。首に腕を回され、引き寄せられる。
「ああ~! ちょっと何、羨まし……じゃなくて、狡い……でもなくて。ええと、ああうう。貴女、わたしの弟に何してるのよ、こらあ!」
律儀に口を閉じていた紫織が、たまりかねて声を張りあげる。
吸いつくほど柔らかい。はじめ陸は、チョコでも入れられたのかと思った。
口に含んだそれは、感触なんてないほど柔らかに舌の上でとろけて、甘さが滲み出してきたお菓子のようであった。
陸は思わず眼を見開く。一瞬が久遠。微熱の息遣い。細やかにくすぐる長い睫毛。白い少女の紅い眸が、ほんのすぐそばにある。
――なにも、かんがえられなかった。
突然の出来事に、陸はされるがままその行為を受け入れる。
口唇から溶けていく。熱を伴ったなにかが、陸の身体の底へ流れこんでくる。
それがなんなのかよくわからないまま、鑑は陸から離れた。
「――わたしの力かしてあげる。少年は火車しばらく相手して」
なにごともなかったように鑑は言って、剥がれた爪先についた陸の血を舐め取る。
驚くほど真っ赤な舌。それが、先ほどまで陸の舌と艶美に絡まっていたのだ。
「なっ、なっ、なっ」
ボッと、陸の顔が朱に染まる。
あわあわと空気が洩れる口から、心臓がせり出しそうになる。
「どうしたの?」
「――このっ、どうしたのじゃねえよ! ばっかじゃねえの。いきなりチューするなんてっ、マジでおまえなに考えてやがるんだ!? 女の子のくせに、もっと自分を大事にしろよ!」
「あら。美しきもの、ね。でもいまの口結は、その数に気にしないでいいわ。これはおまじないなのだから」
羞恥に真っ赤になる陸に、鑑は片えくぼを浮かべて低く笑った。
静かな光をたたえて、鑑は陸の口唇を人差し指でなぞる。
まぼろしのような微笑みで、かわいらしい反応を見せる男子を見つめる。
「こんなのノーカンなんだからっ! こんな不純な関係から始まるお付き合いなんて、お姉ちゃん絶対に認めないだからね!」
がるるるっと、紫織は大事な陸を抱き返して涙目になる。……子犬の精一杯の威嚇のようで、ちっともこわくない。
「……ごめん」
「なんで君があやまるの? 無理やりだったのだから、むしろ怒るべきでしょう」
「よくわからねえけど、力を貸すおまじないだったんだろ? じゃあオレがもっと強ければそんなことしないでもよかったんじゃねえのか?」
こくんと、鑑は小首を傾けて不思議そうにしている。でも本当に不思議だと思うのは、陸のほうなのだ。
爪を剥ぎ取り、好きでもない相手にキスまでして、鑑は陸と紫織を助けようとしてくれている。そこまでするものが、鑑の中にはあるのかもしれない。
でも陸には、それがなんなのかうかがい知ることができない。
他人行儀にしか謝れないのが情けなく、申し訳なさに陸は頭を下げていた。
◆◇◆
「――ぱーね。だからってあやまられても、さらに不快になるだけだわ」
「でも……。――ぐぬぅ、ああくそっ。……ありがとう」
なにか言わねばと陸は思った。儚げに笑む鑑が、あまりにやさしげだったから。絶望的な圧力が、すぐそこまで迫っているから。
それなのに、自分が本当に言いたい言葉が見つからない。
「かといって感謝されるほどのことでもないのだけど、ね。――ま、話は後よ。少女、そろそろ少年放してちょうだいな」
「うぅ。う゛ぅ~! 後でお説教なんだから。――二人とも絶対にお説教なんだから」
牛頭と馬頭の拘束が、力任せに引きちぎられていく。カイブツの猛り狂う息づかいが、生温く流れてくる。
それでも紫織は震える声で、努めて常日頃に言った。陸と鑑の無事を祈って。トートバッグ、黒い傘、竹刀袋と荷物を預かり、辛そうに岩陰に下がった。
「少年。四半刻――いいえその半分の時間でいい。なんとか火車引きつけて。かならずそれまでに牛頭と馬頭どうにかするから」
「っ。悪いけど、やばいほうは任せた。――だからせめて虎鉄丸使ってくれ。目ん玉潰すぐらいには役立つだろ。こっちはあんな卑怯者、じっちゃん直伝の拳で十分だ」
「手負いでも火車は、兇悪よ。君のできる全力つくしなさい」
「けど――」
話す間にまた一本。牛頭と馬頭を束縛する光の紐がはじけ飛ぶ。
足止めされても、大刀を振り回して暴れる巨人は危険きわまりない。
「――まったく、格好つける相手違うでしょうに。君が倒れたら、うしろの姉が慰みものになるのだと、肝に銘じなさい」
「――ぬぅ」
「ま。その気持ちだけはもらっておくわ」
「っ!? おい、鑑。今度はなにを?」
葛藤する陸に、鑑は小さく笑みを零した。
鑑はおもむろに自分の髪の左房を引きちぎり、陸が差し出していた虎鉄丸に巻きつける。
ツタのように髪が絡まった虎鉄丸に、ふっと息を吹きかけて、一言二言、口の中で何か呟く。ゆらゆらり、髪が虎鉄丸に溶けこんでいく。
「これで、そこらの真剣より使えるはずよ」
髪は爪と同じく魔力を持つとされる。
虎鉄丸は鑑の髪と同じく黒銀色に染まり、淡く神秘的な輝きを放っていた。
ぐっと歯を食いしばり、陸はそれを受け取る。
まるで別物。虎鉄丸は羽のように軽く、自分の腕の延長のように手になじんだ。
「~~っ!」
それに陸は言葉が見つからない。
あれだけ表情が読めなかった鑑の顔に、疲れの色が汗とともに現れていた。
そう。虎鉄丸が軽くなったということは。陸に力を貸したということは。もしかしなくても鑑はその分だけ弱っていっているのではないか。
そんな状態で、あの二体の岩山のようなカイブツの相手をさせるのか。
ふがいなさに、陸は奥歯をすり潰した。
「わたしの心配ならいらないわ。武器ならちゃんとあるから」
陸の心配を見透かすような怜悧な眼差しで、鑑は涼しげに答える。
また千切れる光の縄。牛頭と馬頭の拘束がついにあと一本になる。
「―――、いみはらえ。」
鑑の足許の影に変化が現れる。濃く、小さく、厚く、凝縮していく。
少女の影が、たしかな質量を持つ一振りの剣の形に凝り固まる。
華美な装飾を拒み、一切の無駄をそぎ落とした広直刀の刃紋。それなのに夜空の星屑のように静かに濡れ煌めいている。
そこまで刀に詳しくない陸でも鳥肌が立ってくるような、業物の日本刀だった。
創り出した大刀を手に、鑑は一閃振り下ろした。
紫電の残像が揺らめき、足許の石が滑らかに割れた。
牛頭と馬頭のように力で圧するのではなく、技で両断した見事な斬り口だった。
その絶技に、陸は純粋に興奮する。
「うお、マジでカッコいいじゃん。そんなことできるなら、オレのぶんも作ってくれよ」
「めんどいからや」
「……め、めんどい!?」
命の瀬戸際でも、個人の感情でばっさりと切り捨ててくれる、自由気ままな魔法剣士さまであった。
「……ぬぬぬ、まあオレじゃ使いこなせないか。……そっちは頼んだぞ」
せめて言葉ぐらいはなんでもなく。鑑のふてぶてしさが強がりだとしても、彼女を信じて己のなすべきことをするのだと、陸は虎鉄丸を握りしめた。
「「GYAAAAAAAAAA―――!!」」
最後の拘束が光とともに消失する。うっそりと、カイブツが起きあがる。
牛頭と馬頭。地獄の獄卒長たちは、茶色に濁った眸に爛々と怒りをくべる。
馬頭のおどろ髪が逆立ち、黒煙のような影を描く。牛頭の赤銅色の肌が、赤い岩場にほのめいている。
鑑が爪一枚でなした拘束も、両者に手傷自体は負わせていない。
それでも戦闘準備を整える時間を稼ぐことはできた。
鑑は、口許だけの冷たい笑みを携える。
「――隷従する獣はどこもご苦労なことね。けど、四足獣の肉は好みでないから、そのまま送り還してあげるわ」
とろりとした鑑の眼が、さらに細くなる。ぞっとするような殺気が洩れていた。
こちらも負けられない。陸は、全身の血が熱くなり力が沸いてくるのを感じた。
ニヤニヤと、不敵な笑みを浮かべる怨敵――火車猫の烈に、虎鉄丸の切っ先を向けて、陸は憤怒の炎を燃やした。
本話の奇蹟
木剋土 捕縛の術 使用者・鑑 詠唱『山蛇』
土を隆起させ、戒めを与える術。
薬指の爪を呪の媒体として発動した。
金生水 口結の呪 使用者・鑑 体現式
人に力を与え、また奪う呪。
お呪いなのでカウントに入れてはダメらしい。
水生木 護法の術 使用者・鑑 体現式
鑑の髪を媒体に木刀――虎鉄丸にかけた術。
強化呪符によって、そこらの真剣よりは使えるようになったらしい。
五行外 影錬の呪 使用者・鑑 詠唱『忌祓』
影から物を取り寄せたり、創り出す呪。
大刀の銘は月影。相当の業物のようだ。
戦闘 陸&鑑&紫織VS烈&牛頭・馬頭
地形効果 黄泉路・岩場 逃走中




